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宇宙領域の冷戦史『世界史を動かすスパイ衛星』(1990)の紹介

1992年9月、アメリカ国防総省は初めて国家偵察局(National Reconnaissance Office)の存在を認め、その活動の一端を明らかにしました。国家偵察局は、偵察、通信、観測などの機能を備えた人工衛星を管理、運用する組織であり、1960年代からソ連軍の情報を収集してきました。

それまでアメリカ軍は、偵察機でソ連領域を偵察しようとしていましたが、1957年にソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功したことを踏まえ、アイゼンハワー政権は1958年1月22日の国家安全保障会議の決定1846号において、偵察衛星の研究開発に最高度の優先順位を付与しました。こうして始まったのがコロナ計画であり、この計画に基づいてディスカバラー1号をはじめとする人工衛星の打ち上げが開始されました。

この計画によって、アメリカは宇宙領域からソ連を偵察する能力を獲得することになります。その歴史的な経緯をまとめた著作として、ジェフリー・リッチェルソンの『世界史を動かすスパイ衛星(America's Secret Eyes in Space)』(初版1990、邦訳1994)があります。

Richelson, J. T. (1990). America's secret eyes in space: The U.S. Keyhole Spy Satellite Program. HaperCollins Publishers.(邦訳『世界史を動かすスパイ衛星:初めて明かされたその能力と成果』江畑謙介訳、光文社、1994年)

ドワイト・アイゼンハワー政権は、偵察衛星に関する情報の保全を徹底することにしました。コロナ計画の詳細を秘匿するため、ディスカバラー・シリーズの研究開発では偵察とは関係のない科学的な意義が前面に押し出さていました。1960年8月19日、アメリカは数多くの失敗を重ねた後に、ディスカバラー14号によって軌道上で撮影された衛星写真を回収することに初めて成功しました。

その写真の解像度は15~30メートル程度でしかありませんでしたが、宇宙領域における偵察活動の歴史において画期的な出来事でした(邦訳、リッチェルソン、75頁)。アイゼンハワーは8月25日の国家安全保障会議でその成果を詳細に検討し、省庁の壁を越えた組織として国家偵察局を創設することを決定しています(同上、76頁)。その狙いはアメリカ空軍が、この偵察衛星で得た画像を独占することを確実に防止し、確実に情報共有させることでした(同上、76-77頁)。

1961年に新しい政権を発足させたジョン・F・ケネディは、国家偵察局の活動をさらに発展させるだけでなく、情報公開のあり方を再検討しました。あまりにも偵察衛星がもたらす情報が詳細であったことから、その情報収集の能力を秘匿する必要があると判断され、厳格な情報保全の仕組みが導入されています。1960年から打ち上げを開始した偵察衛星セイモスについても、アメリカ空軍軍人はその名前を口にすることさえ認められなくなりました(同上、82頁)。

メディアの眼を遠ざけつつも、ディスカバラー・シリーズの打ち上げと写真撮影、フィルム回収は続いていました。ケネディ政権にとって戦略的に重要な発見だったのは、それまでソ連が急拡大していると推定されてきた大陸間弾道ミサイルの存在が衛星写真で裏付けられなかったということです(同上、87頁)。ケネディは、大統領選挙ではソ連がアメリカに対して核ミサイルで戦略的優位にあることに懸念を表明し続けてきましたが、大統領に就任し、衛星写真から得られた情報に接するようになってから、その認識を大きく改めました。1961年9月の情報評価では、ソ連が配備している大陸間弾道ミサイルはわずか10基から25基しかないと見積もられ、しかも、その規模が直ちに急拡大する兆候はないと判断されました(同上、89頁)。

ケネディ政権の下でアメリカは偵察衛星が撮影した写真を定期的に入手できるようになり、その戦略的な意義に対する認識は深まりました。コロナ計画を秘匿する目的で使用されていたディスカバラーの名前も1962年以降には公的に使用されなくなり、プログラム番号で呼称する保全体制に移行しました。この時期から打ち上げも非公開で実施されるようになっています。

国家偵察局が運用する偵察衛星はキーホール(keyhole, KH)と呼ばれるようになり、1963年からは広域偵察を担うコロナ衛星(ディスカバラー)に加えて、アメリカ空軍が局地偵察を担うギャンビット衛星の打ち上げも始まりました(同上、110頁)。これは広い面積を偵察する広域監視と狭い範囲で詳細な偵察を行う精密偵察を組み合わせた偵察体制を確立するためであり、これによってソ連の軍事的能力がさらに詳細に把握できるようになりました(同上、119頁)。1970年5月にソ連が長らく中止していたミサイル・サイロの新規建設に着手したとき、アメリカがすぐにその動きを察知できたのは、このような偵察能力が発揮されたためでした(同上、138頁)。

