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【随想】「七人たち」に魅せられて

「『荒野の七人』って映画知ってる?」
吉原くんはそう言って、ちょっと日本人離れした堀の深い大人びた顔でニコリとした。小学五年で「ボク」が転校して来て数週間ほどした時のこと。たまたま家が近かった吉原くんとはたまに登下校が一緒になりすぐに親しくなった。もう何十年も前の話だ。
「いや、知らないけど・・・」
確かに知らない。子供の「ボク」からすると、テレビで見る映画なんて大人が見るものばかりで、たまに放映される特撮ヒーローものとかアニメくらいしか見なかったから。
「これが面白いらしいんだ。昔の映画なんだけどうちの親父が西部劇好きでね、次の日曜日、神戸でリバイバル上映があるから行くんだけど、タロちゃんも一緒にどう?」なんて声をかけてくれた。
「え、いいの?」「もちろん」
その日、両親に吉原くんと映画に行くことを告げて「ボク」は次の日曜日が来るのをワクワクして待った。

映画館で子供向けしか見たことがなかった「ボク」だが『荒野の七人』にすぐ引き込まれた。オトナ映画鑑賞のビギナーでも素晴らしく面白いものだった。ストーリーはシンプル。盗賊集団から搾取される農村を七人の個性豊かなガンマンが救うというお話。言わずと知れた日本の黒澤明監督の『七人の侍』のリメークだが、これは吉原くんのお父さんにあとで聞いた。「ボク」も吉原くんも食い入るように見た。大画面での戦闘シーンは迫力満点で子供心にハラハラしながらスクリーンに釘付けになった。七人のガンマンの個性が描かれるシーン(特にジェームス・コバーンの孤高のガンマンがナイフを使って鮮やかに相手を倒す場面や遠距離の射撃は鳥肌モノ)や力尽きて倒れていく場面(チャールズ・ブロンソンが子供を助けて撃たれてしまう)など、子供向けの作品にはないシリアスな設定だからそのリアルな演出に「ボク」らは一気に大活躍するガンマンの虜にされてしまったのだった。

鑑賞が終わって、これまたちょっと高そうなレストランで食事をご馳走してもらい、コーヒーをズズッと音を立てて飲みつつ緊張する「ボク」に「君は洋画はよく見るの」なんてお父さんに聞かれて「いえーあのー日本のばかりでー、ゴジラとかー、仮面ライダーとかー」なんて子供らしい返事をした記憶がある。
「また黒澤の『七人の侍』も見たらいいよ。そっちも面白いから」
吉原くん親子は頷いたり笑ったりクロサワとかスティーブがね、なんて初めて聞く人名、単語を駆使して会話が弾んでいる。完全アウェー感満載の中で、のほほんとした「ボク」ではあったが子供心に気づいたのは生活レベルがだいぶ違うんだなと言うことだった。それもそのはず、後で知ったのだけれど彼の父上は建築士で、それも地元では割と有名な事務所の経営者とのことで、ちびまる子ちゃんで例えると、まる子と花輪くんくらいの差はあったわけで、カルチャーショックはあたり前だったのである。ちなみに「ボク」らが通う学校の体育館も設計されたとか・・・。もちろん小学生の「ボク」に建築士というのが何かは理解はできていなかった。

それからしばらくして『クロサワ』の『七人の侍』もテレビで見ることができた。なかなか放送されることがなかった黒澤映画だったが、代表作品などの放映が決まり、はやる気持ちを抑えつつ、じっくりと自宅で鑑賞したのだった。そのモノクロの前後編に別れた三時間半の大作は噂に違わぬ迫力とリアリティ。時間が長い分『荒野の七人』より細部に渡って丹念な描写だった。

またまた「ボク」らは圧倒されちゃった・・・。

翌日、学校に行くと吉原くんが例の端正な笑顔で先日の『荒野の七人』の音楽も入った西部劇大全集といった“カセットテープ”を持ってやってきた。
「あれ?それ、“荒野の七人”入ってるやつだよね」
「うん、親父に買ってもらっちゃった」
「え、いいなあ」
「今日貸してあげるからさ、ところで『七人の侍』見た?」
「見た!」
「良かったよなあ、オリジナルはやっぱすごいや」
それから、どこが良かったか、『荒野の七人』とどこが違ってて、それぞれの相違点を言い当てては、黒澤作品のどこが凄いのか・・・なんて目をランランとさせながら子供なりに論評したのだった。学校帰りも話題は続いたりして・・・。

