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東京に引っ越した父、その後②

前回の続きです。

父の引っ越し先が決まり、今度は、父が1人暮らしをしていた、

大阪の家の引っ越し、引き払い、が必要でした。

お父さん、身一つで、東京に来たからね

あんなに身軽に新幹線に乗ったのが初めてでした(笑)。

大阪には兄が住んでいたので、状況を説明して、大阪の家の引っ越しは、

兄が立ち会ってくれることになりました。

やっぱり、ケアが必要な家族がいると、改めて兄弟がいて良かった!と

思いました。1人で全部やろうとしない、周りに頼る、が大事だと思います

2012年の年の瀬に、東京で入院してから、約3ヶ月。

東京での居住先も決まり、荷物の引っ越しも終わり、荷解きは、

夫にも協力してもらいながら、整えました。

あとは、電気・水道・ガスの利用の手配。

これも、父の代理でできるのかな!?と思ったけど、

意外にもスムーズに出来ました。

そして、退院した父の、東京ライフが始まりました

入院して、かなり安定してた父だけど、1人暮らしが始まると、

やはり、ずっと安定している、なんていう状態は続かなかったな。

薬の飲み忘れも多いし、元気だったり、元気じゃなかったり。

父には、居住エリアのケアマネージャーさんが付いてくださり、

・父に必要な援助
・父に必要な病院探し
・家族として、私ができる援助

を中心に、父のケアプランを作成いただきました。ありがたい。。

父に必要な援助
→1人暮らしの為、父が希望すれば、週2,3回の家事(食事作り、掃除)
 ヘルパーさんに入っていただくことも可能なようでした。

父に必要な病院探し
→継続的に通院できる、心療内科と、内科を提案していただき、通院開始。

家族として、私ができる援助
→普段の電話やメールでのコミュニケーション、月1,2回は直接会って
 父の精神的な支えになっていただければ、とのことでした。

私は、その頃、妊娠7ヶ月ほどかな、お腹も出てきて、でも、

ケアマネージャーさんが、一緒に色々考えて下さるので、とても心強かったです。

しばらくは、安定、不安定を繰り返す状況だったけど、

次第に、父も環境に慣れて来たのか、安定してる時が多くなりました。

東京に引っ越して、2年くらい必要だったかな?

私のお腹にいた、第一子も無事に生まれ、育休中は、比較的たくさん、

父に会う時間も持てたことも、父の安定の助けにはなったかな、と思う。

私の他にも、父は、家の近くに行きつけのお店(就労継続支援B型事業所)を

見つけて、ランチをしたり、モーニングをしたり、店員さんと、

新しい人間関係を築いたりもしていた。

私は、その後、2人目の妊娠・出産も経て、再度育休、復職、そして退職をして、

引き続き、父との時間も持てる状態を保つようにしていました。

そして、2020年、1月、来たよね、やつが。

コロナ禍!!

父が東京に引っ越してから、7年。

さすがに、コロナ初期は、状況もわからないので、会うのを控えたりしている

うちに、子どもの保育園も休園になり、私の余力もなくなりつつ。。

そんな時に、重なるものです、色々なことが。

2020年春、父が自宅内で転倒を繰り返すようになって、

月に何度も、救急車のお世話になることに。

父は、立ち上がることができれば、病院への搬送を拒否するので、

数日後にまた転倒して、救急へ電話!みたいなことを繰り返してました。

や、大人しく、搬送されてくれ!!迷惑やがな!!

と伝えても、「大丈夫や、転けただけやから。」と。

でも、今度は、遂に救急に搬送されることになり、病院からの電話で、

私は真夜中にタクシーで向かうことに。

続きは、また次回、書ければと思います。

最後まで、お読みくださり有難うございます!

誰かのお役に立てれば、嬉しいです。

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