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あまり知られていない、戦争がきっかけで生まれた製品

Header Photo from http://www.bananalogic.net/omg/cat-tank/

インターネット、携帯電話、電子レンジ、缶詰、GPS。

これらは皆共通点があります。すべて軍事技術の民間転用という点です。

軍事技術の研究を怠ることは、自国の防衛を放棄するようなもので、他国に技術で先んじられパワーバランスが変わってしまうし、いったん研究を止めてしまうと再開するのに多大な時間とコストがかかる。そのため軍事技術の研究は辞めるわけにはいかない。

平和な状態が長く続くと一見無駄なように思えますが、研究が裏で進んでいるという事実が戦争抑止力になるのです。

それに今回リストアップするような、一見軍事から転用されたようには全く思えない製品が副産物的にできちゃったりします。


1. 生理用ナプキン

第一次世界大戦の西部戦線は主に塹壕戦で、死傷者の血液や体液が至る所に飛び散らかる凄惨極まりない戦いとなりました。

死傷者の数も膨大で、包帯がないと兵士は傷口が塞がらずに痛みに悶え苦しむしかなく、包帯は重要な軍需物資でした。

そんな時、アメリカの医薬品会社キンバリー・クラーク社は、ウッドパルプを中央に置き、横に紙を添えた構造の包帯は、通常のコットンの包帯よりもバツグンに吸収がよいことを発見。キンバリー・クラーク社はこれを連合軍に販売しました。

 連合国の従軍看護婦たちはこの新しい包帯が、ケガの手当にとても効果的であると気づき、同時に女性の「あの日」にもとても有効であることにも気づいて使い始めました。それまで女性たちはスポンジや木綿を充てがっていましたが、これだと全部吸収して衣類が濡れない。

戦後、キンバリー・クラーク社は戦争需要を当て込んで大量生産した新包帯を在庫に抱えて、途方に暮れていました。

ところがある社員が、戦争中に従軍看護婦が新包帯をくすねて生理用に使っていたことを思い出し、同じ製品をパッケージやブランディングを変えて「生理用ナプキン」として売り出したところバカ売れ。同社を代表するヒット商品となったのでした。


2. トゥインキー


日本ではあまり馴染みがありませんが、トゥインキーはアメリカの子どもたちの大好物のオヤツであり、大人たちにとってもノスタルジーを感じる、古き良きオヤツです。日本で言ったら、例えは正確じゃないと思いますが、森永のエンゼルパイとかそこらへんのポジションでしょうか。

このお菓子は、第二次世界大戦中の物資不足の中で生まれたお菓子。

戦争が始まると、アメリカ政府は輸入の大部分を軍需物資に制限し、フルーツやお菓子といった嗜好品の輸入量を極端に制限しました。

お菓子会社を営むデワールとホステッスは困った。それまではスポンジケーキにバナナをサンドして販売して好評を得ていたものの、もはやバナナすら手に入らない。 

困り果てた結果、半ばヤケクソで大量に余ったスポンジケーキの中に安いクリームを詰めて売り出してみた。

するとこれが爆発的な大ヒット。しかも一過性の流行に終わらず、現在まで愛されるロングセラーのお菓子となったのでした。

いったい何が流行るか分からないものですね。

 3. スリンキー


1943年、 海軍のエンジニア、リチャード・ジェイムズは、荒れた海域でも船のバランスを安定的に保つ装置を開発すべく、研究を重ねていました。研究の過程で、ジェイムスはバネを戦艦の要所に取り付けると安定するのでは?と考え、様々な種類のバネを制作して最も適したものを探していました。

そんなある時、 ジェイムズはあるバネを床に落としてしまった。

するとそのバネはビヨンビヨンと、シャクトリムシのような動きをした。

これはおもしろい!子どもは絶対に食いつく!

ジェイムズは500ドルを借金して「ジェイムズ・スプリング&ワイヤ・カンパニー」を設立し、バネの大量生産に着手。

1945年のクリスマスのおもちゃ商戦にターゲットを合わせて販売したところ、もくろみ通り大好評!90分で完売してしまったのでした。

こうしてアメリカ海軍が大金をつぎ込んだ軍事研究は、子どもたちが夢中になって遊ぶおもちゃになってしまったのでした。

 

4. タバスコ


南北戦争の時代、エドムンド・マクレニーは1日12時間以上も働き、苦労して有名なニュー・オリンズ銀行の銀行マンになりました。

ところが南軍が彼の町を占拠するとウワサがたち、マクレニーは家族を連れてアベリー・アイランドという場所に避難した。そこでマクレニーは岩塩を採掘する仕事で一山当てて、連邦に22万ポンドもの塩を供給して一躍ヒーローになりました。

ところが南軍はアベリー・アイランドにも侵攻してきたので、マクレニーは今度はテキサスに逃げ、戦争が終わるまでじっとしていました。戦争が終わって故郷に戻ると、そこは一面の廃墟。マクレニーはまた一からやり直さねばならなくなったのです。

戦争で荒れた土地で栽培できるものといえば、メキシコ産の唐辛子くらい。

マクレニーは唐辛子をすりつぶし、アベリー・アイランドの岩塩と、酢、香辛料を加えて「タバスコ・ソース」を作りました。

 大変美味しかったので、マクレニーは空いた香水のビンに詰めて食料品店に卸したところ、これが一躍大ヒット!2年後にマクレニーは特許を取り、マクレニー・ファミリーが以来タバスコ社を経営しています。

 

5. ナイロン・ストッキング


第二次世界大戦勃発まで、アメリカの女性がはくストッキングはシルクで出来ていました。

アメリカが日本への経済制裁を課したとこで、日本はアメリカから石油を買うことができず大変困ったわけですが、アメリカ女性も日本からシルクを買うことができなくなって、大変困ってしまった。

最後に供給されたシルク・ストッキングを、アメリカ女性は大枚をはたいて競うように買いあさったと言います。当時は野菜の自家栽培が奨励されて全体的に生活の質が落ちていたのにかかわらずです。いかに日本製シルクが女性たちにとって重要だったかが分かりますね。

シルクの代替品として注目されたのが、1935年に化学会社デュポンによって開発されていた「ナイロン」。ナイロンはシルクよりも強度があり、素肌に直接当てる素材としても他と比べて優れたものでした。

ところが、時は戦争まっただ中。

生産されたナイロンはパラシュートやタイヤ、防寒具など軍需品に大半が消費され、女性たちが求めるナイロン製ストッキングは、2週間待たないと手に入りませんでした。

戦後、デュポン以外の3社ナイロン・ストッキングの生産を始め、コットンを足して簡単に洗えるようにしたものなどが発売されました。

家に帰宅した兵士たちは、自分たちの命を救った素材を履いた妻に出迎えられたわけです。

 

まとめ


「必要は発明の母」 と言いますが、そもそも必要が顕在化してないものでも、売り出してみたらその製品の価値が広く認められるものってのは多くありますよね。

スリンキーなんて、確かにまあ面白いけど、「これは売れる!」ってなかなか思わないです。

偉大な発明ってのは実は世界中いろんなところで起きていて、ただそれを拾う才能がある人に巡りあえてないということってあるんじゃないでしょうか。

もしかしたらぼくも何か一攫千金の偉大な発明を見逃してるんではないだろうか。

 

 参考・引用

cracked.com, 5 Inventions You Won't Believe Came From War



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