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熱中コンプレックス

こんにちは。滝口です。

今日はちょっと変わったコンプレックスについての話です。

ずっと言語化できなかったし、つい最近まで自分の中でも問題意識にすら上がっていなかったのですが、まとまったので書いてみます。むしろまとめるために書いています。

基本的には僕の経験談なのですが、共感してくれる人もいるのではないでしょうか。(約4500字あります。長いのでお時間あるときにお読みください。)

熱中コンプレックスとは

この言葉は僕が考えた造語です。既に存在していたら誤用になってしまうかもしれませんがお許しください。
ここでいう「熱中コンプレックス」とは簡単に言うと
「夢中になれるものがない」
「全力を注げる趣味がない」
ことに対して何らかの劣等感を感じている状態のことです。

皆さんには心の底から夢中になれるものがありますか?

僕のnoteを読んでくださる方は出版関係者が多いので、「本が好き」「作家さんが好き」という方は多いかもしれません。休日にゆっくり大好きな作家さんの本を読むことを何よりのモチベーションにしている人もたくさんいそうです。

向上心あふれる方は休日も何か資格やスキルの勉強をして、自身の成長に全力を注げることもあるでしょう。

毎週末アウトドアに行くのが何よりの幸せ。

大好きなミュージシャンのライブが心の支え。

お酒が大好き、食べることが大好き、歌うことが大好き。

人生において一生はなさないライフワークのようなものを持っている人は、少なくないのではないかと思います。

でもこうした他人の好きなものや生きがいを見るたびに、僕の心の中はざわつくのです。
「僕にはそんなに夢中になれるものがないな」
「そっかー、好きなもののためならそんなことまでできちゃうんだ」
こうして抱かなくていい余計な劣等感を抱きます。

無趣味より多趣味に多い熱中コンプレックス

熱中コンプレックスの人(僕)は、何も趣味がないわけではありません。

ご存じの通り村上春樹は大好きだし、毎年冬にはスノーボードに行きたいし、耳からは年中イヤホンが飛び出ているし、料理も好きだし、アニメも1話見始めると1クール全話見ないと止まれなくなります。思い付きでランニングや筋トレ初めて肉体改造に励んだり、狂ったように家の掃除を始めたりします。山登りやキャンプといったアウトドアも好きだし、勉強するのもそこそこ好きです。

そして別に普段の生活において無気力であったり、「つまらない」と思うことはほとんどありません。集中力はあまり自信がないけれど、人並みに作業をこなしたり、受験勉強したり、その程度の力はあります。

ただ「何物にも代えられない喜び」がない。

熱しやすく冷めやすい器用貧乏。多趣味であるがゆえにどの分野も突き抜けられない。

例えば村上春樹。
確かに大好きだし、あってみたいなと思うけれど、「サインほしい」とはあまり思わない。
音楽だったら
年がら年中聞いているけど、フェスやライブに行きたいとはあまり思わない。(いったことあるけどまた行きたいとはならない)
料理に関しても
毎日自炊をするし、おいしいもの作るのは楽しいけれど、凝った調理器具や食材を使って週末にぜいたくなご飯を作ることはしない。実際僕のうちにはオーブンも計量カップもキッチンタイマーもありません。

おわかりいただけたでしょうか?
「自分にはコレ!」というものがないんです。

別になくたって楽しく生きていくことはできますし、実際楽しく生きている人もいます。

ただどうしても
「まだ出会っていないだけなんじゃないか」という気持ちがぬぐえないのです。
僕の多趣味は、たった一つの心に決められるものを探すために、道に迷った結果なのです。

「運命の○○」の呪い

このコンプレックスは、僕自身の問題であると同時に、社会全体の見えない問題のような気もします。

心に決めたライフワークとの出会いは、運命の人との出会いに似ています。

「まだ出会っていないだけ」

そう思っていろんな人との交際を重ね、どんどん自分がわからなくなっていく。そうやってこじれていく人がいるのと同じように、熱中コンプレックスの人も自分の大切な何かを探してさまよいます。

その結果得られるものは中途半端な大量の特技。
・フランス語(ほんのちょっと読める)
・英語(道案内できるレベル)
・世界遺産検定2級
・キャベツの千切り
肩書は「器用貧乏」。

人に自分の趣味を勧めた結果、相手のほうがのめりこんでしまったことが何度もあります。少女漫画で言うなら「私のほうが先に好きだったのに…!」みたいなやつですね。(少女漫画も好きです)

そんなことが何度も何度も重なって、熱中コンプレックスはできあがります。

だから正直「趣味は?」って聞かれるのが苦手なんです。
だって自分の中で「これだ!」って思えるものがないから。
「最近はまっているのは?」という問いには割とすんなり答えられます。

ディズニー映画によくある「運命の人」というフレーズ。
待っていれば、探し続ければ「運命」と出会えるはずだという暗黙の共通認識。多かれ少なかれみんな持っているのではないでしょうか?
その「みんな当然好きなものぐらいもってる」という空気感が熱中コンプレックスを刺激します。

先の恋愛の例でいえば
「好きな人ができない私はおかしいんじゃないか」
「相手を知れば知るほど運命ではなくなっていく」
そんな焦りが生まれます。

「当然こうであるはず」という思い込みによって苦しい想いをしてしまう人がいるのです。

「他人と比べない」ができない

基本的に熱中コンプレックスの人は他人の趣味をうらやみます。「そんなに熱中できるものがあっていいな」と思ってしまいます。

「そんなの気にしなくていいじゃん。なんで他人の好きなものうらやむ必要があるの?」という声が聞こえてきますね。

まったくもってその通りなのです。
まったく比べる必要はない。そんなことはわかっています。わかっていてもそれができない。比べずにいられる人というのは、自分自身も熱中できる何かを持っている人なんです。

