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見えない機能不全家族のトラウマへの、マイクロアグレッション


あなたにとって、安心を感じられる、
自分らしくいられる、そんな
「居場所とは?」

その問いに、
迷いなくまず「家」 「家族」と答えられる周りの人が
すごいな〜と思った。

幸せな環境で育ってきたんだなと。

羨ましいと同時に、変えられない現実に絶望した。


グループ内で、自分だけ具体的な人や場所を書かず、

「どんな自分でも無条件に受け止めてくれる」
「発した言葉をスルーせずに受け取って、返してくれる」
「過去も今も含めて、ありのままの自分が大切にされる」
「肩書きや功績を、求められない」

そんな人の在り方や状態、
気持ちの持ちようを書き連ねていた。


すると、「実家は?」と聞かれて、
内情を知ってる人も周りにいない中で咄嗟に
「論外…^ ^💦」って口をついて出てしまった。



自分が育った幸せで恵まれた環境が当たり前と思って、
世間一般のものと思って、
意見を振りかざさないでほしい。
無意識に傷つけないでほしい。

もちろん、言葉を発してる側に悪気がない、
それは痛いほどに分かる。
そして、配慮して発言してほしいと求めても、
限界が存在することも理解している。

でも、無意識だからこそタチが悪い、
それがマイクロアグレッション。

ナイフ自体も、それによって傷ついた心も、
目には見えない。だから気づけない。だから怖い。

ダメージの後追いがかなり酷い。



その傷を、どうしようもない想いを言葉にすると、
気持ちに寄り添ってくれた人がいた。

でも、違う、そうじゃない。


もちろん、そこで私を思って声をかけてくれた友人に
非はない。悪気もない。
むしろ、スルーせず言葉を受け取り、反応してくれる、これほどまでにありがたい存在は無いはずだ。

それなのに。
また、小さな傷つきにも、なってしまった。




言葉が、傷つきが、別の物語へと置き換えられていく。

痛みが、辛さが、見過ごされ、無かったものにされる。

そこにあるはずなのに、掬い上げられない。


今負っている痛みは、紛れもないもの。
けれど、その声を上げたところで、
人の言葉に集約され、ポジティブに転換され、
消されていく。


「ああ。私のこの痛みは、誰にも見えないんだ。
 誰にも気づかれないんだ。拾ってくれないんだ。」


また社会に傷付けられた。
心が弱いから、そんな自己責任論はもうコリゴリだ。





人は、生まれる場所を、育つ環境を選べない。
あまりにも無力で、人の力を借りることでしか
生きていけない。

自分の力ではどうしようもない、
そんな幼少期に負った傷は、
人生全般に暗い影を落とす。


それでも、個人の気持ちの持ちようだと、
認知の歪みの問題だと、指摘できるだろうか?



いつまで、一体何度、傷付けばいいんだろう。

何重にも何重にも、
無意識な言葉のナイフで、少しずつ刺されていく。

その時は大丈夫でも、積み重なるほどに、
取り返しがつかなくなっていく。

自分でも気づかぬ内に、蝕まれていく。


言葉の持つ威力で、知らず知らずの内に
誰かの心に傷をつけているかもしれないこと、

あなたの「普通」から零れ落ちる存在があること、

少しでも知って欲しい。

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