見出し画像

生理と多様性|マイノリティの生存戦略

なんで女だけが生理あるんだろう。男は生理なくていいな。ずるいな。女って損だな。

ずっとそう思いながら、ノーシンピュアを飲んでました。わたしの会社は9割以上が男性。生理休暇とかのしくみをつくってくれる程度の理解はあるけど、制度と実績はまたべつの話。

ところで、生理の話って、男性にできますか?パートナーならできる?じゃあ、職場や男性上司には? わたしは、まだ、したことがありません。


生理イコール恥、はこう作られた


小学校低学年のころ。生理用ナプキンのテレビCMをみて、「あれ何?何に使うの?」と両親に聞いて困らせたことがあります。一瞬の張り詰めた空気のあと、「もう少し大きくなったら使うようになるから。いつか知るよ。」と。

そのいつか、はすぐにやってきました。女子児童だけ視聴覚室に集められ、担任の先生が生理について教えてもらったんですね。

そのときに、「ああ、生理って、女の子だけのひみつにしなきゃいけないことなんだ。生理って恥ずかしいことなんだ。」と学んでしまいました。

中学のプールの授業を休む女子がいると、「生理なんじゃないか」と男子にコソコソうわささてれる様子をみてしまいました。正直、恥ずかしいと思った。そして同時に湧いた疑問。「なんで男の子も生理について知ってるんだろう?わたしたちのひみつじゃなかったの?」

だから女子校だった高校生活はほんと一に気が楽でした。ナプキンを忘れても「持ってない?貸してー!」と堂々言えるし、スカートを経血で汚してしまってもそんなに慌てることはなかった。女子だけが集まる安心感。

ただ、残念ながら、新たな価値観を追加させられるできごともありました。高三の体育の授業中、かつてないほどの生理痛に襲われました。立っていられないくらいの痛み。保健室に連れられたあと、若い女の先生に「自分の身体なんだから、ちゃんと準備しなきゃだめよ」と強く叱られました。

そうか、生理は自己責任なんだ。と、人生初の生理痛の薬を飲んで学びました。


もしかして、恥、じゃない?

時は変わって大学時代のアルバイト。
「いま、生理なんです。腰痛いわー」と男性の社員さんに伝える先輩がいました。・・・なんで、わざわざ男性に言うんだろう?恥ずかしくないのだろうか?それを言って男性にどうしてほしいのだろう?

まったく理解できなくって、その場から距離を取りました。

でもここ最近では、漫画「生理ちゃん」や大丸社員の生理バッチなど、生理がタブー視されないように、オープンにする動きが見えてきましたよね。

https://urbanlife.tokyo/post/27740/

(大丸の生理バッジは中止になってたらしい)


でも、どこかまだ他人事でした。


ただの、日常会話


あるときね。義母が「ねえ!更年期なのにまだ生理おわんないんだけど!」と夫に愚痴ってたんです。これを知ってわたしはほんっとうに驚きました。え、むすこに生理の話するの?って。

ただ、よく聞いてみると、義母はむすことか男とか恥とかは関係なく、日常会話の一つとして話した。そこに相手に対してどうこうしてほしいとかそんな意味合いなんてなかったんですね。まるで「お腹すいた」レベルの、ただの会話でした。


もしかせいて・・・。生理に憎しみをもってやっかいなものに仕立て上げたのは自分自身だったんじゃないのか。被害者意識があったけど、それって自分が勝手に作り上げた幻想だったんじゃないか。男性と女性を線引きして、恥ずかしいとか損とか得とか考えて苦しんでたのは自分のせいだったんじゃないか。義母と夫の会話を聞いて、こんな問いがぐるぐるまわりだしました。

だとしたら。男ずるいとか言われても、男性からしたらそんなん知らんがな!ですよね。そもそも、生理の辛さなんぞ知らないし。生理の痛みを経験できなければ知識として知るしかないのに、なんかこそこそ隠されてるんですもん。

一方わたしは、避けて通れない生理という違いを(勝手に)必死に隠して、薬で誤魔化してきました。まるで必死に男性化してるみたいだね。

違いは違い。それ以上でもそれ以下でもない、ただそれだけなのに。

だから、女友達に言うように、「今日生理でさー」とぐちってみたいと思うようになりました。(まだ言っては・・・ない)

違いを隠さず、オープンにしてみる

じゃあどうやって自己開示してみるか?と考えてみました。例えば、テレワークのときの朝の挨拶とセットで言ってみるとかどうでしょう。

幣チームでは、Teamsで始業報告する習慣があります。そこで、

「今日はホルモンバランス的に体調優れない日なので、HP瀕死レベル、しかめ面多めになると思います。でも決して怒ってるわけじゃないので、お含みおきください」

生理の開示(案)

と開示してみたらどうだろう。対面で言うのは抵抗あるので、テキストで。わたしなりの日常会話として。


今の職場のチームは、課長以下は全員男性で、女性はわたしだけなんです。

前述のとおり、これまでの社会人生活では、彼らに仲間として認めてもらえるようにこれまで必死に「男性化」してきました。でも、女性であるわたし個人の生存戦略としてたぶん適切じゃなかったかもしれない。女性であるわたしがそこにいる意味、はなんだろうか。

今言えるとしたら、マジョリティは決して正解じゃない。違いは違い。わざわざ隠さずに、自己開示することが多様性の始まりなんだということだと思います。別に生理だけじゃなくてさ。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。辛いものは辛いって、ちょっとの感情とともに自分をさらっと出してみると、開ける世界があるかもしれない


まずは、職場のみんなからどんな反応があるか、生理の開示を試してみたいと思います。わたしなりの多様性の第一歩、として。


おしまい


この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?