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南米回想#1【ムール貝を食べなくなった理由】

 知識が行動を制限することは、よくある。私はいつだったか、夕飯を寝る前に食べると健康に良くないと知ってから、少なくとも就寝2時間前以降は何も食べないようにしている。小僧だった時は、ポイ捨てをしたりどこでも立小便をしていたけれど、常識というものを知ってからは、軽率な振る舞いもしなくなった。最近起こった変化で言えば、ムール貝とサーモンを極端に食さなくなった。

 ムール貝は本当に美味しいと思う。サイゼリアに行けば「ムール貝のガーリック焼き」をよく注文したし、レッドロブスターのバケツに入ったムール貝は、配膳されれば場が盛り上がる一品。ただ、2016年末から17年の初めにかけて南米・チリを旅行してからは、食べたいと思うこともなくなった。

 チリ南部に位置するチロエ島の名所・カストロについたのは16年12月のこと。前日、首都サンティアゴ発の夜行バスに乗り、約16時間の道のりを経てやってきた。荷物がやたらと多いので、タクシーに乗り、お勧めの安宿まで運んでもらった。タクシーの運転手ほど街のことを聞くのに適した人物はいないだろう。

「この街はどんな街?以前、パタゴニアの方を訪れたときには風が相当強かったんだけれど、ここはどうかな」

「いや、ここはそんなことないね。むしろ、チロエ島は雨の街だ」

 日本から一日も休むことなく移動してきたので疲れていた。宿で荷物を整理して休息し、街を散策した。まずは海岸沿いを散策。この街からカヤックを漕ぎ始める予定だったので、どのあたりから出発できそうかを偵察した。幸い、ホテルからそう遠くない海岸からカヤックを出せそうで安気した。風も強くないなら快適なパドリングが愉しめそうだ。

 市場にはウニが売られていた。ウニをかち割り、パッキングするおやじに勧められて、試食してみると絶品。1パック3000チリペソなので、およそ500円。旅のお供が一つ決まった。タクシーの運転手に聞いたチロエ島の伝統料理「クラント」も食す。ムール貝やハマグリとともに、スモークソーセジやベーコン、じゃがいもなど根菜を蒸した料理。食べながら白ワインを飲むと、幸福感が最高潮に達した。この味を覚えてしまったので、その後のカヤック旅行ではたびたびこのクラントを再現しようと試みた。

 食料、水、酒を調達。翌朝、全てカヤックに詰め込んで出発した。風は穏やかで湿潤。カストロを出て1時間も漕ぐと、ムール貝の養殖ブイがあちこちに見え始めた。水中カメラでブイの下を撮影してみると、海底に向かって伸びるロープには無数のムール貝がびっしり付いていた。うまそう。流石にここからムール貝を頂戴するわけにもいかないので、スルー。しばらく漕ぐとまたブイの一群が現れた。みるみるうちに視界に溢れ出すブイ。カヤックを漕ぎ出したチロエ島東部は、フィヨルドが形成されていて静かな海域が多い。おまけに風もそこまで強くないので、養殖には適しているのだろう。それにしてもすごい数だ。

 本来、海と空とを分かつ水平線を、ブイ列が塗り替えていた。カヤック旅行の一つの目的は、野性の世界に入り込むことだった。もちろん、チロエ島周辺では多少の人工物や養殖現場を目にするとは想定していたけれど、それを遥かに上回る規模のブイ群。漕げども漕げどもブイ、ブイ、ブイ。ムール貝はうまい。罪はない。こうして産業としても成り立ち、雇用を創出している。ただ、率直にこの生産から消費の流れには積極的には関わりたくないと思った。その流通は、私が関わるにはあまりにも大きい気がした。そして調和を感じさせない風景は、単純に美しくなかった。

 これらムール貝は、地消されるものもあれば輸出されるものもある。実際のボリュームは不明だが、この地域のムール貝を輸入する日本企業もある。一部のブイのオーナーは、日本人と考えることもできる。食べれば食べるほど、ブイは増えていく。日本に帰ってきてからは、ムール貝を見るたびにチロエ島のブイ原を想像してしまい、手が伸びなくなった。ただ、こんなことはムール貝に限ったことではない。レストランで出された料理が、どこで誰とつながっているのか、全てを知ることは難しい。とはいえ、知ってしまったし、感じてしまった。あー、知らなければ今夜はムール貝の白ワイン蒸しでお腹いっぱい、幸せになっていたかもしれないのに。

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