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覇権国はどのようにして衰退するのか? ギルピンの政治経済学的考察

アメリカの政治学者ロバート・ギルピンは、それまで支配的な地位を維持してきた覇権国が、新たに台頭してきた挑戦国に対抗することができなくなると、大規模な戦争が勃発するリスクが急激に高まると考えました。つまり、覇権国の衰退は、国際システムの抜本的な変化に波及する現象であるため、単なる一国の現象として捉えるべきではありません。それは必然的に世界の情勢に影響を及ぼすことになります。

この現象を理解する上でギルピンが用いた視点は基本的に財政の状態に向けられています。これは覇権国が国際システムの安定を維持するためには、その軍事的優位を維持できるだけの軍事支出を負担できなければならないためです。しかし、覇権国はさまざまな理由で赤字財政に悩まされるようになり、結果として国防予算の削減を行います。そのことが国際システムの変化へと波及していくのですが、その根本的な原因を探ると、経済的余剰の不足という現象があるとギルピンは論じています。

「国際システムの支配は、支配的な強国もしくは強国群に経済的な利益(歳入)をもたらすが、支配は人的・物的資源上の費用も発生させる。国家は支配的な地位を維持するために持てる資源を軍事力、同盟諸国への資金援助、対外援助、国際経済の維持に伴う諸経費に支出しなければならない。これらのシステム保護と関連費用は、生産的な投資ではない。これらはいずれも、支配的強国にとっては経済的な流出である。したがって、支配のためには、継続的な経済的余剰がなくてはならないのだ」

(邦訳、ギルピン、149頁)

ギルピンの見解を理解する上で重要なのは、この経済的余剰を生み出し続ける覇権国の能力は長期的に見れば必ず低下していくとされていることです。衰退は特定の覇権国に限った現象ではなく、あらゆる覇権国は衰退の問題に向き合わなければなりませんでした。そもそも、覇権国は軍事的、経済的な能力に優れているからこそ、その地位を獲得することができたといえますが、この地位は何らかの技術的基盤の優越に支えられていることが普通です。ただ、技術競争が続くにつれて、先発国は後発国に追いつかれるようになり、次第に不利な立場に置かれます。この技術競争の結果が産業技術に波及すると、その覇権国の競争優位は縮小し、経済成長を鈍化させると考えられています(同上、152頁)。

経済発展を遂げた社会では優秀な軍隊を維持することが高くつくということも指摘されています。経済が発達するにしたがって、軍隊の費用が増加する傾向にあることを最初に指摘したのはギルピンだけではありませんが、彼は経済発展で民間人の生活が豊かになると、多くの人々にとって軍人のキャリアは割に合わないものとなり、軍隊に留まる人材は教育水準、技能水準が低い労働者に偏るようになっていくと指摘しています(同上、154-5頁)。つまり、政府が軍人に高額な報酬を用意できなければ、軍隊は民間の企業に人材を奪われ、部隊の能力が低下します(同上、155頁)。こうした人材をめぐる軍隊と企業の競争は、大規模な戦力を維持しなければならない覇権国にとって重い財政的負担となります。

政府支出に占める社会福祉関連の費用が増大することも覇権国衰退の重要なシグナルであるとギルピンは論じています。「社会がより豊かになるとともに、一般に民間と政府双方の消費が国民総生産よりも早く成長する傾向がある」と述べられていますが、これは経済の成長速度を超えて社会保障の負担が膨張するという意味です(同上、155頁)。社会保障が充実すると、例えば高所得者だけが利用できた医療サービスが、低所得者でも利用できるようになりますが、このような公共支出が経済全体よりも速く拡大するようになると、増税などを行い、企業や国民の税負担を増加させる事態に繋がるので、長期的には経済成長を鈍化させる要因になってくるとギルピンは述べています(156-7頁)。

ギルピンは、貿易や投資との関連にも触れています。覇権国の多くは、その軍備を維持するために、国際的に有利な貿易、投資の環境を整備し、経済成長に並ぶ経済的余剰の重要な源泉としてきました。「近代の支配的な強国は、覇権の負担を急速な経済成長と、国際的に有利な交易条件と投資条件によって賄ってきたのである」とギルピンは書いています(同上、162頁)。したがって、覇権国にとって貿易や投資の収益性が低下することは、財政的な困難を引き起こす事態に繋がります。この意味において、世界経済の一体化と成長には政治的な意義がありました。19世紀のイギリスは産業革命の技術的成果に基づいて世界の工場として純輸出を伸ばしていたので、その覇権国の地位を維持するために必要な防衛を負担できていましたが、1870年代にアメリカやドイツで工業化が始まり、競争環境が変化すると、国際収支が悪化するようになりました(同上、164頁)。

経済成長が鈍化することの影響は単純に歳入の面だけに限定されるわけでもありません。経済成長が鈍化すると、国内の政治のパターンも変化し、対立が先鋭化しやすくなると論じられています。経済成長が続く限り、つまり社会全体の所得が増え続け、富の総量が増加している限りは、国内の亀裂を緩和することができますが、「貢納の流入や経済成長が鈍化すると、経済的余剰の相対的な取り分をめぐる紛争は、紛争が結果的に社会全体の福祉を損なうことがわかっていても激しくなっていく。結果として、衰退期の特徴は多くの場合、国内的な社会的・政治的紛争の激化であり、そしてそれがまたさらにその社会を弱めるということだ」と述べられています(159頁)。ギルピンは、かつてのイギリスがこの衰退のパターンに入ったが、将来のアメリカでも同じことが起こるかもしれないともコメントしています(同上)。

ギルピンは覇権国の衰退にはさまざまな要因が関連しており、ここで挙げた以外にも国際的な要因も作用すると考えていました。ギルピンの研究でその全体が解明されたわけではありませんが、彼は覇権国の国内政治と国際政治がいかに相互に影響を及ぼし合うかを巧みに取り上げています。現在、覇権国としての地位にあるアメリカの国内情勢、特に政治と経済の状況は楽観できるものではなく、国際情勢の動向を考える上で常に考慮に入れておく必要があるでしょう。

参考文献

ロバート・ギルピン『覇権国の交代:戦争と変動の国際政治学』納家政嗣監訳、徳川家広訳、勁草書房、2022年

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