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頭のなかと世界をつないで

世の中にはたくさんの思考のフレームワークがある。
ここでフレームワークと呼んでいるのは、例えば、ビジネスモデルキャンバスだとか、共感マップといった思考ツールのこと。フレームワークを使うことで頭の整理がしやすくなったりする。だけど、そういうフレームワークをなかなかうまく使えない人もいる。

みずからの目的に従って適切なツールを選び、それをガイドにしながら目的実現のための考えをアウトプットする。それがフレームワークの使い方。ようするに、思考のフレームワークというのは、みずからの目的を実現するにはどうすればいいかを考える手助けをしてくれるツールだ。言い方を変えれば、フレームワークを用いて思い描くのは、みずからが実現したいものの設計図(もしくは、その一部)だといえるだろう。

使い方がわからないのではなく目的がわかっていない

フレームワークの使い方に戸惑う人が陥りがちなのは、ツールを目の前にすると、それを使うこと自体が目的化してしまうということだろう。そして、ツールを使って何を考えださなくてはいけないかという本来の目的のほうを忘れてしまう(あるいは、最初から目的が定まってないか)。

そういう人はたいていツールの使い方が「わからない」という。だが、問題は使い方そのものではない。
使い方がわからないのは当然なのだ。
何のためにそれを使うのかを忘れてしまった状態で、それをどう使えばいいかなどわかるはずがないのだから。

どんな道具でも目的なく使おうとして使えるわけがない。

わかりやすいところでは、包丁だって、そうだ。食材を適切な大きさに切るのか、その食材の皮などを剥くのか、はたまた、ニンニクなどを押しつぶすのか、など、包丁を使ってどうしたいかが先にあってはじめてどう使うかが決まる。

ようはアウトプットのイメージが先だということ。何をアウトプットしたいのなというイメージができていないのに、ツールをどう使えばいいかがわかるはずもない。

例えば、ビジネスモデルキャンバスなら、それをうまく使いこなせない人の多くはそもそもビジネスモデル自体についてイメージできていないのではないだろうか。
ビジネスモデルというもののイメージができてなければ、ビジネスモデルキャンバスの使い方がイメージできないのは当然だ。

問題は、自分がそういう状態なのにビジネスモデルキャンバスをとにかく使おうとすることに何の疑問をもたないことの方なのかもしれない。
自分が何のために、フレームワークを使っているのか、わからないまま、ただフレームワークを使うこと自体が目的化してはいないだろうか。

フレームワークを使って設計図をつくる

思考のフレームワークは、ボタンを押せば求めるものが出てくる自動販売機のようなものではない。残念ながら、正しい操作をすれば、必要とする答えがでてくるという単純なものでもない。

思考のフレームワークは、求めるアウトプットのために自分自身の頭をどう操作すればよいかの指針を示してくれるものでしかない。
つまり、操作すべきはフレームワークの方ではなく、自分自身の頭の方だ。
だから、フレームワークを使えないというのは、自分自身の頭を使えていないと言っているのに等しい。

頭をうまく使うためには、フレームワーク上で展開する思考と、実際に自分が生み出したい現実のものや状態をリンクさせなくてはならない。ようは、フレームワークを使って描いているのは、実現したいものの青写真だ。
透視図法を使って現実を2次元に写しとるのと似ている。

透視図法=遠近法は面白い思考ツールだ。
それは現実世界の風景を写実的に描きだす際にも用いることもできるし、逆に、内面にある建築物などのイメージを現実化する際の設計図にもなる。ようするに、それは人間にとっての内(頭の中)と外(現実世界)の行き来を可能にしてくれる思考ツールだ。

ちなみに、こうした視覚的な思考の変遷をデザイン的な思考の歴史と捉えて書き進め、随時公開してるのが、マガジン「見ることと考えることの歴史 第1章」だ。遠近法をはじめ、顕微鏡や望遠鏡、はたまた視覚的に知識を物として並べる博物館やその前身である「驚異の部屋」、あるいは、その図書版としての百科全書や子供向け絵本など、マクルーハンのメディア論的な思考を下敷きに、視覚的ツールと人間の思考の関係を論じている。

ここで論じている思考のフレームワークとは、結局、そうした多くの視覚的な思考ツールの末裔ともいえる。そして、透視図法同様、フレームワークも人間の内なるイメージと外なる現実をつなぎあわせることで、自分の目的を現実のものにするための算段を行うものだ。

けれど、フレームワークを使えないという人は、たいてい、その現実と頭のなかの考えをつなげて操作することが苦手だ。うまく自分の頭を使えていないというのは、そういうことである。

外の世界を見てみよう

うまく頭のなかの考えと外の世界の現実をリンクさせて考えられないのなら、もっと外の世界を見てみたほうがいい、知ってみたほうがいい。

たいてい、頭のなかとその世界がリンクできないのは、言葉だけで外の現実を知ったつもりになってしまっているからだ。メディアが伝えるニュースとか、バズワードばかりで頭を埋め尽くしてしまっていると、現実的なものを伴わない思考しかできなくなる。
そうではなく、自分でちゃんと見て、体験して、それを自分で言葉にしてみて考えることを普段からやっていないと、フレームワークを使って現実を思考することもできない。

だから、いわゆるデザイン思考と呼ばれるアプローチでは、みずからが外の世界を観察したり、体験したりすることを大事にするのだ。プロトタイピングを通じて、頭のなかの考えと外の世界の接点をもつことで、思考を展開することを重視する。

フレームワークを使うこともいっしょだ。それはある種のスケッチである。スケッチだから、現実と頭のなかのイメージの接点を探す作業にほかならない。
でも、狭義のスケッチが現実の世界を、現実の事物を、見知っていなければ描けないように、スケッチとしてのフレームワークも現実を知り、現実を考えなくては、描けない、思考できない。

だから、フレームワークをうまく使えない人は、もっと外の世界を自分で見て、自分で考えるクセをつけた方がいい。
自分で世界の姿を模写してみてはじめて、いろんなフレームワークが使えるようになるだろう。

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