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みんなでやろうはストップを

このコミュニティ、みんなで回そう。
このイベント、みんなで進めよう。
このスペース、みんなで守ろう。

 そんな台詞を繰り返すリーダーが運営するコミュニティやイベントやスペースが消えていく事例を複数目の当たりにしてしまったので、何故そうなってしまうのかを考察していきたい。

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 みんでやろう、という言葉をリーダーが掲げるプロジェクトが失敗に陥り易い背景には、物事を前に進める意思決定がされなくなるから、という点にあるだろう。

 例えば五人でチームを組んでコミュニティを始めた。けれども、みんなで運営するとなっていたので、いつまでに、誰が、どんな取り組みをして、どんな結果を出すことに対して責任を持つのか、ということが不明瞭になってしまった。

 本来的にはリーダーが意思決定を下すべきにも関わらず、みんなで決めるんでしょ、と言葉にするリーダーからは責任感が消え失せていき、コミュニティへのコミットも情熱も消え失せること間違いなし。

 もちろん「そもそも意思決定を下せないリーダーいるやん!」というオチもあるけれども、みんながリーダー!となってくると意思決定はもっと難しくなるのは言うまでもない。

 みんでやろう、という言葉をリーダーが掲げるプロジェクトが失敗に陥り易い背景には、目標や期待の不一致を引き起こすから、という点にあるだろう。

 例えば五人でチームを組んでコワーキングスペースを作った。けれども最初からみんなでやろうとしてしまうと、そもそも何のために場を作ったのか、どれだけの収益を生み出したいのか、どんな風なコンテンツを届けたいのか、自分たちはこの場に関わることでどんな風になりたいのか、といった想いがバラバラになってしまう。

 もちろん、みんなで話し合うことで目標や期待の擦り合わせは少しずつ進んでいく。けれどもリーダーがその役目を放り出し「みんなでやってこー」と丸投げしてしまうと物事は容易に空中分解していくもの。

 みんでやろう、という言葉をリーダーが掲げるプロジェクトが失敗に陥り易い背景には、コミュニケーションの混乱や誤解を招くことが多々あるから。

 みんなでやろうという言葉は使い勝手がいい。みんな、アイデアを出して欲しい!と理解することもできるし、アイデアを出して一人でやりきってね!と理解もできるし、アクションは自由だけれども、時々承認も必要だよ!といった様々な意味合いを持ててしまう。その果てにどう振る舞えば良いのか分からない状況が生まれ混乱は必至。

 もちろん、自主的に考え動くメンバーでチームを組むことで、リーダーの考えを汲み取って結果が出ることはあるけれども、多くの場合、全員が全員そんな理想のように動けるなんてことはまずない。

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 リーダーが「みんなでやろう」とだけ掲げるのは危険だ。意思決定が適切にされなくなり、目標や期待の共有が消え、情報伝達の混乱を引き起こす。

 リーダーとは責任を取る人だ。もしみんなに協力を求めるなら、○○プロジェクトで△△の結果を出そうと思っているので、xxまでに■■の協力をして欲しい、と明確に提示をしなくてはならない。

 みんなが勝手に動いてくれる。みんなが助け合える。みんなが結果を出してくれる。そんな理想は夢物語。リーダーは肝に銘じておこう。

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