マガジンのカバー画像

たからばこ

235
運営しているクリエイター

#note

地元で生きたグランドレベルを見てみたい 〜いきいきとしたまちを求めて【断想】

地元で見たい景色のことが書かれている本に出会った。 2017年に出版された、田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』(晶文社)だ。 僕もメンバーである SWLAB というプロジェクトで、今度開催するイベントのゲストの一人が田中元子さんに決まり、事前学習のために手にとったのだが、面白いのなんの。 僕自身、これまで地元滋賀で「まちづくり」に少々関わってきたのだが、田中さんのことを知らなかったのが恥ずかしい(もちろん「喫茶ランドリー」の名前くらいは知っていたが、ちゃんと

他人に迷惑をかけてはいけないこの世界で

 最寄り駅に向かっていると、向かいから歩いてきた人が胸を押さえながらしゃがみ込むのが目に入った。遠目にまったく動けないような感じではないなと思いつつ、少し歩みを速め近づいていく。ちょうど信号待ちでその人の辺りまで車の列ができており、近くの車の中の人が窓越しに視線を向けているのがわかった。 「大丈夫ですか?胸が苦しいですか?」と苦しそうなおじさんに声をかける。 「大丈夫です、たまにあるので。」 「何かできることはありますか?」 「大丈夫です。ありがとうございます。」 それ以

自分の力でマニキュアを買おうと思ったら、初めて会った高校生に助けてもらった話

「わたしも最初はこれだったから」 今更来た夏に、自分を重ねる。 幸せになればなるほど、わたしは文章を書かなくなると思っていた。錆びた歯車を泳いでいる自分がいちばん、自分らしいのだろう、と。いつか亡くなる胸に手をあて、想いを透かしている。 「あれ、おかしいな」 朝起きて、夜眠るまで演じている自分に、愛想よく付き合っている。「前はこんなはずじゃなかったのに」。以前友達がプレゼントでくれたマニキュアを手に取る。深緑と潜る日常。贅沢が染み込まないよう、必死に手首と手首をこすり

母の日に恋人を紹介したら 返ってきた言葉のこと

「生きていてくれたら、それでいいのよ」 今すぐにではなくていいから、わたしはオレンジ色が似合う人になりたい。「純粋な愛」「清らかな慕情」は、オレンジのカーネーションの花言葉。わたしが好きな言葉ばかり。そもそもわたしは言葉が好きだから、なんだっていい。けれど人に聞かれた時、答えられるようにしておかなければいけない。わたしの母ならきっとそう言うはずだ。 段々と今日が何曜日かわからなくなって、今日が何日かわからなくなる。そのままわたしは今日が何月かわからなくなるのに、大切な日の

ツイートがバズったわたしは、口紅を買えていない

仕事を辞めた翌日、わたしは生きていた。 「当然である」と、言えるだろうか。わたしは自分のことを"よくやっている方"だと思っている。意味もなく宙を見上げ、水滴を仕舞う。人生を都合のいい妄想へ預けなければ、硝子のように心が割れてしまいそうだ。 「大丈夫ですか?」 歩きながら眠っていた。目が血走り、足が痙攣する。どこかから声が聞こえた気がしたが、辺りを見渡しても人は少なかった。ロクにごはんも食べていない。生命の境界線を、平均台を渡るようにしてふらふらと進む。 常に不安と手を

線は正確に引くことなかれ【断想】

縁を引くということは、「取りこぼす」ということだ。 断念に血を流すような痛みが伴うように、線引きには耐え難い痛みが伴う。 簡単に分けられぬものに線を入れる。 そこには「割り切れぬ」思いが生じる。   ところが私たちは、線引きへの痛覚を鈍らせてしまっている。 線引きの暴力性にあまりに無自覚なまま、私たちはこの世界に多くの線を入れていってはいまいか。 切り分けが過ぎると、全体性(wholeness)を回復するために癒し(heal)を求める(wholeとhealは同語源

日本人の調和力のこれから【断想】

日本人は調和を好む。 このように日本人は特徴付けられることの少なくないが、僕も概ねこの言説に異論はない。 しかし昨今、だから日本人は自分の意見を述べれずよろしくない、といった具合に「和」を尊ぶ心に否定的な見解が多いのはどうしたものか。 世界の潮流では、「ハッキリ」することがよしとされているかもしれぬ。が、それは絶対ではない。 むしろ、日本人のもつ調和力はこれからの時代に、必要性を増し、その力が活きてくるようにも思える。 そもそも日本人が調和的である所以はどこにあるの

表現とは、「正解」の数を増やすことである

りんごが「りんご」である確証はどこにもない。赤くてまあるくて、皮を剥けばみずみずしい黄色をしているそれは、わたしにとっては確かにりんごだけれど、他者から見たら全く違う果実なのかもしれない。わたしが見ているりんごの姿は、所存わたしひとりの目を通して映し出されているものであって、全人類が同じようにその姿を目にしているかどうか、何年生きても自信がない。 そもそも、自分では「赤い」と認識している物体が、他者の目を通してもなお同じように赤く見えているか、それさえも永遠に謎だ。わたしが

得意料理は豚汁

って、言っても怒られないぐらいに美味しい豚汁の作り方を後輩のまみこちゃんから教えてもらって感動したのでメモ。 豚汁の作り方から学ぶ生きるヒント、みたいなオチはありませんのであしからず! ただただ人生で一番とも言える、めっちゃくちゃ美味しい豚汁が超簡単に仕上がったのが衝撃的で書き留めておきたくなっただけです。ふふふ 1. 鍋底に塩をパラパラして、エノキなどきのこ類をわっさり。 2. その上に、カットした白菜やネギをどっさり。 3. その上に、根菜(里芋やさつまいも、ご

型にはめないでほしいー違う世界の見方をしていると捉える視点を、一人ひとりの心に。

こんばんは、佐々木めばえです!ヘラルボニーでは広報を担当しています。今日は私が考えていることをお伝えさせてもらえたらなと思います。 *** 「障害」という言葉。 私にとっては、この言葉はものすごく身近なものです。 障害という言葉を聞いたとき、どんなイメージが浮かぶでしょうか。 欠陥、欠如。何かできないことがあるから、「劣っている」。 そんなイメージが社会の中には一般的な考えとしてあることも、一つの事実だと思います。この一般的なイメージを、新しいものに昇華させてい