『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』の記録を終えて

 個人的アンソロジー手記『金言集』に、リチャード・J.バーンスタイン氏が2002年に著した『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』のなかから、記録しておきたい一節一節を去年の8月末から定期的に書き記してまいりまして、今日やっと終わりました。

 リチャード氏は本書において、第一部の「悪、意志、自由」にて、カント、ヘーゲル、シェリングの哲学を引き合いに「悪」の定義を示したあと、第二部の「悪の道徳心理学」では、ニーチェとフロイトによる「悪」についての言論を取り上げ、最終部である第三部の「アウシュヴィッツ以後」では、レヴィナス、ヨーナス、アーレントという「ホロコースト」の時代に生きた3人のユダヤ人哲学者の言論を挙げます。
 カントの提唱した「根源悪(一般的な訳語としては「根本悪」というみたいです)の系譜」における言論、すなわち「根源悪」と隣り合わせとなる、人間の「自由意志」という概念は「弁神論」とも隣り合わせであり、それは「ホロコースト」という未曾有の「悪」の時代に生きた「当事者」であるレヴィナス、ヨーナス、アーレントの三者にとっては瓦解したも同然の宗教的産物と化し、本書においてこの三者の立場は以下のように総括されます。

レヴィナス、ヨーナスおよびアーレントは一つの計画に従事した。三人はそれぞれ——他人に対する、および他人のための原初的責任、応答可能な存在者からなる未来世代の存在を保証する仕方で行動する責任、そして「他の誰かの見地で思考」し、悪に抵抗するようわれわれを導く規則が存在しないときにも個人的な反省的判断を遂行する勇気をもつための、想像力を必要とする個人的責任——というわれわれの責任の諸相に光を当てたのである。

リチャード・J.バーンスタイン著 『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』 法政大学出学版局

 本書からの記録作業に約6ヶ月かかったというのは、あくまで余暇にやっていたというのもありますが、それだけ人間がなしうる、なしてしまう「悪」について考えさせられたということです。それは、たとい赤の他人がなした悪行、蛮行だとしても「このことに際して、わたしはあなたにも責任を問う、それが今という時代を生きるあなたが有している未来への責任である」という、三者の論調の厳粛さゆえであり、こうしてもったいぶった短い書評を書くだけだったり、文字通り「記録」という「机上の空論」に終わらせないためにも、耳は痛いですが、私がつねに「隣人」の有する「責任」をも有しているということを覚えなければならないと思いました。

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