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グランゼコール博士学生がパリ生活1年目を恥ずかしげもなく振り返る

初めまして!某仏グランゼコールにてコンピューターサイエンスの博士学生をしていますたぬきちです。専門はざっくりいうとロボティクス・システム制御です。

この記事では、自己紹介を兼ねてこちらに来てからの1年を雑に振り返ろうと思います。この1年あっという間でしたが、振り返ると大きく心境の変化があったのでこれを機にまとめてみます。

なので、この記事は受験体験記的なものではないです。海外博士留学を検討されている方はご注意ください。ただ、マイナスな部分も恥ずかしげもなく書いたので、その意味ではリアルな経験談として何かのヒントがあるかもしれません。また、記事の後半になるにつれて少し役立つ/面白くなっている気もするので、やや長いですが是非最後まで少しずつ読んでいただけると嬉しいです!


A. 留学までの経緯

思えば、1年半前までフランスに行くとは全く想定していませんでした。いや、それどころか留学に行くことすら定かではなかったです。

僕は京都で6年ほど情報学専攻の学生をしていました。もともと研究者をキャリアに考えていため、いずれは国際的に働くイメージを持っていました。しかし、こと"博士課程から海外"という選択肢に関しては、私の研究室には私の知る限り前例がなく、何か遠いものに感じておりました。そのため、当初はほとんど意識していなかったのですが、いろいろあり家庭状況等も考え挑戦することにしました。受験プロセスなどは今回は割愛しますが、欧州に絞っていたこともあり案外とてもスムーズでした(この辺の詳細もまた需要があれば書こうと思います、コメントや反応などいただけると嬉しいです)。

結局、海外ではじめにオファーをいただいた今の大学に進学しました。日本の大学からも合格をいただいたのですが、研究内容や待遇面から最終的には今の大学への進学を決めました(ちなみに一般に仏ではグランゼコールと大学とは違うものを指すのですが、博士課程の場合にはグランゼコールの博士研究員として契約し、大学に学生として登録されることになっています。ややこしいですね…)。

もう少し粘って色々な大学のポジションへ応募することもできたのですが、卒業が近づいていたことに加えて、大学時代、一時期フランスに縁ある日本人芸術家・研究者にハマっていたこともあり、パリで若い頃に過ごせるってお金に変え難いのではと率直に(安直に)考え、また面接の雰囲気などからもなんとなくご縁を感じてサッと決めました。

思えば、12月に進学が正式に決まり、修論を書き終わってすぐの翌年4月には渡仏したので、かなり忙しないスケジュールになってしまったのでした。

B. 出発当時の心境

そんなわけで急遽決まったパリへの留学ではありましたが、こちらへ来る前の心境としてはワクワクでいっぱい!
ということはなく、全然不安の方が大きかったです。

まず、言語の問題。指導教員からは「ラボはかなり国際的だから、英語で問題ないよ」と念押しはされていましたが、とはいえ「修士まで海外留学経験ゼロな上、なにやらパリジャンは英語すら話してくれないらしい…😅」と思ったり。他にも、スケジュール感の問題。正直なところ、修士後半の時の僕はだいぶ参っていたのですが、そこに畳み掛けるように仏指導教員から「できるだけ早く来てほしい」と言われてしまい、「またすぐにギアを上げられるのか…😅」などと思ったり。

今思えば、留学、研究、語学など様々な観点での懸念が一挙に重なり、いろいろな不安を抱えていました。周囲からもビビらされ、修士で疲弊していた僕は、自分に言い聞かすように「もし半年で無理だと思ったら、帰ってくる!!😠」と周囲に言いふらしていたことを覚えています笑

C. 出発当時の留学1年目の抱負

上述のような不安はありながらも、とりあえず出発時にせめて1年目の計画というか抱負(優先すべきこと)を決めておこうと思い、留学全体やその先の将来を考える上で、留学1年目にやっておくべきだよね、と思ったものを3つまとめました。順に、1.生活の基盤を整える、2.指導教員から信頼してもらう、3.仏語をB1レベルくらいまで上げる、です。以下で順に説明します。

