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桜舞い散る季節に

なぜ日本人の感性に合っているのか

 今年になってから、近くの公園にウォーキングに行くようになった。
 近くと言っても車で15分ほど走ったところにある大きな県立公園で、1周すれば約2キロもあり、ここを週2回ほど歩くことが習慣となった。

 この公園は桜の名所でもあり、満開の時期になると毎年花見客でにぎわう場所だが、ウォーキングを始めたこともあって、今年は桜が蕾から満開になって、やがて葉桜となる移り変わりまでを十分満喫できた。

 桜と言えば誰もが愛でるのがその満開の時期だが、蕾の時期にはこれから咲き誇るであろうことに寄せる期待感があり、葉桜にも新緑の息吹が感じられて、それぞれ趣のあるものだ。
 働いている時は花の移り変わりを愛でる余裕もなかったが、こうして歳を重ねてゆったりとした時間を持てるようになると、つぶさに自然を観察できるようになり、贅沢な時間を過ごせているという感じがする。

蕾から開花へ

    しかし日本人は、なぜ桜の花にだけ特別な価値観を見出すのであろうか。
 ひとつには、春の到来を象徴的に告げる花だからだろう。 
    日本は諸外国と比べて、四季の移り変わりがはっきりしており(最近は地球温暖化の影響で若干薄らいできてはいるが)、春は新年度という日本独自の新しい年の区切りでもある。
 若い人が入学式や入社式を経て、それぞれ新しい社会や人間関係に溶け込んでいく姿は、咲き誇っていく桜の花と重なり気持ちのいいものだ。

 一方満開してもわずか2週間足らずで散ってしまうため、命の儚さも感じ取られ、ものの哀れに美学を感じる日本人の感性にも合っているのだろう。

 歴史的にみても日本人が桜に寄せる感性には古いものがある。
 日本で本格的に稲作が始まった弥生時代には、既に桜を穀物の神が宿る樹木として祀っていたそうだ。
 その頃は、桜の咲き具合で稲作の豊凶を占う習慣も生まれたらしい。
 最初桜の花は、愛でるというよりも儀礼的対象のものだったということになる。

 ところがその後中国の文化を積極的に取り入れた奈良時代になると、梅の花も日本に渡来した。
 実は春の花を鑑賞する習慣自体は、桜よりもこの梅の花のほうが先だったようだ。

 しかし次の平安時代になると、日本の文化を重視する風潮が生まれて古来から祀られていた桜の人気が高まったらしい。
 そして812年に、当時の嵯峨天皇が花見を開いたことがきっかけに宮中の年中行事とされるようになり、それが貴族間でも行われるようになったことが花見の起源となっている。

 花見と言えば、その木の下で宴会をするというイメージを持つ方も多いと思うが、この宴会をしながら桜を愛でるという習慣は、次の鎌倉時代に武家社会で定着したらしい。

 このように、鎌倉時代までは花見を行う人は政治に携わる人、つまりそれぞれの時代の上流階級の人たちだった。
 しかし戦乱の世が終わり、江戸時代になって平和な世の中になると、庶民にも花見の習慣が広がったが、その背景には治水対策で川沿いに桜が多く植えられたことがある。
 当時隅田川全域に堤防を作ることは不可能だったため、川の氾濫を防ぐ対策のひとつとして、川沿いに多くの桜が植えられたらしい。
 そこに庶民が足を運んで花見をするようになったことが、日本人全体に花見の習慣が定着した起源だと言われている。

 なお日本では、古来から言葉には「言霊(ことだま)」が宿るとして名前は大切に付けられてきたが、桜の名前はどこから来ているのだろう。
 一説では、日本書記や古事記に登場する神様である
   木花之佐久夜毘売
       (このはなのさくやびめ)
が、富士山の上空から桜の種を蒔いたという逸話があり、この神様の名前の一部である「さくや」が「さくら」に変化したというものがある。

 また、前述の桜を穀物の神が宿る神木としたということから、稲の言霊を表す「さ」という文字と、稲の精霊が降臨する場所を表す「くら」という文字をあわせて「さくら」になったという説もある。
 このように歴史的に見ても、名前の起源から見ても、桜は日本人のDNAに刷り込まれたひとつの文化とも言えるものではないだろうか。

 そして日本人であれば、先の大戦で多くの若者が護国の鬼神となり、桜の花のごとく散ってこの国を救おうとしたことや、死んだのちも
   靖国神社の桜の下で会おう
と誓っていたことも忘れてはならないだろう。
 その先に平和な世の中を生きる今の日本人がいる。
 全ての日本人に桜舞い散る季節に思い出してほしい史実だ。

 先日満開の桜の下歩いている時、ひとりの初老の男性が桜の下でジーッと長い間花びらを見つめていた。
 何気なく「綺麗ですね」と声をかけると
   そうですね
   今のうちに心に焼き付けて
   おこうと思ってですね
と返された言葉に少しひっかかるものがあった。
 言葉を返されたこともあり、つい
   写真撮らないのですか?
と重ねて話しかけたところ
   撮ってもしょうがない体
   ですから・・・
   末期のガンなんですよ
   写真はこの世でしか見れない
   でしょ?
   こうやってしっかり自分の眼
   で見て心にとどめておけば
   あの世に行っても見れる気が
   してね・・・
という返答に言葉を失った。
     初対面の人にそこまで話すだろうか。
     おそらく誰かに吐き出したくて出た言葉だろうと思いながら、静かに受け止めた。
 そうか、桜を見るといっても人それぞれだなと思いつつも、その男性が言った一言が長く心に刺さってしまった。
 桜の花の美しさを永遠に心に刻もうとしている人もいるのだ。
 写真など俗世間なことを聞いた自分を恥じいってしまった。

 ただ桜の花が咲く時期はほんの一瞬であるが、桜の木の樹齢自体は長く、山桜などの在来種であれば100年以上生きて、毎年花を咲かせるものもあるらしい。
 さしずめ桜の木は日本という国で、その木で咲いては散りを繰り返す花は我々日本人か。
    ちなみに日本の国花は、桜とともに皇室のシンボルとも言える「菊」の両方らしい。

 天皇を国家の象徴として支える国体を維持しながら、日本という木が長く生きながらえるためにも、それぞれの時代に生きる日本人が綺麗な花を咲かせ続けることが大切なのかもしれない。

皇室の菊花紋(十六葉八重表菊)

 

 

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