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書評『「知らんがな」の心のつくり方 あいまいさを身に付けるレッスン』・囚われることを許す

「知らんがな」と「知らんけど」

「知らんけど」は最強の魔法

語尾に
「知らんけど」とつけとくといい
と、若かりし頃に先輩から教わった

それは一体どうゆうことだろう
よく分からなかったけど
部長はよく「たぶん」と語尾につけてたので
言い切らないというのは保身の術なのかもしれない、と当時思った

おかげさまで
資料を見返さないと分からない時は
「たぶん」とか「知らんけど」とか
言うようになった気がする

「知らんがな」の受け流し

知らんがなとは流石に職場で言うことはない
何か聞かれて「知らんがな」と
答える人はなかなかヤバいと思う

でも、質問内容や意見されてる内容によっては
「知らんがな…」と言いたくなることは
山ほどあるではないか

口に出す必要はないが
心の中で「知らんがな」と言うことは
身を守る一歩かもしれない

知らんがなと片付けるのは
思考を放棄したわけでも
無責任になったわけでもない

世の中には
どうも自分の力では変えようのないことがある

例えば、
空の色を変えることはできないし
天気を操ることも出来ない
バス停が家の目の前になることもないし
フルリモートワークが
いきなり全世界標準になることもない

そして何よりも
他人を変えることは出来ない

長い年月と努力で変えられることもあるので
諦めろと言ってるわけではないが
物事は瞬時に変えられないこともあり
そうなると仕方ないか…と一時的に諦める必要がある時もある

他人からの小馬鹿にされる日があったとしても
「知らんがな」と流せる心が欲しい

でも、そんなに簡単に
仕方ないよね、とか
知らんがな、と
受け流せたら世の中の人はそんなに悩んでない

善意、悪意に関わらず人を押さえつける人

悪意はもちろんのこと
善意で人の可能性を潰してくる人はいる
資格取ろうと思うんだよね
と言ったら無理だろと言ったり
転職や出世の希望を言ったら
絶対向いてないと言う人がいたり

エンタメ系を目指してる人なら
きっと余計なことをさまざまに言われたろう
漫画なんて食えない
声優なんて無理だ
イラストなんて貧乏になるだけだ

それらは、統計的に考えて事実なのだろう
しかしやり抜く人の中に
目標を叶える人も確かにいる

余計なお世話に
「知らんがな」と受け流せたらいいけど
そうもいかなくて心がチクチクする人もいるだろう

適切な自信で「知らんがな」と跳ね除ける力をつける

何かの試験を受ける時
どうせお前なんて受からない
など余計なことを言う人がいるかもしれないが
知らんがなと跳ね除けるには
ただ、やることをやって自信をつけていく

そんなようなことが本書には書いてある

世の中は白か黒ではない、グレー

ビジネスの文脈においては
ファクト数値を追いかけて
ハッキリとした答えを得ないといけない

一方でビジネスは曖昧な文脈も多く
知らんけど、知らんがな…と心で呟きながら
どうも受け流していかないといけないシーンが多い

でも、その曖昧さも
自分が腑に落ちるストーリーが、
たとえ推測でも見つけられてるのならば
たぶんこうなのかな、知らんけど

と、受け流していけるはずだ

どうにも腑に落ちない案件や
あるいは自分のことなのに
自己矛盾に陥ってモヤモヤが晴れない時もあるだろう

人間には、認知不協和といって
矛盾する二つのことを抱えることができず
「知らんがな」が出来なくなる

どう考えても二律背反な指示がきたり
何とも理不尽な朝令暮改な指示がきたり
二人の上司が異なることを言っていたりして
頭が混乱してしまったら
知らんがなとしたくても
そうもできない日もあるかもしれない

世の中はグレーだ
でもそのグレーを選べない日もある

囚われることを許す

『反応しない練習』では
恨みなどに囚われず
反応しないコツが書いてある

しかし、これにはかなり長い時間がかかるので
今すぐに自分が囚われてることから解放されるのは難しい

だから
何か恨みや悲しみに囚われている自分を許す

『ソーシャルジャスティス』で
内田舞先生が言ってる
ラディカルアクセプタンス

ネガティブなことも
それはそれとして受け入れる

どうしても許せないこと
納得のいかないこと
悲しみから解放されないこと
囚われていること
そのことが頭から離れなくても

ただそのことを受け入れる
それでいいのだ

課題の分離

腹の立つことを言われたり
余計なお世話を言われたり
どうしても他人に囚われてしまうことがあるけれど

常に課題の分離を頭に入れよう
仕事ならば各々の課題と切り捨てるのでなく
共通の課題として捉えるが

しかしそれはパーソナルな出来事なのか
よく立ち返って考えてみる

例えば、自分が陰口を叩かれているとして
色々と振り返った時に自分に反省すべきことがあると思うのならば
自分の課題として立ち向かい改善していけばよい

でも、いくら改善したとしても
どこからか先は、他者の課題だ

全てのことに他人の目線を気にして生きていくことはできないし
かと言って、他人の目線を全て無視して傍若無人に振る舞うのもよくない

だから線を引く
ここからは自分の課題で
ここからは相手の課題。
知らんがな

曖昧さは課題の分離だ
全てを引き受けることなく
しかし全てを無視することなく
自分の責任範囲を程よく持ち
自分には変えようのないことには
知らんがなの心構えで手を離そう

そう呟いても
ネガティブに囚われるとしても
自分を許していこう

参考書籍一覧

「知らんがな」の心のつくり方 あいまいさを身に付けるレッスン

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る

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