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論文紹介 古代・中世の欧州で書かれた軍事学の古典に共通する意外な特徴

ヨーロッパでは古くからさまざまな軍事学の著作が書かれてきましたが、古代から中世までの時期に限定すると、その内容から二つのタイプに区分できます。一つ目のタイプは戦例集であり、過去に起きた戦争の経験で教育や研究に適したものを記録した兵書です。二つ目のタイプは教範であり、これは一般的な状況を想定した上で、具体的な方法や原則をまとめた兵書です。

これらの古典の内容をさらに調べていくと、軍隊の士気を高めるために、指揮官が弁論の技術を駆使すべきであるという主張が繰り返し現れることに気が付きます。現代の軍事学の文献でも統率、リーダーシップの重要性を説いたものは少なくありませんが、弁論術について長々と論じるものは非常に珍しいと思います。

この記事では、古代から中世のヨーロッパで書かれた軍事学の古典が戦意を高めるために、どのような弁論の技術を必要としていたのかを明らかにした研究論文を取り上げ、その内容に沿って軍隊の弁論術に関する記述の変遷を簡単に紹介したいと思います。

古代から中世のヨーロッパの軍事学の歴史に名を遺した研究者に興味がある方にも一読をおすすめします。

John R. E. Bliese. (1994) Rhetoric goes to war: The doctrine of ancient and medieval military manuals, Rhetoric Society Quarterly, 24:3-4, 105-130, DOI: 10.1080/02773949409391022

フロンティヌス

セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス(40?~103)はローマ帝国で数多くの重要な公職を歴任した政治家でした。フロンティヌスには軍務の経験があっただけでなく、戦史に関して詳細な研究を行う能力もあったようですが、その成果をまとめた著作は一部失われており、その残部が『Stratagems』として伝わっています。この著作は4巻本であり、1巻から3巻までは間違いなくフロンティヌスの著作であることが確認されています。しかし、4巻に関しては他人の偽作である可能性が高いとされています。

フロンティヌスは『Stratagems』に数多くの戦例を集めていますが、その序論で彼は戦争では、指揮官の演説で部隊が戦意を高め、目覚ましい戦果を上げることがあったという理由を挙げ、指揮官の言葉も記していると説明しています。例えば、ローマの軍人ユリウス・カエサル(前100~44)は、ガリア戦争で敵を攻撃しようとしたときに、第10軍団の勇敢さを称え、第10軍団だけで攻撃を行うと宣言しました。この手放しの賞賛に他の軍団の兵士は愕然とし、第10軍団の兵士は期待に応えようと士気を高めたとされています。

ポリュアイノス

ポリュアイノス(2世紀?)はローマの法律家であり、戦史の研究にも取り組む著述家でした。彼が書き残した『Strategemata』は軍隊の指揮官が参考とするべき戦例をまとめたものであり、もともとは900の逸話が事例として盛り込まれていたようですが、今日に伝わっているのは830だけです。ポリュアイノスもフロンティヌスと同じように、部隊を前にした指揮官の演説が戦場における成功に寄与すると考えられており、何人もの指揮官の言葉が記されています。

例えば、テーバイの将軍エパメイノンダス(前420?~362)はスパルタ軍との戦いの前に、部隊を前に大きな蛇を作り、その頭部を叩いて見せたことがあります。そして、彼は「頭さえ潰せば、それ以外の体がどれほど無力であるかが分かっただろう。連合軍の頭、つまりスパルタを叩けば、その他の盟友の力は大したものではないだろう」と話しました。作戦の意義を分かりやすく伝えるために、聴衆の視覚に訴える要素を取り入れた事例として見なすことができるでしょう。

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