西部邁の自殺の真相 ~人生を台無しにしない方法と、負担と老害の高齢者に陥らない為の記事~

西部邁は、去年の1月21日に自殺した。
その死に関連して、それを手伝ったものとして二人の逮捕者が出ているわけであるが、真相と書いていると云えども、その二人が謀略として殺害したなんてことを、私はまるで言うつもりはない。
ただ、私はあれこそが保守の言論活動をしてきた西部邁が残した、最後の保守の言論だと思っており、語るべきはなぜ死んだかという動機であるとし、この一年考えてきたのである。

そして辿りついた答えが、この記事である。

これを読んだあなたには、自分や他人の死について真剣に向き合うようになって欲しいと、私は思う。
また、人情として思わず手伝ってしまう程の、西部邁の想いも組んで欲しいと、私は思う。
或いは、その二つを持たなくとも、それを乗り越えるような素晴らしい反論を戴ければと、私も思う。

その、どれかになれば、私は死んだ西部邁氏にとって供養になるだろうと思っているのだ。

では、語ろう。

世間にろくに語られないままに消えてしまった、西部邁という孤独な天才が死んだ理由を。
彼が語った思想を手掛かりに、自分なりの想像で彼の思考回路を補完して、答えへと皆を導こうと思う。

  ●

かつて世界には死が溢れていた。


それは飢餓であり、それは疫病であり、それは天災であり、そして戦争であるなどの困難が、統治者としての深い悩みであった。
しかし庶民はそれを悩みにしていたかというと、必ずしもそうではなかった。
できるだけの手は尽くすし嘆きもするが、不条理なものと、自分の遥か上にある神や運命の領分であるとすれば、何とか受け入れることができる、そういう代物であったのである。

しかし、世界は発展し、それらは完全に駆逐したとは言えないが、飢餓も疫病も戦争もそれなりに克服できるものとなり、天災ですらもその被害をできるだけ抑えることができるようになり、被害は着実に減っていくものとなっていった。
だが、それにより、運命や神を前にしてただ死ねば良かった状態から、肉体だけでもより長く生きさせることができた為に、誰もが老衰や病死を前に、死への選択を迫られるようになった。

西部邁は、これを自らに問うた。

自分はまだ頭は働くし、議論もできるし、まとまった文書を書くこともできる。
しかし年々身体は衰えていくし、手も不自由な時がある。
果たして、それが極まった時に、身体を動かせず糞尿の扱いにまで他者に看護されることを自分は了承できるだろうか、精神や知恵が回らなくなり自分が考えてきたことの全てを忘れた生き方をすることを、自分は了承できるだろうかと。そして了承ができないとしたら、自分はその後にどういう行動をするべきなのかと。

その場に至り、周りに迷惑をかけたくはない気持ちはある。
身に付けてきた礼儀作法や、倫理を完全に失った振る舞いをすることへの恥もある。
ならば死ぬべきかというと、
最後まで生き抜く希望を示すことも人間の大事かも知れず、またこの身体の奥底にある生きるエネルギーを無視することは、人間や生命の否定になるかも知れない。

そうして何度も何度も考え、多くの死が書かれた文献にあたりもしたが、結論を下すことはできなかった。
答えを出せないなど何が悪かったのかの問いがあるうちも、他の問いに向かうことを迫られ、忙しく生きていた先に、ある日、ふと思い当たるものがあった。

それは、袂を分かつ前の、政治や社会問題に命をかけた友の姿であり、
それは、国防の最前線に立つ若者の言葉で陥った心の底であり、
それは、神社の社に射す神樹の陽ざしでもあった。

そのビジョンが過ぎった後に、どうやらと西部は考える。
自分は社会的な都合と周囲と自分の気持ちしか考えていなかったようだ。
この死という普遍的で、永遠のテーマについて考えるには、この次元に収まっていてはいけないようだと。

