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六歌仙のなぞ(3)

◆貫之が六歌仙に託したこととは◆

 それでは、六歌仙を選んだのは貫之ではないのか。六歌仙を選んだのは紀淑望なのかというと、それは違うだろう。
 そもそも、貫之は『古今集』の撰者のリーダーである。序文を描くにあたっては、その内容について淑望たちと十分に検討を重ねたはずだ。たとえ仮名序が偽作であっても、真名序に六人が挙げられている限り、これはプロジェクトリーダーである貫之の意見が反映されていると見た方がよい。
 ここでは、仮名序偽作説はひとまずおいておくことにして、一応仮名序は貫之が書いたものとして、話を進めることにしたい。

 さて、そうなると新たな疑問が湧いてくるのである。先にも書いたように、六人について貫之はあまり良い評価をしていない。では、なぜ彼らを選んだのだろうか。単に、無作為に選んだのか?
 そうではなかろう。勅撰和歌集の序文なのである。国家事業としての和歌撰集なのである。そんないい加減に選んだのではあるまい。
 六人のうち、僧正遍照、在原業平、小野小町は後に『三十六歌仙』にも選ばれているので、一応歌がうまかったと考える。だが、あとの三人は選ばれていない。また、藤原定家の『百人秀歌』『百人一首』には、五人入っているが、大友黒主だけ選ばれていない。後白河法皇により成った『梁塵秘抄』にも、「和歌のすぐれてめでたきは 人丸 赤人 小野小町 躬恒みつね 貫之 壬生忠岑 遍照 道命 和泉式部」とあり、二人だけが選ばれている。大友黒主はどれにも選ばれていないのだ。
 ただし、『百人秀歌』『百人一首』は定家がある意図をもって選んだという説もある(織田正吉『絢爛たる暗号――百人一首の謎をとく――』集英社、『謎の歌集/百人一首』筑摩書房)(林直道『百人一首の秘密』青木書店)ので、一概に黒主の歌が下手で選から漏れたとは言えないかもしれない。
 しかし、喜撰法師については、もっと謎が深い。なぜなら、あまりにも残した歌が少ないからだ。確実に喜撰法師の作とされるのは、「わがいほは みやこの辰巳 しかぞ住む 世を宇治山と 人はいふなり」の、ただ一首のみ。仮名序にも「よめる歌多くきこえねば、これかれよはしてよく知らず」と、貫之の時代には既によくわからない人物になってしまっている。他に二首伝わっているが、どうも怪しい。
 「これかれよはしてよく知らず」とは、歌があまり残っていないので、あれこれ批評することができないという意味である。批評もできないような人を、貫之は六歌仙に選んでいるのである。

 いったい、どういう基準で六人は選ばれたのだろうか。貫之にとって、この六人はどのような意味を持っていたのか。貫之には、この六人をぜひとも序文に載せたいような、何か特別な訳でもあったのだろうか。
 それこそ、『六歌仙のなぞ』のテーマである。
 そこで、仮説を立ててみたいと思う。貫之は六人を選ぶ特別な理由があった。それは、彼の一族、すなわち紀氏と関係している。そして、身分的には不遇にならざるを得ない紀氏の、再び繁栄のあることを願って、過去に紀氏と共に藤原氏に対抗してきた人々の代表者として、六人を選んだのだ。

 次の章からは、これらの仮説を基にして、『六歌仙のなぞ』を追ってみたいと思う。
 

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