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2023の最後に、ありのままを残す


気づけば大晦日。

年々時が過ぎるのが早くなっていく。

何となく過ごすには勿体なくて、最近考えていること、思っていることを、まとまりがなくても自分のために残しておきたいと思った。




ずっと、居場所を探し続けている。


やっと見つけたと思っても、自分から離れて。少しずつ疎遠になって。失って。
その繰り返し。




目の前の人や、どこかの誰かを救いたい。


そう思いながら、本当に救いたかったのは、きっと自分自身だった。
気持ちに波がありながらも、昔よりメンタルは強くなってきた、自分と上手く付き合えるようになってきた、そう思っていた。
でも、まだまだ救えていなかったんだと、
不安定な基盤が簡単に修復できることはなかったんだと、
嫌でも気付かされた。




「私を見て」
「助けて」
「ここにいることに気付いて」

声を聞いてほしいのに、その声に応えてほしいのに、
それすらも叶わず、
心はずっと泣いていた。




今、日常の悩みや不安を気軽に相談できる人がいない。

友達がいない訳ではない。
人間関係に苦手意識を持ち続けた自分にも、大切にしたい人は少数であるが存在する。
でも。絶対的な存在っていない。
誰もに、他の友人、恋人、家族がいて。
自分よりも後に出会っていても無条件に時間を共にして、次に会う約束をして、連絡を取り合える、そんな友人の恋人の存在を、もはや妬んでしまう。
自分の存在は迷惑なんじゃないかって、どんどん分からなくなる。
どうやって人を頼ればいいんだろう。


今更、22歳にもなって、摂食障害やうつを患ったあの頃にぶち当たっていた課題が再燃するとは思ってもみなかった。


卒業旅行も、会う約束も、全部自分から働きかけるばかり。
周りは誰も、自分から会おうと、話そうとはしてくれない。
その程度の存在なんだと思ってしまう経験が積み重なって、辛くなって、馬鹿馬鹿しくなってきた。


自分は限られた時間でこんなことしたい、もっと話したいと思っていても、その場ではお互いが楽しい時間を共有してまた約束できるんだと思っても。
相手が忙しそうだと、誘いがこないと、他の人と過ごしている様子を見ると、自分から働きかけても迷惑がられるだろうな、今を大切にしたいと思っているのは自分だけなんだろうな、そう思ってしまう。
自分が好きだと思える、居心地がいいと思える数少ない人でも、そうやって葛藤して気持ちを推測して勝手に不安でいっぱいになることに、疲れてしまった。


朝起きて、シャワーから上がって、誰からの通知も届いていないホーム画面を見ては、孤独を突きつけられる。

「寂しい」

一方で、誘いが来た時、連絡がしばらく続いた時、それはそれで億劫に感じてしまうこともある。
約束を取り付けていても、面倒になることもある。


一体自分は何を求めているのか、どうしたいのか。


依存するか、関係を断ち切るか。
両極端な態度にエネルギーを使って、周囲をも巻き込んで振り回して傷つけて。
そんな人間関係しか築けない。
そして深い関係になるほどに、相手に求めることは大きくなる。
何か違和感を抱いたり、気掛かりなことがあったりすると、気になって仕方がない。もう元には戻れない。
自分がいやだという思いを抱いたり不安や絶望感に襲われたりすると、その感覚に全身が侵食されて、声も発せず、身動きも取れないまま辛くなる。
なんでこれほどまでに不安定なのか。そうなる要因は何なのか。自分でも、理解できない。


最近も不安定になって、インスタのフォロー欄やLINEグループを突如整理しだした。
誰かとの繋がりを切望しているはずなのに、関係がしんどくなって、そこで傷つくことを恐れて、また自分から1人になって。そして、孤独だとまた嘆いている。


昔からそうだった。
どこの集団でも、その中で積極的に参加する人、なんとなく所属している人がいるのは、もはや当然で仕方のないことである。
でも、これまでも送ったメッセージに反応がないこと、参加しない人がいることを過剰に気にし、怒りが湧き、関係を断ち切ったり対象を排除したり、極端な行動を起こしていた。
そして今でも、参加する人が気持ちよく居られる場であればいいんじゃないかと頭では分かっていながらも、どうしても常に反応や参加しない人の存在を気にして、嫌な気持ちが湧いて支配されて。コミュニティにいるだけでそれを気にしてしまうのがもう辛くて、突如自分から断ってしまった。今の自分を守るには、この選択肢しかなかった。
こんな極端な思考しか出来ない自分で、ごめんなさい。でも、もう何だか考える必要のないことまで考えて、気を遣うのが、疲れてしまった。


こんな状態じゃ、人と健全な関係性を築くことは、もしかしたら一生出来ないのかもしれない。


社会からの取り残され感がすごい。
孤独感がすごい。
誰かに縋りたい。
誰でもいいわけじゃない、でも、抱き締めて、温めて、この不安や恐怖を溶かしてほしい。
1人でいいや、人に会いたくないって思っていたけど、気づけば独りになっていた。
無条件な約束なんてない。
怖い。これから生きていくのが。


