見出し画像

恋慕渇仰(著:緒形拳) 読書感想文

恋慕渇仰(著:緒形拳、東京書籍、1993)



俳優・緒形拳さんの書いた本である。
緒形さんは書をしたためるのが好きだった。この本もまず役者であることと書のことから始まる。

桃、栗三年
柿八年
柚子は大馬鹿十三年
役者よたよた三十六年

生業は役者だが、筆で字を書くのが好きだ。
なんで好きなのか。
金釘は自認してる。
しかし、面白い。痛快だ。気持ちいい。

肚すえて書かないと、なかなか書けない。
墨するだけで一日終わってしまうこともある。
人の書いたものを観るのも好きだ。
うまい下手はよくわからない。が、好き嫌いはある。

緒形さんは役者の姿を紅葉に見るという。

破壊と創造の姿勢のくり返し。
そのはざまにある、冬の、骨だけになった紅葉の木。無駄なものが一切なく、装飾的なものも何もなく、そぎ落とされた骨組みだけが立っている。その木の持っている力すべてを出しきっている。その寒々しさがいい。


緒形さんはその紅葉の木を書に表現しようとする。
「體(からだ)」という字を書いて書き抜いて。冬の骨だけの紅葉のようになっていく。役者の仕事もこうありたいという。

エッセイにはこれまで緒形さんが體で覚えたことが多く書かれている。
例えば、

蹲踞、この字も、つくばいそのものも好きだ。
仕事をしていない時は、這いつくばっている。這いつくばらないと、跳び上がれない。
跳躍する前の這いつくばる形が良い。

世の中には、人間の耳に聞こえない声が沢山ある。だから、耳だけでなく、目で、鼻で、心で、いろんな声を聞かなければと思う。

といった言葉たちや、青森県大間での芝居、書のこと、歌うこと、パリでの写真撮影のこと、食べること、万里の長城への旅、アンデスへの旅……。

この本はエッセイだけでなく、ロベール・ドアノー氏による緒形さんの写真と、緒形さんがしたためた書も掲載されている。これがすばらしいのだ。特に書は體全体一所懸命使って書いているのがよくわかる。

そんな緒形拳という人の凄みが次の言葉によく表れていると思う。

中国の古い言葉で「今日感會、今日臨終」というのがある。
今日会って、お互いとても良かった、その気持を大切にしよう。でも、今日会うことがこの世で会う最後かもしれない、そんな意味の言葉か。「一期一会」という言葉の意味に近いが、もう少し厳しい、殴られるような感じの言葉だ。
(中略)
ごまかせないところに自分を追い込んでいった方がいいんじゃないか。

最後に、この本を読んで最も感銘を受けた緒形さんの言葉の一つを書いて締めたいと思う。

死ぬということは残った人の中に生きるということだ。
自分の中に、逝った人々を生かし続けるということだ。

https://amzn.asia/d/ckhfgyZ

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?