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冒険家の父のはなし

家族で『万引き家族』を観て、いろいろと思うことがありました。

わたしの父は、職業柄なのか家を不在にしがちな父でした。

高校3年生の受験シーズンに突入したタイミングで、
いよいよ借りていたマンションを出ないといけなくなりました。

専業主婦だった母への生活費がストップし、
家賃滞納数ヶ月というところまで来ていました。

そんなこんなで、かれこれ10年以上、父と会っていません。
でも父との思い出は、いつも笑かしてくれた思い出ばっかり。
ときには二人で悪だくみもしてました。

豪快で、無邪気で、破天荒。
そんな父を、母は「夢みる夢男(ゆめお)」と笑っていました。

つい最近、ようやく観賞した映画『LA LA LAND』
セブ役のライアン・ゴズリングが言っていたセリフ。

「ロマンチックで何が悪い」

そう、わたしも父と似て、
ロマンチストで「夢みる夢子」なんです。笑
血は争えない。

父は父なりに、いろいろとあったんだと思います。
家をあとにしなければならない程のことが。

あるいは、見つけてしまったのかもしれません「自分の居場所」を。

見放された、とも、捨てられたともまったく思っていません。
わたしが学生の頃は、やっぱり母は大変そうでしたが。
それでも、ふたりでいつも笑って何でも乗り越えてきました。

大学も奨学金を借りながら行かせてもらい、パン屋さんでバイトしては廃棄予定のパンを大量にもらって毎日パン祭りをしたり。

逆境や反骨精神のようなものがいつの間にか備わっていて、
いろいろなことに「耐性」がつくようにもなりました。

まわりから「お父さんは?」と聞かれるたびに

 え、お父さん?うん、冒険中だよー!

と笑って答えていました。
(蒸発という言葉は後日知りました)


父が不在がちだった、わたしが中学生くらいのとき
わたしの誕生日に「誕生日おめでとう」と電話をかけてくれた父。
「どこにいるのー!お母さん心配してるよ!」と言うと
「ちょっと韓国にいるんだ」と父。

うん、父に限っては日本とは限らないのか、と
中学生ながらこの人は冒険家なのだなと悟りました。


実際の職業は、政治家でした。


父が本格的にいなくなってから、約10年。
つい昨年、Facebookに知らない名前の男性からメッセージが来ました。

「父です。病気で、先が長くありません。」

こんなことってあるの、、
戸惑いながらも、母に伝え、いそいで病院へ。

名前も変わっていた父。
いろいろとあって、病院の一室で、家族と看取ることができました。

わたしたちは、ようやく家族に戻れた気がしました。


そして父は、自分の居場所を見つけていました。
第二の人生を歩んでいました。

そして、社長になっていました。


こうゆうところ、子ながらさすがだなと。

そういえば、わたしのファーストパソコンは
父が与えてくれたMacintoshのクラムシェル。

その時はまさか、自分が新卒でWebの会社に行くとは
思っていませんでした。

今もなお大切に保管していますが、こうして子供にはさまざまな
チャンスをと、視野を広く、世界を見ろ、と教えてくれた父。
(留学にも2回行かせてくれました)

うん、これって愛情ですよね。
(そう思いたいだけ?)

ちなみにわたしのFacebookを見つけては、
まわりの人に自慢していたそうです。

「俺の娘は世界一良い子なんだ、美人だろう?」

だからわたしは恨んでもいないし、
じぶんのことをかわいそうだとも思ったことはない。
でも母のことは、助けてあげてほしかった(病室で謝ってた)。

だれかと結婚して、あらたに家族をきずいても、
最後まで「自分は自分」。

自分の人生、自分の生き方があると教えてくれた父。
きっと今も冒険の途中。

ちなみに失踪の真相は、
病気が進行していたため話すことはできず闇のなか。

人生なにがあるかわかりませんね。

人生は一度きり。Life is once.

もうすぐ来る父の命日に向けて、書き留めてみました。


松乃

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