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ものづくりのすすめ

表題の絵は金平糖を作る職人のものですが、べつに食べ物に特化した話ではありません。そして、これは無形のもの、つまり芸事やwebデータのような知的財産にもあてはまるものと考えています。

最近、働く人をとかく格下に位置づけることで世間を騒がせる向きや、完成品にタダ同然の評価をつけて評論家や批評家ぶる輩(ともがら)、野菜や果物、はては花卉や水槽の観賞魚までも「そこにあったらワイのもの」よろしく持ち逃げるのが勝ち組と豪語するかの如く跋扈する細胞集合体がそこここで話題になっています。

思うに、その多数は「ものづくりをやったことがない」もしくは「ものづくりを蔑視している」ないしは「手間が諸悪の根源と認識している」ようなものなのでしょう。

自分でやるより他人にやってもらう方がいい。それならそれなりの対価というかtakeに対するgiveというか、然るべきやりとりはあっていいと思うのです。いや、自分がやるとうまくいかないことを他人がやってくれるのなら、むしろ有り難い(文字通り)ことなのですから、感謝こそすれ罵倒したり掠奪したり破壊したりなどそれこそ有り得ない(文字通り)でしょう。

江戸時代にあったと言われる身分の上下。支配階級の「士」は棚に上げておいて「農工商」を見ると、その力関係も見えてきます。百姓が上で、職人が次点。その次にあきんど。地理や公民で学ぶ世界に置き換えれば、まさに第一次産業→第二次産業→第三次産業の順に並びます。自然のものをふやして糧とする、手間もかかるしリスクもあるし実入りも少ない、けれどこれがなくてはみんなが困る農林水産業が上位にあり、それらを加工してみんなが利用しやすくする工業・鉱業・建築業がその次、そしてものづくりをせずに、それらを右から左に動かせば仕事となる、言わばサービス業が下位となる。そういう構成だったことがわかります。ものを作らない職業、つまり商業はもとより、金融業や芸能・芸術、もの書きのような“頭しか使わない”ものは格下と考えられていたとみることもできます。

現代においては先に掲げた“頭しか使わない”仕事もれっきとした「つくる」仕事になっていると思いますが、従来からの「ものづくり」に関わる仕事と比べると、まだまだ世間の貢献度を考えると至らないところがあるように感じます。ひいては、それすら仕事と思わないのが同じ世界にゴロゴロいたとしたら、ぞっとしないと思いませんか。

実は身近なところにいるんです。花泥棒も、自転車泥棒も、著作物泥棒も。今回のカテゴリーからは離れますが、時間泥棒も残念ながら、いる。

ものづくりにリスペクトできる人を、息の長い友達や身内としたい。ことさら昨今はそう思うようになりました、というお話でした。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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