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なぜ戦争で民間人が攻撃されるのか?『戦争で民間人を標的にする』(2008)の紹介

国際法では戦時であろうとも軍隊が敵国の民間人を意図的、計画的に攻撃し、殺傷することは容認されていません。それは倫理的、道義的に避けるべきことだと見なされています。それにもかかわらず、現実に戦争では多くの民間人が意図的に攻撃目標とされており、それによって命を落とすことも珍しくありません。ジョージ・ワシントン大学のAlexander B. Downes教授は『戦争で民間人を標的にする(Targeting Civilians in War)』(2008)の中で、民間人を標的とした攻撃が実施される理由について考察しています。

Downes, Alexander. (2008). Targeting Civilians in War, Cornell University Press.

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交戦国が民間人を計画的に殺傷する理由に関しては、すでに複数の理論が発表されています。例えば、これまでの研究では政治体制が権威主義であること、敵を「野蛮人」と見なしていること、その国の軍隊の過去の経験を踏まえて、民間人を標的にすべきと考えていることなどが民間人の意図的な殺傷に繋がるとされてきました。著者はいずれの説明にも欠陥があると指摘しており、過去2世紀の国家間戦争と植民地戦争の事例を踏まえれば、まったく異なった2種類の理由を検討する必要があると述べています。

第一の理由として、敵の民間人に攻撃を加えることにより、戦局を好転させようとしていると著者は述べています。著者の視点によれば、長期戦が続いて損失が続出している交戦国は、損失の拡大を避けるために敵の民間人を攻撃してきます(p. 29)。これは必ずしも劣勢な交戦国だけに当てはまる議論ではありません。優位に立っているとしても、人的な損害の拡大を恐れる場合、民間人を標的にすることは十分に考えられます。戦時下の指導者は少しでも小さな費用で戦況を改善できる方策を探すために、道徳的な判断を見直し、民間人への攻撃を容認するようになると考えられます(p. 31)。このような戦略は損失が累積するにつれて採用されやすくなるものであり、当初から採用されることはあまりないといえます。

第二の理由として考えられるのは、敵の国民が居住する領土を征服し、自国の領土の一部として併合しようとしている場合です。これは新たに獲得しようとしている領土で既存の住民が治安を攪乱する存在になる恐れがある場合に現れやすい行動パターンであり、短期間で集中的な攻撃が実施される傾向にあります。著者は、地域住民の民族構成が複雑に入り組み、一部の民族集団が他の民族集団に対して支配的地位を占めようとする戦争では、民間人が標的とされやすくなるだろうと論じています(p. 35)。

ただし、必ずしも交戦国が民族的アイデンティティだけで攻撃の標的を選ぶとは限りません。イデオロギーによって攻撃すべき標的を選択する場合もあり、また武器を使った攻撃だけでなく、強制移住や民族浄化に手を染めることも考えられます(Ibid.)。

著者は、これら2つの要因の影響が強まると、交戦国は民間人に対する攻撃を行うと説明していますが、前者の要因に関しては消耗戦に該当するかどうかの判断が関係するため、その定義に注意を払う必要があります。19世紀の戦争を調べると、民間人が居住する都市を軍隊で攻囲し、彼らを集団で餓死させることにより、堅固な都市を攻略する戦法がとられてきました(p. 37)。残酷な戦い方ですが、これは味方を安全な陣地にとどめ、敵が待ちかまえる市街地に突撃させずに済むので、損失を最小限にとどめることが期待されます。

著者は、戦争の全期間を通じて攻囲のように部隊が機動する機会があまりない場合、つまり陣地にとどまり戦闘を遂行することが一般的になっている場合に消耗戦という用語を用いています(p. 59-60)。軍隊の運用という観点から見れば、これは一面的な定義に思われますが、著者は対ゲリラ戦が生起したケースについても消耗戦と見なしていることからも分かるように、この概念をかなり広い意味で解釈しています。

著者は自説を裏付けるために、定量的分析と定性的分析を組み合わせて証拠を提示していますが、日本の読者にとって特に興味深いのは第4章の「第二次世界大戦における戦略爆撃」だと思います。第二次世界大戦の末期に日本はアメリカから繰り返し戦略爆撃を受けており、そのたびに都市部で多くの民間人が死傷しました。アメリカの国民の多くが戦略爆撃で日本の民間人が多数犠牲になっていることを認識していましたが、戦争が長期に及び、戦闘の損失が増加するにつれて、それは容認されるようになっていきました。1944年のサイパンの戦いでアメリカ軍は勝利を収めましたが、3,426名の戦死を含む14,111名の損害を被っています。

また、1945年の硫黄島の戦いでは、6,913名の戦死を含む24,733名の損害が発生し、続く沖縄戦では12,850名の戦死を含む51,450名の損害が出ました(p. 121)。このような人的損害の増加はアメリカ軍の優勢を揺るがすものではなかったものの、決して小さな損害ではありませんでした。もしアメリカ軍が日本の本土へ侵攻したならば、さらに大きな損害が出ることが懸念されており、これを避けるために民間人に対する攻撃もやむを得ないと判断されるようになりました。アメリカ陸軍の参謀総長だったジョージ・マーシャル陸軍大将は、1944年7月のサイパンの戦いの結果を踏まえ「太平洋における最近の作戦の結果として、対日戦を迅速に終結させるためには、日本の産業中枢を攻撃することが必要となるだろう」と述べていました(Ibid.)。広島、長崎に対して原子爆弾を使用したことも、このような意思決定の延長として理解できると著者は主張しています。

著者は自説の妥当性にどのような限界があるのかを評価するため、あえて反証となる事例である湾岸戦争を取り上げています。1991年2月13日、F-117はイラク軍の指揮統制システムの設備が置かれているという情報に基づき、アル・フィルドスのシェルターを空爆していますが、その時点では数百人の民間人がそこに避難していたことを中央軍の司令部は把握していませんでした(p. 222)。アメリカ政府はこの事件の後でイラクの特定地域に対する空爆を一時的に禁止する措置をとっており、再発防止などの対応に追われています。著者がこの事例を調査したところ、1月17日の時点でアメリカ軍が発起した大規模な攻勢が順調に進展していたので、当時、クウェートを占領していたイラク軍は劣勢に立たされ、民間人を攻撃目標にせずとも戦争を短期間で終結させることができるという見通しが立っていました(pp. 219-220)。事実、1991年2月28日に戦闘は停止されており、アメリカは戦争目的であるクウェートの解放を実現しています。

この研究で個人的に興味深かったのは戦争の費用が時間の経過とともに累積するにつれて、指導者の民間人に対する攻撃の許容度が少しずつ高まっていく傾向があることが示されている点です。これをより一般的な形で捉え直すと、戦争の長期化がエスカレーションの進行を容易にすることを示唆しており、戦争の今後を分析する上でどれほど長く戦闘が続いているかにも注目することが重要であると分かります。

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