生涯学習とクヌルプ愛

 10月より放送大学2年目2学期の学業が始まりました。「2学期が終わるまでは勉強に集中したいから小説等の執筆はしない」とかほざいておりましたが、結局書き出してしまい、目下文字数4248文字の新作をちびちびと書き進めているところです。
 前回の『黄揚羽』は約1万8000文字の、短編のなかでも短い作品となりましたが、今回の作品は最低でも3万文字〜4万文字を目指したいと思います。

 ところで放送大学2年目の2学期受講科目は、

原初から/への思索——西田幾多郎とハイデッガー——
英語で「道」を語る
ドイツ語Ⅰ
色を探究する
西洋芸術の歴史と理論
現代の国際政治
博物館展示論
博物館資料保存論
博物館教育論
博物館資料論

の10科目で、「博物館〜」という科目は、私が将来的な進路のひとつとして考えている「学芸員」資格取得のための科目で、いかんせんいくばくか退屈に感じる時も多い科目です。
 しかし、これらの科目を通して、人文系自然史系問わず、その「博物館」における「資料(絵画や化石等の一次資料はもちろんのこと、解説等の二次資料等も含む)」というものは、人類の歴史のなかでの、その「功罪」を示す「資料」をば「後世」へ守り伝えていかんとする学芸員・研究員、博物館ボランティアや館の清掃員等諸氏の連携があってはじめて遺されてゆくものであり、その「資料」が、人々の創作活動や研究のために展示されているのはもちろんのこと、美術館や歴史館への来館者が「単なるレジャー」として、その「資料」を鑑賞した際に、その来館者も意識していない領域において、すでに広義での「学習」をなしている、ということを学びました。
 それはすなわち、その来館者が無意識下に「生涯学習」という多大なる恩恵を享受したことにほかならず、「学芸員」という職業が、人々の意識無意識問わず、自身と、来館者ひとりひとりの「学び」とに寄与出来る職業であるというのは、それだけでとてもやりがいのある仕事だなあ、と感じております。

 もちろん、博物館あれこれの科目の他にも楽しい科目がございまして、ことに「ドイツ語」というのは、英語以外では初めて本格的に学び始めている言語です。
 その動機はというと、私はヘルマン・ヘッセの『クヌルプ』が好きで、『クヌルプ』や、ゆくゆくはゲーテの『ファウスト』等もドイツ語原文で読んでみたいと思ったから、というのもありますが、『クヌルプ』の登場人物のうち、シュヴァルツヴァルト出身の乙女がちょっとだけ登場する場面があります。
 シュヴァルツヴァルトというと、7年ほど前、私が23歳の時分、うちの教会にシュヴァルツヴァルト出身の、その当時ハタチ前後の美しい女の子が「短期宣教師」として、日本に1年ほど滞在していた時期がありまして、もちろんいまさらその女性とどうこうというわけではありませんが、人生ではじめて親しくなったドイツ人で、血気盛んな23歳の「ヤロウ」としてときめいた、その女性のことにも想いを馳せながら学んでいる、という「下心」が、無いわけではありません。
 しかし、それを度外視にしても、やはり「語学」は楽しいです。思えば、日本語の「文語・古語」というのもひとつの「語学」なわけでありまして、万葉集(もちろん一部だけ)の品詞分解をして、ワクワクしていた、6年前のような天真爛漫な心持ちにて、ドイツ語の学習もマイペースに天真爛漫に励んでまいりたいと思います。

 ところで、さくじつ私の友人が誕生日を迎えました。誕生日プレゼントに何を送ろうか考えていたところ、その友人が読書家というのもあり、はじめは「図書カードを贈ろうか」とも考えておりましたが、そう考えているうちに「それじゃあ消極的すぎる、メッセージ性が無さすぎる」と考えはじめられたので「それならば本そのものを贈ろう」と考え、調べていたところ「本は2冊贈ることでコンテクストが生まれる」という、こちらのnote記事(https://note.com/mitsuzo/n/n48c8764a9162)を拝読し、ギフトラッピングされた文庫本2冊を贈ることにいたしました。文庫本2冊のうち、その1冊は前述した、ヘッセの『クヌルプ』です。
 もう1冊の本、すなわち、今回の私の書籍プレゼントにおける「2冊のコンテクスト」を読み解くことの出来るのは、おそらく私の友人のうちでもひとりだけだろうと思います。
 そういった、「書籍プレゼント」に伴い生じる「謎解き要素」や「推理要素」も「コンテクスト」という解釈に立つと、プレゼントとして「本を贈る」というイベントが、よりいっそう楽しくなってまいりますね。

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