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食べること飲むことの終わりなき逃亡

わたしは山頂で逃亡する。

それと気づかれず、こっそりと、合法的に。

頂上まで、足の筋肉を使い、全身から汗を出し、たっぷりと山の空気をすいこんで、体はかるくなり、適度な疲れをしょって登頂する。

腰を落ち着けて、すぐさま、わたしは逃亡を始める。

お湯を注ぐだけでてきるラーメンをすすって、カロリーを摂取し、健やかさを手放し、濃い味に染まる。

健康的なわたしからの逃亡。

逃亡は子供のころから得意だった。

ダンスの習い事は市営の施設で行われていて、終わったあと、その施設の自販機でジュースを飲むのを楽しみにしていた。

ボタンを押すと小さい紙コップがコトンと落ちてきて、そこにヒョウのごとく氷が降り注ぎ、半分水で割ったジュースが注がれる。

家で作る大きなキューブ型の氷ではなく、ちょっとがさがさした砂利みたいな氷が3分の1くらい入っている。それをガリガリ噛みながら飲むのも好きだった。

特に、黄色くて甘い炭酸を気に入っていた。

そのジュースのボタンは、メロンやオレンジという果実の名前がある中で、1番大人びており、わたしはそれを飲むことで子供から逃亡していた。

アリナミンか、リアルゴールドか、デカビタのどれかだったと思う。

しめった海苔も子供のころから好きだった。

にぎった米に貼り付けられて、数時間たった海苔。
それはとてもおいしい。

対外的には、おにぎりを食べているのだけど、わたしはしめった海苔を味わっていた。

パリパリの海苔は子供の頃にあまり食べた記憶がない。たまに缶から抜き出してコソコソ食べるか、旅館の朝食でお目にかかる5枚パックの味のりくらいだった。

少し特別な食べ物。

大人になって、よくコンビニのおにぎりを買うようになってからは、パリパリの海苔が日常になった。

コンビニのおにぎりは、アイロンがけしたシャツみたいな海苔を着て、いつでも正装していた。

おにぎりの正装からの逃亡を図るべく、わたしは自分でしめった海苔を製造した。

朝、自分で米を握り、貼り付け、銀紙につつみ、リュックサックに入れて、山道を運送しながら寝かせる。

そうして山頂へ着くころには仕上がっている。

外気にふれさせて食べると、なおおいしい。

海苔はもともと、水につかりながら生息していたから、本来の姿に回帰しているのかもしれない。

山から降りて、ふもとの自販機でチルアウトという飲み物をのんだ。

名前もパッケージも、落ち着きそのものが体現されていて、安住できた。

それと引き換えに、「逃亡」という遊びができなくなったことに喪失をおぼえた。

しかし、わたしは思った。

うれしさからの逃亡
たかぶりからの逃亡
高揚からの逃亡

チルアウトは、そういうことができる。

本来そんなことからは逃亡しないしたくないと思われるようなことから逃亡できる。

飲むこと、食べることは、出口であり、扉だ。

わたしはまだまた逃げられる。







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