そこで、西部は根源的な問いに戻った。

それは、生物と人間を隔てるもの、或いは良き人間と悪き人間を分けるもの。

つまりは、人間の価値とは何かということだ。

その問いを立てた時、まず彼が思い浮かべたものは、自分が嫌いな醜い存在のことだった。

大した思考もせずに、他人からの借りた言葉を、経緯も知らずに使う上、都合で簡単に引っ繰り返すことを恥じない知識人
せいぜい自分の専門のことしかわからない癖に、そこで経験したことが世の中の全てだと思い込んだ結果、単一の視点から社会のことについても口出しして、世に混乱を招く専門人
薄ら笑い浮かべながら他人の出来の悪い作品にお世辞を使うことで、次に自分の大したことない作品を誉めてもらおうという、そんな魂胆である作家や芸術家達
コレクターの病的心理楽しみつつ絶対者代わりに歴史産物を持ち出し、最高級と思われる果実を鑑賞することだけに憂き身をやつすマニアやオタクと呼ばれる連中
無邪気に技術は発展していくとほざいて、地域や家族関係を壊して人間の組織をより安い機械に変えていき、いざという時は予想外とうろたえて見せれば済むと決め込んでいる経営者や、それを後押しする学者たち
国や世界などの大きな立場を引き受け、将来に対してすべき決断をしようとせず、その立場を守ることだけに汲々としている官僚や政治家たち

――あぁ、彼らは、どうしてあそこまで醜いのだろうか?

西部邁は、そのことをタクシーの空から見上げ考えていると、ふと近くに友人が入院している病院があることに気づいた。
そこに寄り、旧交を温めたのち、再び外に出てきた後で、さっきの問いの人々と、チューブに繋がれていた友の姿が浮かんだ。
そうだと、西部は気づく。
あんな醜い連中も、最後はチューブに繋がれてしまうのだ。そしてあの病院にいた老人達のように、不平と苦痛を呟きながら、死にたくないと言うようになるのだ。
永遠に虚空を見つめながら。
老いたが故に、決してまとまらず、答えの出ず問いも出せない思考を、死ぬまで続けるしかなくなるのだ。

俺は、あんなふうになりたくない。
俺は、あんなふうに死に対し、負けてしまった生き方をしたくない。

なら、死に勝つ生き方とは何なのだ?
人間の価値と言えるものは何なのだ?


それはあんなふうに、ただ生き延びることでなく、人間が思考して生きることにあるはずじゃないか。
その精神が失われる時、器となる身体が保たなくなった時、俺達は死ぬべきなのだ。
その精神を保つ為に、失われた精神をこれ以上保たないようにする為に、自殺をするべきなのだ。

精神がない子供は、これから育つ可能性があるから良いだろう。
直せる可能性のある病気ならば、生き延びなくてはならないだろう。
しかし、可能性も希望もない老人や病人ならば、身体や精神がダメになる前に死ぬべきなのだ。
若者に迷惑をかけず、手伝いをしながら、できるだけ楽しく生きて老人になるのも悪くないと未来ある若者や怯える中年たちに態度や語りで思わせ、
それが果たせなくなった時に、迷惑をかけず、即座に死ぬことが老人としてあるべき姿で、語ってきたことを真実とする方法なのだ。

金を持ち、身体を鍛え、健康に気を使い、楽しそうに振る舞い、
ピンピンコロリと死ぬように、自殺を求めるべきなのだ。

――なるほど。しかしそれは大変なことだろう。死ぬ側も残された側も。

衝動的に死ぬようなら、人間精神活力を弱化させた結果でしかないので、人間精神の勝利とはならないし、
相手に告げずに死んだら、相手が後悔や悩みに囚われてしまうことも、良くないことだろう。

来るべき来たら別れを告げて逝き、相手もそのことを頷いて、「いってらっしゃい」とだけ言えるような軽やかな関係が作れないものか。
人間の命が風船のように軽いから死へと飛ぶのではなく、
飛べる翼を持っているから軽やかに飛べるようになるにはどうすればいいのだ。

生命が死ぬ時はどのような時だ?自分が去ることを頷く時はどのような時だ?
それは自らの存在が保たなくなった時と、自分が成すべきを成し、渡すべきものを全て引き継げたと思う時じゃないか?

