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私は家族が欲しい



◇家族=血の繋がり?

家族の基準とはなんだろう。
日本では「血の繋がり」「同じ家で共同生活を送る縁者」だろうか。

この認識が社会に根強いからこそ、「血が繋がらない家族」というものが問題やコンプレックスになってしまう事があるのだろうなと思う。


血が繋がっていたって、別に家族じゃないことなどざらにあるのに。




◇私の家族

私には血が繋がった人たちがいる。いわゆる家族だ。
でも、中身がなかった。絆や愛や、信頼関係がないのだ。



大学生の頃、「私の家族の関係は、職場の人間関係みたいだ」と思っていた。

「父」「母」「子供」という、それぞれの役割だけを果たしており、プライベートには関わらない。役割に関する関係性があるだけで、個々人としての関係性はない、という意味合いだ。

当時はまだ、機能不全家族という言葉も知らなかった。しかし、「自分の家族関係は普通じゃないのかもしれない」とも思い始めていた。


健全な親子関係を構築するにあたり、親は子の生理的欲求(衣食住、排泄など世話)のみを行うのでは足りないらしい。
情緒的欲求(感情的関わり合い)にも応えることが必要なのだそうだ。

私の家族にはまさしく情緒的関係性が不足していた。
それを「職場の人間関係みたい」と感じていたのだ。



父は仕事が忙しくて、子育てにはほぼ不在だった。そもそも関係性がなかった。

母は不安定で不健全な人だった。母もきっとアダルトチルドレンなのだろうと思う。

弟は消極的で、私は弟に関心がなかった。私は世話も焼いてやらなかった。



愛されもしなかったが、私も家族のことを愛していないのだろう。


記憶が朧げな子供時代以降に亡くなった親戚は、母方の祖母のみだ。

祖母が亡くなった時、私は少しも悲しくなかった。胸に込み上げるような、蘇るような思い出の感傷も感じなかった。

祖母は亡くなる数年前から認知症を患っており、私は家を出ていたので、滅多に会うこともなかった。別に会いたいと感じていなかったのだ。


それでも、悲しくないことが、私にとって悲しかった。




◇私は家族が欲しい、実態のある、本物の

生まれ育った家庭が良くないと、結婚や子育てに明るい展望が持てないのはよくある話だろう。
そして、「家族なんていいものじゃない」と考える。


私も、明るい展望が抱けないところは同じだ。

でも、私は「家族とは良いものなのだろう」と考えている。周りや世間の人を見て、仲が良くて、信頼や甘えが共有できている人たちがいるからだ。


だから、「家族は苦しく辛いもの」ではなく、「苦しくて辛い私たちは、家族じゃなかったんだろう」という答えの方が、私には腑に落ちるのだ。


きっと、私は家族を持っていたことがないのだ。
私も家族が欲しい。実態がある、本物の。

安心できる、他者とのなんでもない暮らしが欲しい。

この文章を書きながら私は、少し希望と、しょうもない虚しさを感じている。

ままごと


自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。

自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。

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