頑張れるというのは恵まれている
僕は今、怪我をしていて大好きなサッカーができない。
復帰に向けて焦る気持ち、本当に復帰できるのかという不安に押しつぶされそうなのだけれど、
「頑張ってね!!!」
と温かい言葉をかけていただいています。
その言葉がとても救いであり、気持ちを折れないように支えてくれています。
この「頑張る」ということに関して、新たな見え方がしたのでNoteに残しておきたいと思います。
僕は小学生からサッカーを始めて、Jリーグに夢を見て、毎日のようにサッカーの練習を頑張っていました。
夢というゴールがあって、そこに向かうマラソンを走っているような感じでした。
少しずつだけれど着実にその長い距離を縮めていく。距離が縮まっていくのを感じるからこそ楽しくなるのです。
そんな幼少期の経験というのが「頑張る」ということの素晴らしさと楽しさを僕に記憶づけてくれています。
しかし、いま僕は骨折をしていて骨がくっつくまで本当にできることが少ないのです。
あれをしたから骨が早く癒合するとか、そういうのがあまりないのです。
だから、ある意味で「頑張る」ことがない状況にいます。言い方を少しキツく変えれば頑張っても仕方がない状況です。
これがすごく辛いということを身をもって感じました。
東南アジアの途上国に来て、才能豊かな若い選手たちに出会いました。
彼らには才能があるのだからもっと世界に飛び出していこう!と伝えてもあまり良い反応はありませんでした。
「ここにいる方が幸せだ。」
そんな言葉を聞きました。
少しラオスでの時間も長くなり、彼らの思考も理解し始めるとその幸せの意味がわかりました。
「頑張っても仕方ないから、頑張らないほうが幸せだよね。」
こういうことだなと思ったのです。
頑張っても報われないなら頑張ること自体が苦でしかないですよね。
もちろん、頑張ってもすべてが報われるわけではありません。ほんの一部、何回もトライをしてそのうちの数回成功を得る事があるという程度です。、
だけど、「頑張ったらどうにかなる」と思っている人と、そうでない人では大きく感じ方が違うでしょう。
僕は今の状況で「頑張っても仕方ない」期間を経験していて、モチベーションの難しさを感じました。
「頑張れる」環境や事柄があるのは幸せなことなんだ。
特に日本に生まれた僕たちは比較的その環境を得て生まれている人が多いと思います。
東南アジアの途上国ではそうではない人たちが多くいます。自分で自分の人生を選択することが難しい。そもそも、頑張ることが難しいのです。
だからこそ、そんな社会をスポーツの力を使って変化させていきたいと思っています。
なぜそんなことを思ったのかというと、社会は変わらないから頑張っても仕方ないと言っていた選手たちが、試合に勝つためには練習を頑張るのです。
スポーツでは社会とまた違った思考が残っている。ここには希望があるんだと思いました。
スポーツで得た成功体験を、実はこれは社会でも同じことが言えるよねと伝えることができればまた違った世界が待っているのではないでしょうか。
「頑張れる」というのは実は恵まれていることであり、幸せなことです。
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