――あぁ、これは大変だぞ。

それはつまり、後悔しないような生き方をしろってことじゃあないか。
様々な知識を得て、思考を積み重ねた上で、
必要と思うべき行動をし、あるべき組織を組んで織りなし、
そこで作り上げた物や者を大切に思い、思われるのを全人類が個々に作り上げなければいけないのだ。
自らの力や役割の及ぶ限り。精一杯目指さねばいけないものだ。
そのことは、才能や力の有無を問わないはずだ。
技術や経営や芸術の最前線ばかりでなく、日々農業で食べ物を育てている人や、子育てと家事という大事なことを繰り返すこともまた、偉大にできる価値観でなくてはならないのだ。
そうしてそれぞれが掴んだ人生哲学や生業や物語を、相手への尊敬と優しさを込めて語るのだ。その果てに自らは果たし引き継がせたと、だから去る時が来たと遺す相手に納得させなければいけないのだ。

そうして果たすべきを果たし、渡すべきを渡し、立つ鳥が跡を濁さずに終えるからこそ、世界は楽園になっていく。
ならば、今世界の自然や文明環境が悪くなっているのは、果たすべきを果たさず、渡すべきを渡さず、迷惑をかけまくって死んでいる人がたくさんいるからなのだ。

俺は、そんなことにはしたくはない。

そんなに社会から認められてこなかったし、嫌いなところもいっぱいある世界で、滅んでしまえと思ったことも数えきれないくらいあるが、それでもわかってくれた人々はいたし、そんな人々がいる世界なら救われてしまえば良いと、そう思うのだ。

だから、俺は自殺をしよう。

俺のようなものはこの国で初めてだから、上手くいかないかも知れない。
死ぬタイミングが遅れて迷惑をかけるかも知れないし、
死ぬ理由を上手く説得できずに、遺されたものに辛さを残してしまうかも知れない。
またいつものように、世間に影響を与えず、意図が誰にも伝わらないまま終わるかも知れない。

しかし、俺は死ぬのだ。

絶対的存在なんかないと蹴飛ばした上で、自らを人間と知りながら超人のように見立て、高い見地から世俗を越える詩をうたうのだ。
語るべきを語り、語ったことは一貫性を貫く合理主義者として、己が生きるに意義がない段階で自裁するのだ。
瞬間の理論や感情の赴くままに、これはただの一時と知りながらも、生命や人生賭した行動へと自分を投げ込むのだ。

これが俺の、人生最後の保守言論活動だ――。

  ●

こんなことを西部邁は、ある時に考え、それからは静かに長く準備をしていったのだと思います。
その道のりは、安楽死という議論さえろくに進んでいないこの国では、狂気としか思われないかも知れません。

しかし、いつか皆が気づくことでしょう。
西部邁の言論が、いつも先を見据えていたからこそ、時間に耐えて、結構当たる言論となっていたように。

世論や大衆の流れという、願望や答えの出てないものを頼りにする言論ではなく、過去という現実的で、幾らか答えのあるものを根拠として大衆に反逆していた以上、また当たるのは彼の方だと。そして――

真に狂気に陥っていたのは、本当に死人のようであるのは、自分達の方だったと。



※『君は、自殺した西部邁が何を語ったか知っているだろうか?』の第四回その2 『虚無に挑んだ経緯』です。

※※西部邁の本を踏まえ自分なりに再構成しながら書いたものであり、実際の思考や表現とは異なっている可能性があります。


今まで書いた理論は、こちらです(目指せ、新日本国憲法)


書いたものの連絡や、たまに意見など載せてるツイッターはこちらです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?