冷戦の歴史において注目すべきは、リンドン・ジョンソン政権が、この偵察衛星の能力を用いて、アメリカとソ連との間の軍備管理交渉を進展させようとしたことです。軍備管理交渉の難しさは、双方が軍備を制限する合意を形成しても、それが適切に履行されているかどうかを検証することが難しいことでした。しかし、衛星写真を利用すれば、アメリカはソ連の領域に立ち入ることなく、その戦力の状況を確認できるとジョンソンは考えました(同上、146頁)。ジョンソンは、衛星写真を公開することも検討しましたが、国家偵察局はその方針に強く反対しました。しかし、ジョンソン政権が偵察衛星を軍備管理の検証目的で利用することは受け入れられました(同上、147頁)。1972年5月に第一次戦略兵器制限交渉(Strategic Arms Limitation Talks 1)が合意に大陸間弾道ミサイルと潜水艦発射弾道ミサイルの配備上限を設けることができたのは、こうした方針の転換があったためでした(同上、147頁)。

ただし、この時期のソ連はアメリカの偵察衛星の周回スケジュールを分刻みで把握し、衛星が上空を通過する時間には部隊や装備が宇宙から撮影されないように移動させる、あるいは施設に上に目隠しとなる屋根を設けるといった対策を講じるようになってきていました。これは偵察衛星の情報の質を低下させる事態であり、対策が必要でした。リチャード・ニクソン政権の下でソ連にその存在が察知されない秘密衛星の開発が始まり、長年にわたって続けられてきたフィルム回収方式が見直されることになりました。1976年12月19日に打ち上げられたKH-11は映像を撮影し、リアルタイムで地上に送信する偵察衛星であり、これは1969年にベル電話研究所でウィラード・ボイルジョージ・スミスが開発した電荷結合素子によって可能となりました(同上、167頁)。

KH-11は可視光線を集めて電荷に転換し、それを電気信号として通信中継の人工衛星に送信する最初の偵察衛星となりました。通信中継の衛星は、この信号をバージニア州にあるフォート・ベルボアの地上基地に送信し、そこで情報処理が行われるので、ソ連はどの衛星から撮影されているのかを知ることが難しくなります。このような偵察の成果として得られた情報の閲覧は厳重に制限されました(同上、170-171頁)。KH-11の性能はその後、さまざまな情報資料の獲得に繋がりましたが、歴史的に重要なのはソ連軍の核戦力に関する情報活動での成果でした。著者は、移動能力を持つ弾道ミサイルを監視することさえできたと述べています。

「ソ連はSS-25シクル・ミサイルの配備を続け、SS-24スカルペル・ミサイルの配備を開始していたから、KH-11は経常的にこれらミサイルの配備状況を写した写真を送り続けた。KH-11が送ってきた写真は、1988年1月から10月の間に、ソ連は三つの町の近くにある基地に10基のSS-24ミサイル・システムを配備し、その数を2倍に増やしたことを示していた。各SS-24用列車編制は、4台の発射機を含み、弾頭10個を持つミサイル4基と、次発発射用ミサイル4基を搭載していた」

(同上、253-254頁)

サイロに固定的に配備されるミサイルとは異なり、鉄道や車両で移動可能なミサイルを衛星写真で監視、追跡することは技術的に困難でした。しかし、KH-11の偵察能力はそのようなそのような移動目標を捕捉することを可能にしたという意味で、大きな技術革新でした。

この著作は1989年までのアメリカの宇宙活動をカバーしているものですが、翻訳にあたって著者はその後の偵察衛星の状況について新たな章を追加しています。そこで指摘されているのは、冷戦時代にアメリカとソ連によって寡占状況に近かった偵察衛星の能力が拡散しつつあるという点です。最初の兆候は1988年に実験衛星を打ち上げたイスラエルの事例であり(同上、331頁)、その後は韓国やアラブ首長国連邦なども偵察衛星の調達に関心を持つようになりました。著者は、アメリカは市場競争力を保つため衛星の輸出規制を緩和する必要に迫られているものの、国家安全保障上の必要性とのバランスを図るべきであるとも主張しています(同上、337)。

最近、日本でも長距離ミサイルの脅威に対処するため、偵察衛星の運用体制構築に向けた自衛隊の活動が活発になっています。このような時期だからこそ、冷戦がスペースパワーの時代であったことを確認し、それが戦略的にどのような意義を持っているのかを知ることが重要ではないでしょうか。

見出し画像: Space Force Senior Airman Samuel Becker

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