好きな練習、やりたい練習の先に、勝ちはない。
noteにアクセスするのは久しぶりだ。ずっと気になってはいた。
毎日、毎日、何かしら積み上げていくことの重要性は痛いくらい理解しているつもりだ。
だが時間は有限である。どのメディアで、どのSNSで日々を積み上げていくのがいいのか?
これについてはもう正解はないというか、ライフスタイルが先にあって、そこから考えていくしかないんじゃないか?
そう思っていた。
とはいえ、「できることを本気でやってないんじゃないか?」という自分への疑問はついて回るけれど。
今日、このタイミングでなぜnoteを書いているか、というと、あるプロジェクトの山を越えることができたからだ。
山を越えたら、noteを書くのだ、と自分の中で決めていたというか、それを小さな希望として、今日の今に辿り着いた、というのが正直なところだ。
そんな小さな記念日に、ふとカラテの選手をやっていた頃のことをふと思い出した。
勝ちに向かって練習しているときは、好きな練習、やりたい練習はできない。
なぜなら好きな練習、やりたい練習の先に、勝ちはないからだ。
好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、楽しいとか楽しくないとか、そういう次元は遥かに超えて、勝つためにやんなきゃならないことをやる。それ以外の方法を僕はいまだに知らない。
練習に向かうのは憂鬱だし、練習自体がいちいち自分との戦いだし、相手が100やるなら120やる、と思ってやらないとどうしようもないから、マインドも「もっと、もっと」に染まっていく。
そのマインドの功罪もあって、バランスが大事だよね、というのは簡単だけど、バランスをきちんととるのは極めて難しいよ。
ただ望む結果が出たあとは、少しの間、好きな練習、やりたい練習ができる。この期間こそが自分へのご褒美だと思う。
noteへの接し方は人それぞれだ。正解はない。
同時に、それぞれが正解とも言える。
ようやく山を越えた僕に対して、「今日は好きなことを好きなように書いていい」と僕がOKを出してみた。
とりとめのない文章で申し訳ないけれど、
ここまで読んでくれてありがとうございます。
PS 強さの磨き方での僕は、重いバーベルを必死で挙げようとしているね。
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