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答えは今見つからなくてもいい

本を読んだ後、アニメを見た後、映画を見た後、

いい物語に触れた後は、それについて考えたりするものだ。

あのシーンが良かったとか、あのセリフに感動したとか。

ただ、全ての物語が見ただけで理解できるわけではない。

時にはよく分からない話に出会うこともあるだろう。

よく分からないんだけど、なぜか心には残ってしまうということも、誰もが一度くらいは経験があるのではないだろうか。

そんな時、今の時代ならネットであれやこれやとネットで検索してみるのも手だろう。

ある程度の話題作なら、誰もがいろいろと感想を言い合ったり、考察を述べたりしている。

自分では気づけなかった視点を知ることができるのはネットの良い面の一つだろう。

だけど、すぐ知れるという、その良い面が逆に悪い面としても機能してしまっている。

すぐに検索して調べることができるというのは、自分のすぐ近くに答え(と思われるもの)があるという錯覚を起こしやすい。

今の時代、頭が良いというのは、いかに効率よく答えにいち早く辿り着けるか、ということなのかもしれない。

とにかく、答えというものにはできるだけ早く到着できたほうがいいという価値観があるように思う。

だけど、他のことはどうかは分からないが、物語について言えば、そんなに早く答えを知ろうとしなくてもいいと思う。

なぜ、あのシーンの意味が分からなかったのか。
あのキャラのあの行動は何を意味していたのか。

分からないのなら、分からないままで放っておくというのも大切だと思う。

頭や心の片隅にそっと置いておけばいい。

しばらくして、ふと気付くこともあれば、他の作品を見た時に何かを掴むこともある。

僕の経験で言えば、
大長編ドラえもん「のび太と鉄人兵団」(古い方)を子供の時に観た。

その中で、ゲストキャラのリルルという少女が、ドラえもんたちの秘密を知り、それを鉄人兵団に報告に行こうとする場面がある。

のび太たちにとっては、その情報が漏れることは死活問題だ。何としてでもリルルを止めなくてはいけない。

リルル捜索途中で、のび太がリルルと邂逅する。

先に行くというのなら、撃つぞと銃を向けるのび太。

それに対し、リルルは怯むどころか、笑顔でいいわ、撃って。
と言う。

子供の時にはこれが何を意味するのか分からなかった。だけど、この作品の中で印象に残る場面だった。

大人になってから改めて見てみると、答えを出すことができた。

あの時、リルルは迷っていたのだ。
のび太たちがやっていることは正しいことは分かる。だけど鉄人兵団を裏切ることもできない。

どちらに付くべきか迷っていたときに現れたのび太。

リルルは選んだのだ。
どちらも選ばない。ここでのび太に撃たれて終わるという選択を。

これは自分で答えを出すことからの逃げでもあった。

結局リルルを撃つことができなかったのび太にリルルが掛けた言葉、
いくじなし。
これは彼女自身のことでもあったのだ。

という答えを僕は得た。
どこかのネット上のサイトで見たわけではない。
作者の藤子F不二雄が言ったわけでもない。(どこかで言っているかもしれないが)
僕が出した答えである。

物語の醍醐味というのは、自分だけの答えを持てるところだ。
数学のように決まった答えがあるわけではない。

それなのに、ネット上のどこかの誰かが出したスピード解答を、さも自分の考えのように採用してしまうのは、少しもったいなくないだろうか。

これは、生きていくうえでも同じことが言えるかもしれない。

何かに迷った時、答えが分からなくなってしまった時、すぐに何とかしようとするのではなく、しばらく置いておく。

そうすることで、思いもかけないところに行くことができるかも。

陰謀論とかにハマってしまう人は、頭が悪いわけではなく、
すぐに答えを知らないといけない、分からないという状態に耐えられないから、それっぽい情報を見せられると、飛びついてしまうのではと思った。

答えはどこかにはあるのかもしれない。でもそれは今そばにあるわけではない。

そう考えて生きていくほうが、自由になれるような気がする。

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