  1. 大枠として「基盤を整える」ことに重きを置く。生活、友人、研究、語学全て。枝葉にこだわらず、まずは基盤を整える。

  2. 特に研究においては「指導教員から信頼してもらう」ことが大事。即レス等。第一印象が重要。

  3. 特に語学においては「仏語を日常会話できるくらいまで上げる」ことが目標。研究者のキャリアとしては仏語よりむしろ英語を磨く方が重要ですが、留学3年のスパンを考えた時、人生全体を考えた時にここで切り捨ててしまうのはもったない。初めにレベルをある程度上げておけば、あと2年間の日常会話も勉強になっていくはずなので、仏語に力を入れるなら初めの1年。

書いてみると当たり前のことが多いですが、振り返るとこうやって最初に1年の軸をある程度定めておいて良かったなと感じています。

特に項目3は重要かなと思います。理系の博士留学は「研究分野」から行きたいラボを設定することが多く、「(留学先の)国」を最初から優先することはそれほどないと思うのですが、実際には、留学後のキャリアは国により大きく異なると言う事実があります。英語が第一言語ではない国へ理系博士留学をする方は考慮に入れるといいかもしれません。これと同じことをドイツで博士課程をされているがんちゃんさんもポストされていて改めて重要性を認識したのでした:


D. 1年を時系列に振り返る

そんなこんなで不安から始まった博士課程の1年目。実際どうだったかと言いますと…渡仏時の不安はどこへやら、とても愉しい研究生活をしており今の環境に満足しています😄

以下で、自分の日記とXを見ながら雑に1年を振り返ってみます。

4~7月:この頃は、土日は必ずパリのイベント・ミートアップなどに参加したり言語交換をしたりなどアクティブに動いていました。まず、到着直後の感想はこんな感じだったようです:

新鮮なことが多く愉しんでいたようですね。こうも呟いています。

不安を抱えながらラボを初めて案内してもらった日、同僚がいい人ばかりで嬉しかったようですね。同僚の人柄とかもそうですが、ビックラボの運営、多様性、カフェ文化、イベント企画など、あらゆることが新鮮でした。自分のラボは欧州でかなりビックラボなので、日本型の運営スタイルに慣れていた僕はその違いに面食らいました。

ラボの公式webを覗くとファカルティーが90人強、PhDが140人とのこと…確かに日本ではあり得ない数字ですね笑。多様性に関しても、体感では仏人25%、南米20%、東欧15%、南欧(北アフリカ含)15%、アジア15%、その他10%といった具合に分散されています。仏の中ではかなり国際的な方なようです。

おや、またたぬきちがツイートをしているようです。

そういえばこの頃、ラボ以外の場(バス停や学生寮)でもコミュ力を発揮し、友人を作るなどしていたようです。

8月:この頃は周りがバカンスに出かける中、滞在許可証などの関係もあり、家にこもってひたすら研究。一番精神的に苦しかった月だったかもしれません。1つ目の研究をある程度形に。
9月:ついに遅ればせながら待望の初バカンス。欧州7ヶ国(スペイン、モナコ、オーストリア、スイス、オーストリア、ドイツ、イタリア)を大学生の弟と貧乏周遊。実は合格決定後、京都で留学生だった仏語話者(パリジャン、スイス人やニース人ら)とミートアップしており、このとき帰国した彼らに各地をそれぞれ案内してもらいました。彼らとは本当に気が合います。持つべきものは友です。

おや、バカンスの思い出の一部をスレッドにまとめていたようです:

10~11月:この頃は、2つ目の研究をある程度仕上げる。あまりに高い家賃に嫌気がさし、引っ越しを考える。周りが住居探しに苦労する中、飛び込みで次の住居を見つける。
12~1月:年末はシンガポールでの国際学会にて発表。その後、二度目のバカンスをとり、タイなどアジア旅行(弟や友人と)。帰仏後すぐ初の引越し。2つ目の研究を仕上げた後、初めて仏で風邪を引く。

