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古本は、タイムスリップだ。 

わたしは古本が好きです。
買う本のほとんどが、じつは古本。
安い、というが1番の理由です(^^)
でも、もうひとつ理由があって、
古本は、タイムスリップだと思うんです。

深田久弥の「日本百名山」。
2年ほど前に古本屋で買いました。

後ろを見ると、消費税がない。
奥付を見てみましょう。

「昭和53年11月27日発行
 昭和62年11月25日18刷」

消費税は平成元年に導入されたから、まだこの頃は表示されていないんですね。

初版は昭和39年ですが、著者の深田久弥は、百名山に選んだ山々の多くを戦前や大正時代に登っていたようです。その頃は登山する人もそんなに多くなかったようで、厳かで静かな山行の様子が描かれています。
初版が刊行された昭和30年年代は、日本がどんどん豊かになり、昭和の登山ブームもあって、山も観光地化されつつあった時代なのでしょう。読んでいると、深田久弥が昔を偲び、山の姿が変わりゆくのを嘆いているのが伝わってきます。

わたしはあまり山に登りませんが、いくつか書かれている周辺をうろうろしたことがあり、そのときの記憶が浮かんで懐かしくなりました。
深田久弥が歩いた頃に想いを馳せ、昭和30年代の様子を想像する。(わたしが生まれたのはもう少しあと)
そして自分が訪れたときのことを思い出す。
まるでタイムスリップのように、次々といろんな情景が浮かんできて面白い。
これが古本だと、また一段と面白さが深まります。

この本を買ったひとは、昭和末期のバブルが最高潮の時代に読んだんだなぁ。
山周辺は、初版の昭和30年年代より、もっと観光地化されていただろうなぁ。
どんなことを思いながら読んだんだろう。
いくつくらいのひとだったんだろう。
昭和の登山ブームも登ってたのかなぁ。
どこの山に登ったんだろう。
っていうか、なんでバブルの時代に読もうと思ったのかなぁ。

とまぁ、かつての持ち主をあれこれ想像して妄想が止まりません。
深田久弥が山を歩いた大正末期から昭和初期、かつての持ち主が生きた昭和と平成(勝手にいろいろと思い込んでいる)、そして令和の世にわたしの手に渡るまで、頭の中はいろんな時代にタイムスリップしながら一大スペクタクルです。
本と妄想が両方楽しめて、ああ、古本は面白い!


もう一冊、我が家には、すんごい古本があります。
それは、村上春樹の「国境の南、太陽の西」。

奥付を見ると、
「1995年10月15日第1刷発行
 2000年3月31日第16刷発行」
と書いてあります。
たしか、わたしがこの本を古本屋で買ったのは2003年頃。
カバーと本が外れないようにテープで貼られていて、あれ?と思った記憶がありますが、あまり気にせず買いました。

あらすじを簡単に説明しますと、

「小洒落たバーを経営し、絵に描いたような幸せな暮らしを送る妻子ある男が、かつて好きだった女性と再会して恋に落ちるお話」

とまぁ、こんな感じ。
村上春樹が苦手なひとには、たぶん蕁麻疹が出るような小説ですが、わたしは大好きなので楽しく読み、満足して本棚に仕舞いました。
それから軽く干支がひと回りした頃、ふと本を手に取ると、カバーが少し破れていて、表紙には赤い文字がびっしりと…。
思わず、放り投げてしまいました。
脳裏に浮かぶのは、

「呪」

の文字。もしかしてヤバイ本だった…⁇

恐る恐る本を手に取り、劣化したテープを剥がしてカバーを外すと、なんと書かれていたのは、

「○へ」

と、大切なひとへの想いが綴られた手紙でした。

名前がバッチリ書いてあるので、ぼかしています。

まとめると、以下の通り。

この手紙を書いたAくんは、○さんとBくんと仲良し。
だけど、○さんがAくんor Bくんとより親しくなってしまい(おそらくBくん?)、3人の関係が壊れてしまった。
Aくんは、○さんに、3人の関係が壊れても自分の気持ちに正直になってほしい、そして今の辛い状況を乗り越えてほしい、と願っている。

いやーん、甘酸っぱい♪♪

手紙の内容から、この3人はまだ若い。高校生か大学生くらい。
青春の三角関係ですよ(//∇//)

でも、ここでいろんな疑問が浮かんでくるのです。
○さんは、この手紙に気付いたのだろうか。
気付いていながら、古本屋に売ったのだろうか。
それとも、Aくんが悩んだ末、本を渡せなくて、手元に置いておくこともできず売ったのか。
古本屋は、手紙が書かれていることに気付いていたのだろうか。
そしてAくん、なんでこの本にしたの?
君たちが読むにはちょっと重くないか?
もっと相応しい本があったんじゃない⁇

そして1番の疑問は、○さんは、果たして男性なのか、女性なのか。
○さんの名前が、たとえば「純」とか「薫」とか、男女どちらにもいそうな名前なんです。
強いていえば、男性のほうが多そう…?
となると、この3人は、恋愛のもつれではなく、友情のもつれ…?
いや、やっぱり、恋愛のもつれなのか…⁇

青春の甘酸っぱさより、もっと胸に迫るものを感じて、どんな形であれ3人が幸せであることを願うばかりです。

もう、わたしの妄想は留まるところを知らず、Aくんがこの本を手にした2000年頃にタイムスリップです。
たしか街には、小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」や、福山雅治の「桜坂」が流れていたはず。
女子は茶髪に細マユ、男子もなんとなくチャラくて、でも恋愛や友情にはけっこう真面目で。
教室で、駅のホームで、公園で、ふざけて騒ぐ3人。(ここは男女男でも、男男男でも、お好きなように)
でも、いつのまにか、少しずつバランスが崩れていく。
ぎこちなさを感じながら、気づかないふりをする3人。
ある日、Aくんは、村上春樹の「国境の南、太陽の西」を本屋で手に取る。
題名に惹かれたのか、カバーのデザインに惹かれたのか。
読みながら、小説のどの部分に心を揺さぶられたのか。
読み終わったあと、Aくんは、表紙に手紙を書こうと思い付く。
○さんには、何と言って渡したのだろう。
たぶん、「お前にこの本の良さが分かるかぁ? がんばって隅々まで読み切れよ〜⤴️」とかなんとか、茶化しながら渡したと思う。
○さんは、きっと読んだだろう。手紙にも気付いただろう。
たぶん、このとき、3人の関係はすでに終わっていただろう。
○さんは、思い出を封じ込めるようにカバーと本をテープで留める。そして古本屋へ持っていく。
季節が何度か変わり、古本屋に並べられたこの本をまったく関係ないわたしが買って、能天気に読み、そのまま本棚に仕舞う。
そして3人の思い出は、永遠に本の中で眠る…。

きゃー、もうこれは映画じゃん!!

手紙の最後は、こんな言葉で終わっています。
(Aくん、勝手にごめん!)

「思い出になったころ 皆でまた集まって騒げる日が来ることを願って。」

Aくんが、この頃に一度だけタイムスリップできるとしたら、いつ戻りたいだろう。
3人で騒いでいた頃だろうか、思い出になった頃だろうか。
もしかしたら、戻りたくなんかない、とタイムスリップを拒絶するかもしれない。
きっとタイムスリップは、本の中でひっそりと、まったく関係ないわたしの手元で眠っているのがいいのかもしれない、と妄想します。

古本は、作者とわたしと、その間に存在した誰かを偶然に引き寄せて、思いも寄らない物語を見せてくれることがあります。
だから古本、大好きなんだよねぇ!!

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