0か100の人間関係。
それ以外の場面でも、すぐに感じてしまう生きづらさ。
それを無くして、いつでも気持ち豊かに、少しでも前向きに過ごせる日々を増やしたい。
でも、幼少期の環境や人との関係性が多少なりともそこに影響を及ぼしていることは明確で。
ゼミで生きづらさの背景と正体が見えてきたのと同時に、そこに向き合わざるを得なくなって。
それを1人で修復することは不可能で、時間をかけて当時の自分と向き合い、当時の自分の声を聞いて癒してあげることで初めて、今を生きられるようになる。
そう考えると途方もなくて、すぐには現状を打破できないと思うと、何だかもうどうしたらいいのか分からなくなる。



逃げることも一つの選択肢。
それは分かっているし、逃げが悪いとも思わない。
それでも、根本的な問題が解決していないと、同じところで躓いて、
不安に飲み込まれて、そんな自分が嫌になって、生きることさえ放棄したくなる。
問題に向き合って、泣いている小さい子どもの自分を癒してあげないといけない。
でも、今はそのエネルギーもない。
問題の核心部分に触れようとしたら、不安定さでいっぱいになって、心がざわついて、呼吸ができなくなる。


「適応障害」という診断名を貰ってはいるが、気持ちの問題なのか、根本的な安心安全の基盤が欠如しているからなのか、病気なのかも分からない不安定さに苛まれている。
マイナスなことが頭を駆け巡り始めると、それに類似することばかりがぐるぐるし始める。
それを選択しているのも、自分自身なのかもしれない。
でも、だからこそ、最悪なことだが、
誰の目にも異常だと映るほどに辛そうな人を羨ましいとさえ思ってしまう。


もはや拒食になって、心配されたい。
大丈夫?辛いの?って、私を見てほしい。気にかけてほしい。
そうでもしないと、人との繋がりを感じられなくなってしまった。


眠れているなら大丈夫だと言われる。
沢山話して元気そうだからと、しんどい時期のことを理解してもらえない。
食べ過ぎたと言っても、特に気にも留められない。むしろパーティーだ、幸せだとも言われる。
自分の感覚でコントロール出来ない状態を、辛いとは分かってもらえない。
だったらもういっそ、日常生活もままならないほどに寝込んでしまって、食べ物も受け付けない状態で弱々しく痩せ細ってしまいたい。そうしてでも、誰かに気に留められる存在でありたい。でも、そんなこと大きな声では言えない。今苦しんでいる人に顔向けできない。自分もその状態の辛さを知っている。それでも、理性では分かっていても、心の底では目に見えるまでにボロボロになってしまった状態を、羨ましいとさえ思ってしまうほど、人として終わってしまってる。


かれこれもう半月ほど、希死念慮には襲われていない。それがせめてもの救い。
でも、ふとした時に強烈な不安と孤独感に突如襲われて、何かもわからない対象が怖くなって、この気持ちのざわつきをどうすれば抑えられるのか分からなくて、涙がとまらなかったり、逆に泣けなくて苦しんだり、酒で紛らわせたり。
そんな状態が日常になりつつある。

もう何年も不安定で、ずっと自分と付き合い続けているのに、未だに自分の扱いが分からない。同じ場所を行ったり来たりしている。ぽっかり空いた心の穴は、埋まらない。それを誰かで埋めようとしても、上手くいかず、結局傷つけて失ってしまう。



「普通になりたい」
そう強く願う反面、特別でありたいと、自分は異常だと認めてほしいという思いでいっぱいで。自分は何者なのか、知りたくて。
自分がこれまで苦しんできたこと、今ぶつかっているこの生きづらさに、名前が欲しくて堪らない。


自分の意思で下手くそな人間関係を築いてるんじゃない、自分の気持ちの持ちようで不安定になってるんじゃないって、許して欲しかった。


たくさん勉強した。たくさん考えた。たくさん自分と向き合ってきた。
それでも、まだ、見つからない答え。

自分のご機嫌をとる方法。
ストレスマネジメント。
そんなものは、世の中に溢れ返っている。
でも、積極的に習慣に取り入れよう、自分のものにしようとは思えない。
きっと、今の自分を自分で変えてしまえば、可哀想な存在、不安定で危うい存在、弱い存在ではなくなって、周囲の気を引けなくなる、気に留めてもらえなくなることが怖い、そんな思いがひっそりとあるのかもしれない。



実現したい社会、自分が挑戦したいこと、沢山あるはず。
もっと沢山の人と出会って、価値観を共有して、知らない世界へ飛び込んでみたい。
でも、そこへのエネルギーももう薄れてきてしまった。





どうして皆頑張り続けられるのか、不安をこうして吐露せずに上手く対処できるのか、人と上手に関係を築けるのか。分からない。
どうか、教えてください。自分との付き合い方。人との付き合い方。この不条理な社会を上手に生き抜いていく方法を。





こんな自分が常に前向きに、生きてもいいかもって思える日は来るんだろうか。
もう数ヶ月間慢性的に体調が悪いから、これほどまでに不安に陥っているだけなのか。


分からないけど、どうか人生に絶望しすぎず、少なくても周りとの関係を大切にしながら、どうか少しずつでも不安定な基盤を修復して人と共に生きていけますように。




2023年、いろんなことがありながらも、自己実現へ向けて人生で1番挑戦して、言葉にして、動いた年になったのは間違いない。
今年関わってくれた全ての人、出逢ってくれた全ての人、本当にありがとう。
そして、頑張った自分にも、ありがとうって言いたい。


今年も精一杯生きた自分に、万歳。



不安ながらも、2024年の自分へ
なんとかバトンを繋ぎます。

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