おや、バンコク旅行に関しては珍しくnote記事を書いているようです。

2月:寒さもピークを過ぎ、ラボ内でのイベントなども復活し始める。noteやXなどでの発信についてぼんやり考え出す。

こう1年を振り返ると、人生で最も変化があり、最も愉しかった1年かもしれません。修士で頑張った分が効いてきている感じです。

E. 1年を項目ごとに振り返る

月毎に振り返ったところで、今度は項目ごとに1年を評価してみます。

  • 語学:ラボでは英語、日常は仏語を使用します。仏語はガチゼロからのスタートで多分B1くらいまでのびました。研究をしながらここまで1年で来る人はあまりいないらしく、理系の割に言語学習は割と得意なようです。仏語は講座などはほとんど取らずに、人からの紹介やアプリなどで言語交換を希望している人と会って、会話しみながらその場で吸収しています。学生時代から国際交流が趣味だったこともあり愉しく学習できています。一応、効率を意識しながらちょっと工夫してやっているので、またいつかその方法もどこかにまとめるかもしれません。

  • 研究:おそらく教員から信頼されているはず。数報サブミットもした。ポジションへアプライしていた時から、分野の親和性を重視していましたが、それが功を制しました。まさか、ここまでシームレスに博士課程の研究につながるとは想定していなかったです。

  • 文化:パリという街はなんだかんだ気分を高揚させてくれますし、歩くのに全く飽きません。歩くだけで、うっすらロマンチックな気分になれます。また、これは出発時から身内や親しい友人にも言われてたのですが、やはりこちらのカルチャーは自分にとてもあっているようです。私は最近よくフランスは「愛と適当」の国だといっています。たまに(いや、いつも)心の中で適当すぎやろと突っ込みたくなりますが、それらひっくるめて、人間やってるなぁ、と思います。声かけを大事にする文化も素晴らしいなと思います。

  • 友人:仏の特徴だと思うのですが、日本に興味を持っている人は本当に多いです。改めて恩恵を受けているなと思います。また、ラボの友達も、アジア系とはもちろん、多様な国からの留学生がいて、いろんな国の話が聞けています。とはいえなんだかんだこちらで友人の輪を広げることは難しいので、日本で友人をつくっていたことはラッキーでした。実際に旅行に繋がったりなど。

お気づきの通り、まとめると、特段不満もなく、抱負のリストもおおよそ達成され、結果的に全体的にうまくできてしまったようです。
テレビなら視聴率伸びない展開、凡回です笑

もちろん日本のこう言うところがよかったなぁと思う時もありますが、ふとフランスのいい面が見えてきたりもします。何事も中庸を大事にしてきたのが良かったかもしれません。

F. 2年目の抱負

一応、2年目の抱負をここに記して、この記事を終えたいと思います。

  1. 現地留学を活かして、国籍問わずソーシャライズする

  2. 新しいことに挑戦する(例えば、記事をたまに書くなど。まぁ恐らく3ヶ月に1回くらい笑)

  3. 周りへの恩返し

以上、1年目よりも注意すべき点が見当たらず、無理矢理感が否めなかったです笑。まぁともかく引き続きパリを愉しみたいと思います!

G. 終わりに

情報過多の現代。たまには、こうやってゆっくりと過去を振り返るのも悪くないですね。ここまで駄文を読んでくださった皆さん、大変ありがとうございます!

皆さんもよければ、たまにはぼーっと1年を振り返ってはいかがでしょうか。そして、もしよろしければ、適当にコメントやいいねなどくだされば幸せです。書いたからにはたくさんの人に読んでいただきたいので、是非Xのフォローやリツイートなどもよろしくお願いいたします。

というより、もし在欧の方でせっかく時間を割いてここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、是非Xで絡んでいただけると嬉しいです!こういった記事から何か新しいことが始まるといいなと思っております(恥ずかしげもなく記事を書いたことも報われます)!

たぬきもこのように呟いています。

それでは、また。
読者の皆さんの1日にも幸あれ、だなも。


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