「自分にはこれがある。だから他人と比べる必要なんかない」
「週末には大好きなライブが待っている。だから今週頑張ろう」
と思える。

「熱中」は時として心の寄る辺になるのです。
それがない人間はいざというときに不安定になります。

例えば近い将来、人間が働かなくてもいい世界が来るといわれています。人類は大いなる暇を手に入れて、その暇と戦うことになると。

僕はそんなに莫大な「暇」に立ち向かえる武器を持っていません。何かを突き詰めた経験もないから誰かに与えられるものも少ない。

そんな僕の心の支えになるのは「他人からの評価」しかないのです。
「人に褒められたい」
「認められたい」
「信じてもらいたい」
「頼られたい」
この感情が僕のモチベーションになっているのです。

だから
「他人と比べるな」
という言葉が僕を苦しめます。

言っていることは正しい。他人と比べても意味はないし、精神衛生上よくないこともわかっています。でも、それでも、絶対評価を持たない人間にとって、他人からの承認は唯一の心のよりどころであり、それを失うことは人生の喜びを失うことと同義です。

僕は別に周りからの承認をモチベーションにしたっていいと思うんです。それが自分の成長につながるなら。僕自身今までそうやって頑張ってきました。

勉強を教えられたら頼ってもらえる。
明るく前向きな発言をしていたらいろんな人から相談を持ち掛けられるようになる。
就活を頑張って内定もらえたら今度は就活生のサポートができる。

「誰かのためになにかをする」(そのことによって承認・感謝される)ことが何よりのモチベーションになって、結果的に僕は今まで大きな挫折もなく歩んできました。

絶対的な心のよりどころがないから、周囲との関係で自分を位置づけるしかない。
熱中コンプレックスの人に対して「他人と比べたって意味ないよ」というのは
映画が大好きな人に「映画なんて見たって時間の無駄じゃないか」というのと同じです。

意味なんてなくたって、それをせずにはいられないし、おそらくは相手のためを思って放ったその言葉が当事者を深く傷つけるのです。

僕の長所は熱中コンプレックスから生まれた

これまで熱中コンプレックスについてネガティブな話をしてしまいましたが、僕は別に今の自分が嫌いなわけではありません。
「こういう人もいるよね」「こう思う人もいるんだよ」
と伝えたいから書いています。
実際、熱中コンプレックスは僕に大きな武器を与えてくれました。

先にも書いた通り、僕は今までたくさんのものに熱中しようとして、他人に勧めて、簡単に追い越されてきました。

村上春樹にはまって(この時はマジで「見つけた!!」と思った)、たくさんの人に勧めました。
今思えば、他人に勧めるという行為自体も「自分はついに熱中を見つけた」というアピールでしかなかったのかもしれません。
そうやって村上春樹を勧めた友人の中から、案の定僕よりも村上春樹を好きになった人がいました。それ自体は別に喜ばしいことなんです。さすがに例の少女漫画みたいに嫉妬したりしません。

このようにたくさんの熱中を探しては、
「自分は見つけたんだ」と思い込むために他人に勧めました。
「これは楽しい!」「こんな魅力がある!」「新しい喜びだ!」
どんどん探して、どんどん話しました。

その結果僕は、「物事のいい側面」を見出すのが上手になりました。
またそれを魅力的に語るのが得意になりました。
おすすめの本とか、「今の話聞いて読みたくなったわ」というコメント結構もらえるんです。

この二つは僕の人生を豊かにしてくれましたし、これからもずっと役に立つ得難い武器です。だから「夢中になれるものを探す」という行為自体も、「見つからなくて焦る」ことも、別に悪いことではないと思います。

今自分のなかで夢中になれるものがない人は、そのままでいいと思います。探すのをやめずに、持っている人をうらやんで、存分に比べましょうよ。

熱中できるものを持っている人は、シンプルにうらやましいです。自分がうらやまれるものを持っていると自覚して誇ってほしいです。ただ、「当然まわりも自分同様に持っているだろう」と考えるのはやめてほしいです。
別に日々の行動を何か変えてほしいわけではありません。「好きなもの自慢すんじゃねえ」とも言いません。ただ「あなたが持つ心のよりどころがなくて苦しんでいる人がいる」という事実を認識して、「熱中できる何かがある幸せ」を噛みしめてください。

「他人と比べるのはよくないことだ」という価値観は、僕にとっては呪いです。劣等感や承認欲求をエネルギーに頑張ることも認めてほしい。そもそもそんなに自分に興味ないんです。
もちろん、自分はダメだと思い込んでしまったり、他人を見下したりするのは危険ですし、他人と自分を比べるという行為には常にそのリスクが伴います。でも、劣等感と上手につきあって成長する方法だってあるんです。
「他人と比べない」という価値観の押し付けがなくなって、熱中コンプレックスの人が生きやすい世の中になればいいなと思います。


熱中と他人との比較

今回は「熱中」と「他人との比較」という2テーマについて一気に書いてしまいました。あまりにも密接に関係しているから切り離せなかった。

読んでくださったみなさまの中で、共感する部分があった方はぜひ、コメントやいいね等でリアクションをください。

コンプレックスの話なので、個人を特定されたくないこともあるかと思います。その場合は質問箱(こちら)からでも構いません。

僕がこの記事を書いた目的は2つです。
1つは、この記事を読んでくださって、「自分は熱中コンプレックスがある」と感じた人に「あなただけではない」と伝えること。
もう1つは、共感してくださった皆様のリアクションを見て「自分だけじゃなかった」と安心することです。

わがままなお願いですが、リアクションお待ちしております。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

また書きます。

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