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僕達は世界のヒーローにはなれない

ヒーローってかっこいい。

自身の危険を顧みず、社会のため、人のために行動する。人生をかけて人類のため、世界のために働く。自分ではなく他人のために生きる。

ヒーローは脚光を浴びる。ナポレオンはフランス革命のヒーローであり、後世に名を残すほどの人物である。シャア・アズナブルだってジオンの人々から絶大な人気を誇っていた。

現代のヒーローだってそうだ。人類に革命をもたらしたスティーブ・ジョブズは死後の今でも崇拝されているし、リオネル・メッシもアルゼンチンのみならず世界中のサッカーファンにとってののヒーローだろう。

だけど、今の日本にはヒーローがいない。

今現代のナショナリズムが衰退しつつある日本という国においては、今の日本を作った先人達をヒーローだと拝むことは多くない。もっと言えば、国のヒーローと言えるような人は存在すらしない。

利己主義が蔓延するこの社会では人々はヒーローを求めない。革命を起こすほどの大きな事象に興味を持つ余裕も必要もないからだ。

社会の変革など望むことはなく、ただ自分の生活のために生きている。僕たちは或いはそれだけで手一杯なのだ。

だから、僕たちは世界のヒーローにはなれない。なりたいとも思わないし、そんなものは必要とされてもいない。

けれど、脚光を浴びない「ヒーロー」だって確かに存在する。

幼い娘にとっての父親は「ヒーロー」だろうし、ピーク時に馬車馬のように働くしごできアルバイトは間違いなく「ヒーロー」だ。

友達だって恋人だって先輩だって後輩だって、みんな僕らの「ヒーロー」なんだと僕は思う。

身の回りの人を大事にできる人は、それだけで「ヒーロー」であるだろうし、そうあるべきだ。

生憎僕達は利己的で矮小な存在だから、社会や世界のためになるようなことをできる力は持ち合わせていない。

けれど、自分の身の回りの人を幸せにできたら、少しだけでも楽しませれたら、確かにその人は「ヒーロー」なのだろう。

だから、僕達はヒーローにはなれない。

なる必要もない。




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