表現者

 先日の日曜日の礼拝後、西公園にて教会員のみなさまと昼食と交わりの時を持っていたところ、牧師夫人が私の近況をお尋ねになりました。
 私は放送大学の学生であり、10月から2年目2学期がはじまったので、はじめは順当に放送大学のことを報告していましたが、その次には、先日制作いたしました映像作品『傾国』の制作中であった旨を報告いたしました。それを受けて、牧師夫人のご次男は次のように言いました。「和真くんは、YouTuberだからね!」⋯⋯。

 YouTuber⋯⋯思えば、「YouTuber」なんて単語が浸透していなかった2013年より、あらゆる拙作をYouTubeにアップロードしつづけてまいりまして、2016年〜2019年まで在学していた美田園高等学校の先生方のあいだでは、私がYouTubeにアップロードしていた動画、および「黒歴史の一片」が、その口にのぼったりして、いろいろな科目を担当されている先生方のなかでも、とりわけ快活な体育の先生は「なになに、和真くん、YouTuberなの!」などという、お元気な反応をお見せになってくださったものでした。

 牧師夫人のご次男も、美田園高校時代の体育の先生も、私を「YouTuber」と呼ぶことに、なんの悪意も抱いていなかったことは承知しておりますが、私はその当時から「YouTuber」というひびきに、個人的には好意的な印象を抱いておりませんでした。というよりも、「YouTuber」として生計を立てておられるならば、大いに「YouTuber」と名乗っていただいて構わないのですが、私のように、10年もYouTubeをやってきて、それで生計を立てるどころか、チャンネル登録者54人である身からすると、「YouTuberと呼ばれるには、まったくふさわしくない」という思いのほうが勝ると言えましょうか。
 もっとも、YouTubeへの作品投稿は、それで生計を立てるとか、チャンネル登録者を増やす、であるとかいう目的でやってきたわけではありませんが、「YouTuber」という呼称への嫌悪感は、つまるところ「プロフェッショナル」の対極である「ディレッタント(芸術や学問を趣味として愛好する人)」たる私自身の「後ろめたさ」に起因するのであろうと思います。個人的には、この「ディレッタント」という語をさらに悪く言うと「多芸は無芸」という語になると思います。

 私は13歳の時分より、ありとあらゆる芸術や表現に手をつけ、その一部始終を、それこそYouTubeやSNSをはじめとしたメディアに、逐一発表しつづけてまいりました。ある時はピアノやベースを奏で、ある時はタップダンスを踊ったりしたこともありました。
 忘れもしません。5〜6年ほど前のある日、こんにちにおいては10年以上の親交を経た私の知己(ちき)と、その知己の大学時代の友人との飲み会で、私のその「タップダンス」と呼ぶにまったく値しない、稚拙な「お遊戯」の動画が一座の話題となり、一座が盛り上がったことがあります。
 その時分の私は、今よりもだいぶ若々しく、血気盛んで、まったく純粋純朴であったので、その一座の盛り上がりを前にして、微塵の疑念をも抱かずに「おれって人気者なんだ!」と、真っ直ぐに思ったのであります。
 そうして酒も進むなか、調子に乗った私は知己に、「タップダンスでこんなに笑いを取れるなんて!」と言いました。すると知己は「いや、馬鹿にされてるだけだよ?」と言いました。その時までに、自身の滑稽なるすがたをまったく客観視出来ていなかった自身の「滑稽さ」を、知己の「親密さのうちにある冷酷さ」をもって呈示された私は、恥ずかしくなり、それ以上はもはや何も言うことが出来ませんでした。
 そうした「黒歴史の一片」は、今や削除するために見返すのも恥ずかしい、まがまがしい「黒歴史の塊」となって、自身のYouTubeチャンネルに鎮座しているのであります。そうして、知己に「いや、馬鹿にされてるだけだよ?」と言われた、ちょうどその時分より思い始めるようになったのであろうと思います。
 
「おまえ、色々とやってるけど、結局何になりたいの? ぜんぶ中途半端で、何がやりたいの?」

 こうした「プロフェッショナル」になれない「ディレッタントの創作欲の恥ずかしさ、後ろめたさ」、「『多芸は無芸』の創作欲の恥ずかしさ、後ろめたさ」という主題は、現在私が唯一自負する「文学」において、そのもはや「己への呪詛(じゅそ)」ともいうべき「ことば」をもってその膿を吐き出してまいりましたわけです。
 さてそこで。2週間ほど前に「日本三大奇書」のひとつである、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読了いたしまして、その解説にて、なだいなだ氏が以下のように論じておりました。

皮肉な見方をすれば、そのすっきりまとまったものに完成させるべき小説を、彼は、作家としての生涯をかけて、より混沌とした、わけのわからないものに、仕立てあげるべく、その生命をそそぎこんだのであった。そのような彼自身の狂気があってこそ、この狂気の世界は書かれえたのである。トーマス・マンは「トニオ・グレーゲル」の中で、作家というものは天職なんていうものじゃなく、むしろのろいのようなものだ、というが、この小説は、まさにそののろいを感じさせる。

夢野久作 ドグラ・マグラ 下 角川文庫 三八〇頁

 このあらゆる職歴経歴を有した「夢野久作」という「作家」は、10余年の歳月をかけて書き上げた、この面妖奇天烈なる『ドグラ・マグラ』について「これを書くために生きてきた」と述べております。「作家」というのは、goo辞書によると「芸術作品の制作をする人」であり、なだいなだ氏の解説、トーマス・マンによると、「作家」というのは「天職というよりものろい」であるということですから、私も「創作制作」をせずにはいられない「『作家』というのろい」にかかったひとりなのでありましょう。
 
 幸か不幸か、その「『作家』というのろい」にかかった私も、歳をとるごとに「取捨選択」ということを、「自分に向いていないこと」というのを覚えはじめ、「音楽」や「文学」のうち、「文学」だけは唯一自負することに相成ったわけですが、その「音楽」や「文学」の延長線で「朗読」に手をつけてみたくなったり、「映像」に手をつけてみたくなっては、今回制作した映像作品である、その尺の2分57秒である『傾国』を、3分以内の尺にて募集していた、とある短編映画コンクールの締め切り日当日に応募したりと、相も変わらず「おまえ、色々とやってるけど、結局何になりたいの?」というアンチテーゼを体現しているわけであります。さしずめそのテーゼは「私は『作家というのろい』にかかった『表現者』である」といったところでありましょうか。

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