・志村喬は実に実に格好良い。個性的な昭和を代表する名優だがワイルドではないのに侍のリーダーにキャスティングしたことからして素晴らしい。
・宮口精二演じる「久蔵」はとてもニヒルでストイック。このキャラクターは欧米人がイメージする「侍」にかなり合うのか『荒野の七人』でも、絶妙にガンマンに置き換えられているがジェームス・コバーンのブリットでもあまり設定が変えられておらず、魅力的なキャラクターに収まっている。
・三船敏郎演じる菊千代と木村功の勝四郎は、ホルスト・ブッフホルツ演じるチコにあたる。荒くれ者だけど根は優しく、戦闘は初心者。
・時代や地域差が、うまく脚本家されている。西部劇ではお国柄か、七人の活躍が中心でカラッとした印象なのに対し『七人の侍』では前半、ヒューマニズムがしっかりと描かれ、後半は観たことのないド迫力の戦闘シーンとなり、モノクロなのにカラー作品の『荒野の七人』さえ上回る迫力。

なんて(もっと子供の言葉で)言い合って「ボク」は意気揚々としながら帰宅してラジカセで借りたテープを再生すると、吉原くん親子と行った映画が思い出され、同時に『七人の侍』の余韻の中にひたることができた。

大人になり社会に出て、それからしばらくは風の便りでしか名前が出ることはなくなってしまったけれど、彼とは高校が別になるまではこんな調子で交友関係は続いた。

根っから映画好きになったのはこの思い出があるからなのは確かだ。
黒澤監督の映画は、今や気軽に放映やレンタルで見ることもでき、当時の記憶が鮮明に呼び覚まされる。ネット時代になり、様々なサイトで『七人の侍』の記事を見ると当時はうかがい知ることができなかったエピソードにも触れることができる。


脚本は監督自身と橋本忍、小国英雄の三名でそれを何度も練り直している。制作上の苦労はあまりに多く語られているので、ここでは省略するが相当なものだったのだと知った。まだCGなどないころに、マルチカム撮影であれだけの世界観を築き上げるのだから現場は惨状だったろう。何にも増して黒澤明の博愛精神の高さが伝わってくる。今の時代であそこまで突き詰め、こだわって作られる作品はそう多くないだろうなと改めて実感させられる。雨の中、泥まみれの戦いはとにかく圧巻。実際は真冬で積雪の中、雪を溶かし、その上にホースで雨を降らせて撮影に挑んだというから恐れ入る。志村喬記念館に行った写真を掲載したときに書いたけど、本当に「襟を正して、背筋を伸ばしたい」気分になるのがこの『七人の侍』。だから今まで行き詰まったときや気分転換したいときなど、この映画を観たり、場面を思い浮かべて、自分をリセットするようにしている。


後年、ばったりと出会ったとき、吉原くんはお父さんの後をついで一緒に建築事務所をやっていると本人から聞いた。
「どう?仕事は」
「ボク」がそう聞いたら
「厳しいね」と言った。「昔と違って今はたくさんライバルもいるし、価格競争も大変だから。従業員も俺と親父だけさ」なんて昔と同じ様な笑顔で言っていた。昔と違うのはそこに、少し重苦しそうな様子が見てとれたことだ。何年も顔を合わせなかった期間の厳しさを知った気がした。「ボク」自身フリーランスという立場だったから、彼の気苦労が余計に伝わってくるような感覚とでも言おうか・・・。ひとつ舵取りを誤れば行く先には考えたくもないミライが待っているから。こちらが思う以上の苦労を味わったのではないだろうか。


この映画には多くの名場面とセリフがあるが、「ボク」の一番好きなセリフは、長老の儀作が村人に言った、
「腹をすかせた侍を雇え」
という言葉だ。この一言から個性あふれる群像の“成し遂げる物語”が始まり、成り行きとはいえそれに応じた侍たちのヒューマニズムやチームワークがぐいぐい人を惹きつける。

いつの時代も『腹を空かせた実力者たちが使命感で何かを開拓する』のだろうなといつも思う。同時にこの言葉は「知恵と勇気で無我夢中になって立ち向かえ」といつも励ましてくれる。

なんだか気持ちの奥底から「ハッ」とさせられるようでならない。

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