見出し画像

藤原道長の末裔なり

はじめまして。
今年、2024年からNHKで放送されております大河ドラマ「光る君へ」に登場する藤原道長の末裔"ナナ"にございます。

いきなり、藤原道長の末裔が出てきて…胡散臭いと思われるかもしれませんが、私自身自分のご先祖さまの中に藤原道長がいたという事を知ったのは、この大河ドラマが始まってすぐの事でした。

逆をいえば、このタイミングで自分のご先祖さまのことを知ったという事に何か意味があるのではないかと感じ、このnoteを始めた次第です。

さて、前置きが長くなりました。
ここからは、自分のご先祖さまの中に藤原道長がいた事を知った経緯と、その裏付けについてお伝えしてまいります。


「ご先祖さまを知った経緯」

我が家には昔から、住んでいる集落の同じ苗字の世帯が集まりご先祖さまを奉る「せんそ奉り」なるものが、年に数回行われておりました。

その奉りの際に奉納する巻物があります。
正直言いますと…私は自分のご先祖さまに興味がなかった。
いえ、もっと本音を言いますと…どうせたいしたご先祖さまじゃないだろう。と思っていましたもので、その巻物を見たいと思ったこともありませんでした。

しかし、昨年辺りから急に自分のご先祖さまについて知りたいと思うようになりました。
特に意味はありません。なんとなく、そう思ったのです。

そして、今年2024年の1月に行われた「せんそ奉り」で奉納される巻物を見せてほしいとお願いし、初めてその巻物を開かせてもらったのです。

「巻物に書かれていたこと」

巻物を開くと、中は家系図でした。
そもそも、巻物の中に何が書かれているのかも全く知りませんでした。

巻物はまず「天児屋根命」から始まります。
(この辺りの話は、また後日)
教科書に載っているような有名どころだと「中臣鎌足」「藤原不比等」「藤原冬嗣」「藤原道長」「藤原頼通」あたりでしょうか。

つまり、天児屋根命から始まり藤原頼通の流れが私のご先祖さまであるということが記されていました。

「藤原頼通…その後」

今のところ、大河ドラマ「光る君へ」には出てきておりませんが歴史の教科書で習う通り「藤原道長」の子供「藤原頼通」も歴史上の人物です。
我が家の家系図をみると、「藤原頼通」の子供の代で苗字を今の苗字に変えています。
華やかだった藤原姓時代から、今の庶民に至るまでの流れが記されています。

ただ、具体的に何がどうなってこうなったのかまでは記されていないため個人的に調べてみました。

「藤原頼通」には養子に出した3人の実子がいます。それが、私のご先祖さまの流れでした。

養子に出されたため、姓名も変わっており位も下がっています。

歴史の書物にも、養子に出された実子たちのその後の情報がほとんど残っていないそうです。

しかし、我が家の家系図には頼通の養子に出された実子のところに「鎌足十五代之嫡孫也」と記されています。

また、源頼政や頼朝将軍に土地をもらった事なども記されています。

戦国時代あたりからどんどん力を失って現在の集落に移り住んだといった感じです。

「腐っても藤原」

養子に出され、苗字も変わったご先祖さまですが…家系図には家紋は「下り藤」と記されたうえで、替家紋が記されており現在は替家紋の方を使用しています。

また、戦国時代に移り住んだこの土地に「藤」の文字を取り入れた名前を付けており、現在もこの土地をその名で呼んでいます。

巻物を残し、せんそ奉りを風習にして祖先に「我一族は藤原である」ということを必死に残そうとしてきたご先祖さまの強い想いを、私は巻物を見て初めて感じました。

「ご先祖さまにありがとう」

なんだかんだ言って、私はご先祖さまが残してくれたこの土地を心の底から気に入っています。
鳥が鳴き、小川が流れ、四季折々の花が咲き乱れ、とても心地の良いこの地はきっとその昔ご先祖さまが開拓してくれたのだと思います。

地位や名誉は、等の昔になくなってしまっていますが決してなくならない安住の地と自分達のルーツを残してくれたご先祖さまたちに心から感謝しております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?