孤独怖い!

今年は登戸で沢山のひとが殺されてしまった。

社会や他人との接点を持たない男による犯行だという。

「無敵の人」などという言葉が飛び交っていた。失う物のない状況を言い当てた言葉だそうだ。

襲撃後に自決するという凄まじさを孕んだ凶行であるが、犯罪心理学的にもやはり引きこもりであったことにフォーカスされている。
動機なんて、いつだって複合的なものなのだろうけど、無関係ではないのだろう。「世界一孤独な国」と世界から評される「日本っぽい」事件だ。

容疑者は十代から引きこもったまま、同居の伯父や伯母ともほとんどコミュニケーションがなかったそうだ。

「孤独だから犯罪に走るねん!」なんて勿論通らないし、馬鹿の理屈だ。孤独だったから、悪行が免責されるなんてことも無い。
しかし改めて「社会から長期間にわたって隔絶されること」の毒性の強さを考えてしまった。

「孤独」は伝染病でもあるし、世界中でも問題視されている。イギリスでは去年から「孤独担当大臣」という役職まで生まれた。世界レベルで「孤独に気をつけろよ」という機運が高まっているのだ。

反して、日本はわりと孤独を賛歌しがちだ。元々根暗な民族だからだろうか。

実際、積極的に社会と関わったり、社会問題を深く考えるひとが減り、社会と一定の距離を置く姿勢は現在、トレンドだ(選挙の投票率に顕著に表れている)

書店にも「孤独のすすめ」や「孤独の読書術」みたいなタイトルがよくよく並ぶ。
孤独をクールとし、高い効能があると考える方向にこの国は傾いている。

なんと我が国、引きこもりの数が百万人ほどらしい。

「ほとんどひとに合わない人間」の数は世界水準で見ると、日本の男性がトップだそうだ。

登戸事件の調べが進展していくうちに、「自分もいつかそうなるかも」という気持ちが僕の中で膨らんだ。次は誰が岩崎容疑者サイドになるかなんて分からないではないか。

幸運が立て続いて、たまたま今回は自分じゃなかっただけだと思うのだ。
同い年の社会人たちなどと比べたら、僕は岩崎にずっと近い位置にいた。

「最強の貧困とは孤独である」というマザー・テレサの言葉がある。

平成後期から生涯未婚率もうなぎ上りで、単身世帯も爆増中だ。「結婚すりゃ孤独感が吹き飛ぶぜ!」なんて短絡的な話ではなかろうが、僕たち日本人は独りになるべくしてなっているのだ。

僕自身やりがちだからだと思うが、「孤独」を過度に美化する行為にゾッとしたのだ。群れているやつよりも、独り苦悩している男は美しくカッコいいではないか。

世界各国が全速力で「孤独」という問題に取り組んでいる中で、手つかずの日本は「孤独大国」として君臨し続けて引き返す様相も無い。

首吊りセットを設置して暮らしていた十年前を否応なく思い出した。あの頃の僕は「最悪死ねばいい」という「保険」をかけることで、落下寸前の生活を綱渡りしていた。

あれはやはり孤独だったのだろうか。

あの痛々しい感覚と「年月」が合わさらなくてよかった。あのまま数十年経ってしまっていたならば、包丁持って北野中学にでも突入していたのかもしれない。

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