目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(26)

 <2018年2月>

 妻が話していた”離婚”という話題が気になり、確かめるべきか否か、迷いながらも、私は妻にLINEで確かめることにした。そのまま放置していたら、取り返しのつかないことになるのではないかという焦りもあった。
 退院して尚、小学生のドリルなんてやっているのを見て、将来が不安になるんじゃないか、やっぱり離婚は自分たちの事だったんじゃないか。そうだとしても、頑張るからもう少し待っていて欲しい、子供たちの成長を一緒に見守りたい。そう伝えると、妻は、私に不安を与えていることを詫び、また、私が率直に気持ちを伝えてきたことに感謝した。妻としては、自宅に寄っても、私が以前の様に会話に参加することもなく、別の場所で読書をしたりして、一人の時間に浸ってしまうことに不安を感じていたという。そういった私の態度の変化も後押しして、子供達の将来、金銭的な問題、色々な事を悪く考えてしまうのが自分の悪い癖だと、また詫びた。更には、私がまた家族の為に頑張る事で、身体を悪くするのではないかという心配もあると言った。そして、私がその後始まるリハビリで、きっと自分の後遺症の問題に直面して、戸惑うこともあるだろうと。妻から見れば、私は明らかに以前の私ではなくなっているというのだった。だが、それで私のことを想う気持ちに変化が起きて、離婚を考えたということではない様だった。
 私は、自分ではそこまで自分が以前と異なるとは思っていなかった。勿論、計算ドリルをやっている様な状態ではあったが、精神的にも思考能力としても、何ら変化は無いと思っていたのだ。妻に、一体何がそこまで変わったのかと聞くと、妻は、以前の様に色々なことを話さなくなったと説明してくれた。世間話や単なる受け答えではなく、世の中の問題や政治や、とにかく以前は誰も聞いていなくても、自分の目に入ったものや気になったものについて、すすんで持論を唱えるのが常だったのに、あたかも世の中のことや周りに全く関心がない様に、一人の世界に没頭しているというのだった。
 私は、この妻の発言に、一体自分という存在の意義は、そんなことでしか証明できないのか?と、ある意味、滑稽な話だと笑い飛ばしながらも、確かに過去の自分を振り返ると、そうだったなと自覚もした。そして、妻には、3ヶ月も現実の社会と隔絶されて、しかも意識も殆どなく寝起きしていれば、世間の問題などより、自分が今また家族とともに穏やかな暮らしを取り戻せていることの方が、ずっと重要だと説明した。
 以前、仕事や育児や色々なストレスで頭を埋め尽くされていた私に、人間は基本的に怒りを自分で生み出す生き物だとするビジネスパーソン向けの記事が、非常に納得感を与えてくれた。一つは期待通りにいかないことへの怒り、もう一つは怒りの原因を自分で思い出してはぶり返す怒り、最後は自分とは無関係の世の中の問題への怒りとしていて、これは仏教的考えをベースにしたものの様だった。
 退院後の私にとって、自分の生活や子供たちの将来に無関係だったり、そもそも自分のコントロールの行き届かない問題、ニュースで報じられる不祥事等の問題に対する怒りや不満などの瑣末な事柄は、自分が文字通り生き返って、健全な生活を送れる事以上の意味を成さなくなった。そして、2ヶ月近い寝たきり状態と小学生のドリルに純粋に取り組む生活は、40年の人生で私の中に蓄積された一切の負の感情や、いわゆる怒りの感情から解放するデトックス効果を発揮してくれた。
 結果的に、私のその穏やか過ぎる状態は、妻に強い違和感すら覚えさせるものになったのだが、妻はとにかくリハビリに行けば分かると思うと言って、私の自分で見えていない自分の変化に向き合っていく覚悟を問うた。そして私は、その時点で自分に出来ること、自分の元の能力を取り戻すことを短期的目標として、毎朝必ずドリルを進めることを自分に課すことにした。それは即ち、妻との関係を維持するための一つの重要な手段として捉えたのであった。

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〜次章〜覚醒


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