パニック障害になって①

<最初に>

今回は私のプライベートを少し切り取りながら、私の過去の病気について少しお話しできたらなと思います。(※病気の症状のお話も出ますご注意ください。苦手な方は飛ばしてください。症状は人それぞれ違います。ここではあくまでも私が体験したことをお話しします。ご了承ください。)



<すべての始まり>

あれは高校の時。

私の高校は進学校でみんな頭がよく、
そのなかで頭の悪い私は正直浮いていました。

クラスメイトが簡単だと思っている問題も解く
ことができず、

先生に当てられてもこたえることができませんでした。

みんなの前で立ち尽くし、
周りからは

「こんなのもできないのかよ」

というような声さえ聞こえてくるのでした。

それでも私は頭が悪いなりに頑張っていたと思います。

隙間時間に先生に質問しにいき、
放課後も同じくわからない問題を聞きに行く。
家に帰ったらしっかり復習する。

細かい努力を続けていましたが、


ある日のこと。あれは忘れもしません。

いつものように先生に質問しにいったところ

私が仲良くしていていつもいっしょに行動して
いたお友達が私の様子を覗きにきました。

そして


「え こんな問題もわからないの?」


と大きな声で言われたのです。

その時の私と言ったら、恥ずかしいやら悲しいやらで顔が真っ赤だったと思います。

味方であると思っていた友達に裏切られた気がしたからです。

その時は苦笑いで誤魔化しましたが…

その日から少しずつ私は変わっていってしまいました。



<症状>

しばらくたって少しずつ様子が変化していったように思えます。

今だから言えるのですが、やはり当時の自分は
自らの不調に気づけていませんでした。

それほど追い詰められていたからです。

まず最初は教室で息ができなくなってしまったことでした。

授業中や普段生活していても
うまく呼吸ができず手足が痺れ、
頭がボーッとしてきていました。
そして…気がつくと保健室にいる

後から話を聞くと急に倒れ過呼吸になってしまっていたらしいのです。

その日からだんだんと過呼吸の頻度が増えました。

過呼吸になってしまうんじゃないかという不安から

最初は教室、次は廊下、そして体育館と
広い場所へいけなくなりました。

過呼吸になってみんなに迷惑を掛けてしまうのが怖かったからです。

そして不安になると過呼吸になってしまうようにもなりました。

しまいには保健室にしかいることができなくなってしまいまったのです…

しばらく保健室登校をしていましたが、

授業にはまったく出れず…

そんな苦しい日々を過ごしていました。




<大きな決断>

授業にも出れないそんな日々が続いていた私ですがある決断をします。

転校することにしました。

通信制の高校に転校して自分のペースで通うことを親から提案されたのです。

最初は本当に渋りました。

自分がここで頑張れなかったら生きている意味がないんじゃないかと思っていたのと、

環境が変わってしまうことがとても怖かったからです。

大きな決断でした。

高校を転校し通信制の高校で自分のペースで通うことにしたのです。


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