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愛の断片

先日、両親の納骨を済ませました

1年も経たずに納めるのは早すぎると思われる方もおられるかもしれませんが、仏壇も位牌も不要で無宗教だった両親の希望です

父方のきょうだいは遠方で高齢ということもあり、母の弟妹と私たち姉妹で会食をしたあと納骨に行きました

会食のときにいろいろ思い出話がでました

私たち姉妹が幼少期にはまだ祖父母と一緒に暮らしていた叔父や叔母はとりわけ、たまに泊まりに来る姪たちの奇妙な行動が印象に残っているそうです

「なんで犬のマネすんねん」
そう、思ったそうです

両親が結婚する前に祖父母の家に来た真っ白の日本スピッツ犬のボビーが、私たちの遊び相手でした

祖父母の家には同年代の遊び相手がいませんでしたが、よく相手をしてくれる優しい犬でした

家族みんなに愛されていることが、誰の目にも明らかな犬でした

日々ブラッシングされていつもふわふわで真っ白な毛並み
人が大好きでお客さんが来るとスリッパを咥えて走り回る
散歩から帰ると「お帰り」のおやつがもらえ
ご飯のシメはお茶漬け
祖父はボビーの大好物「甘栗」をたまに買って帰る
…ボビーが愛されている「証拠」のような習慣はいろいろありました

その中でも、「お帰りのおやつ」と「シメのお茶漬け」は犬の習慣としても奇妙なものですが、そのスタイルもユニークでした

「お帰りのおやつ」は冷蔵庫から取り出す飴です

カンロ飴orミルキー

これを包み紙の上から小さなトンカチで叩き割って、その一欠片を貰うのです(半分は祖母の口に)

私たちが一緒に散歩に行った時は、私たちにも1つづつこの飴が貰えます

最初は貰った飴をそのまま口に放りこんでいたらしいのですが、そのうち犬用と同じように祖母を真似てトンカチで叩き割って食べるようになりました

祖母が小さなトンカチをしまっていたキッチンの引き出し、
まな板の上で飴が割れる音、
祖母が割ると包み紙は破れないのに、
私が割ると破れてしまって小皿が必要になること、
ひとかけらずつ口にはこんで溶けてゆく小さな欠片を味わう至福のとき、
鮮明に覚えています

お茶漬けは専用の小さな器に白いご飯が盛られ、その上に細切れの黄色いタクアンが散りばめられています
祖父の湯呑みで冷めた番茶が注がれできあがり

ボビーはこのお茶漬けを食べたあと、祖母に口の周りをキレイに拭いてもらうのですが、更に毛足の長いカーペットにマズルを擦り付けて仕上げます

私たち姉妹はこのお茶漬けも真似ました
スライスされたタクアンを自分で細かく噛みちぎって散りばめて、冷ましたお茶をかけるのです

美味しかったというより
幸せでした

叔父や叔母に限らず、誰が見ても奇妙に映ったと思います

「なんでやねん!?と思ってた」と言われて改めてその奇妙さに気づきました

その場では「きょうだいみたいな感覚やったからなー(笑)」と答えたのですが、しばらくしてそれだけではなかったかもしれないと、ふと思ったのです

母を看取った記事に書いたように、私たち姉妹は当時口にすることは無かったとはいえ「私がいない方がお母さんは幸せに違いない」とそれぞれに思っていました

母から愛されているという実感は感じさせて貰えませんでした

だからきっと、掛け値なしに、無条件に愛されている「証拠」をかき集めて自分自身に与えることで、何か重要な、こころのビタミンのようなものを補給していたのかもしれません

大好きな犬の真似とはいえ、タクアンを細かく噛みちぎってぺっぺとご飯の上に吐き出すとか、どう見たって行儀の良い食べ方ではありません

でも祖父母の前でなら誰もそれをやめさせようとはしませんでした

安心して幸せにその「行儀の悪いお茶漬け」を食べることができたのです

ボビーと同じように


子どもの「○○はわたしのこと大好きなんだな」という感覚は、心の栄養です

身近な大人が充分与えることができなくても、子どもはこうして最低限の栄養をどこかに探してかき集めて生き延びるのかもしれません

悲しい話ではなく、
子どもって意外とたくましい、という話
厳しく躾けることよりも見守ることが大事なこともある話として読んでいただけたら嬉しいです



最後に、

犬に飴やタクアンを乗せたお茶漬けを与えるとは何事!とお怒りの方もあるかと思いますが、昭和40年代です
庭に繋がれ残り物を餌として与えるのが一般だった時代です
ボビーは最期に認知症や痔になりましたが17歳の天寿をまっとうしました



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