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映画「月」を観てきた【レビュー】

今回は久しぶりに映画レビューです😊

2023年最大の問題作と謳われる現代の闇に切り込んだ本作。

かつて実際に起きた某障害者施設殺傷事件をもとに描かれた本作は、まさにあなたの”本質”をえぐり、その本質と向き合う瞬間を余儀なくされます。

なるたけネタバレなしで書いていきますので、ぜひこの作品を多くの方に見ていただければと思い、レビューをあげることとしました。

それでは最後までお付き合いいただけますと幸いです。





◇あらすじ


深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。

映画「月」オフィシャルサイトより


※キャスト情報等はこちらから↓↓↓↓



◇目や耳を背けようとするあなたを掴んで離さない”現実”の数々


本作の雰囲気をざっくりと伝えるなら、五感を覆いたくなるようなセリフやシーンから滲み出る人間の”負の側面”を着実に描いています。

それは、あなたが向き合うべき”本質”の部分へ深く刺さり、それがまた”現実”であることを気づかせてくれるのです。

例えば以下のようなシーン達。↓

かつて人気小説家だった主人公・堂島洋子は、東日本大震災を題材に人々の再生を描いた感動作を生み、絶大な支持を得ました。
しかし、同じ施設で働く小説家志望の坪内陽子にとってそれは、”見たくないものに蓋をし、綺麗な部分しか書いていない”と酒の勢いから一蹴されます。

そうした誰しもが感じ、触れずにいた側面に真正面から切り込んでいくセリフ達は、私自身思わず耳を塞いでしまいました

そして繰り返される職員から入所者への暴力や理不尽な扱いに、主人公の堂島も己の倫理観から施設長へ訴えますが、「そうしないと暴れるし仕方ないでしょう?」とそれを良しとする環境に違和感を覚えるのでした。

本当の”倫理観”ってなんなんでしょう❓

それは同じくして後に悲劇を巻き起こす”さとくん”も洋子同様に違和感を感じていましたが、重度障害を抱える入所者達と接する中で、彼らが”生きてる意味”を考えるようになり、最悪の答えを導きます。

その悲劇を前に、さとくんが良からぬ事を考えているのではないかと察した洋子が彼に問いかけます。

本作最大の見どころとなるのは、さとくんと洋子が月夜に照らされながら主張をし合うシーン。

さとくんの徹底した”優生思想”的な視点に真っ向から否定意見を述べる洋子ですが、返ってくる言葉の節々に対して、どこか心の奥深くで完全否定しきれない自分を感じるのでした。
そして、それはさとくんの姿が”負の側面の自分”となっていき、まるで自分に諭されているかのように見えるのです。

特にこの場面はかなり息が詰まる思いで見ていましたし、私も洋子と同じ立場になって観ていました。

装飾のない生々しさを感じる言葉のチョイスが凄まじく感じました。


◇豪華俳優陣による圧倒的な演技力


主演の宮沢りえを筆頭に、その脇を固めるオダギリジョー、二階堂ふみ、磯村勇斗ら演技力に定評のある俳優陣の”生々しさ””闇”を垣間見る演技は圧巻の一言。

とにかく出演者全員”振り切っている”んですよね。
演じることへのとてつもない”覚悟”を感じました。

ある意味出演者達の見方が変わってしまう程にインパクトを感じました^_^;

何かしらの賞に引っかかってもおかしくない名演技です(笑)



◇ちょっとやりすぎなシーンも…


絶賛されるべき名場面が多いと感じる本作ですが、映画作品という事で誇張が入ってるように感じる部分もチラホラ。

例えば施設がある場所、30~40年前はあり得たかもしれませんが、やはり”危険性の高い森の中”に所在するのはちょっとツッコミたいところ…。

今もしそんな所に建てようものなら、設計段階で行政ストップがしっかりかかるハズ^_^;
補助金もおりません('ω')

また施設職員の暴力シーンも、摘発されていない施設が全国のどこかに存在するかもしれませんが、だとしてもやりすぎかな❓

実際に作品の口コミを書いている方々の中には、上記に関するコメもあり、鑑賞した方々に誤った解釈を与えないか不安という声もあります。
※主に施設職員経験者の投稿が多い



◇私自身の考え


過去に自己紹介noteにて、私自身も生まれつき身体障害を患っており、日常的に車イスを使用して生活していることを紹介いたしました。

※自己紹介noteはこちら↓↓↓↓


また、中学時代にはワケあって特別支援学校に3年間通っていた経験もあり、本作で実際に登場した入所者達は、私にとって”日常”そのもので、懐かしい気持ちにもなりました。

某障害者施設殺傷事件が起きた当時、私は高校3年生でした。

卒業を控えた3月、高校生活の中で私が一番お世話になった担任(高1)宅で卒業パーティーを行った際、当事件について私自身の心境を聞かれたことがありました。

その時私はこんな事を口にしました。

「自分は中学の3年間を特別支援学校で歩んできた。
そこでの日常を思い返した時、犯人が主張する”意思疎通が取れない障害者はいらない”といった思想に激しく憤りを感じた

特別支援学校で共に学んだ同級生達は皆”そこにいてくれるだけで場を和ませ、愛を広げる力がある”と自分は考える。
実際に彼らの両親にとってはその存在を”生きがい”とし、さらには”先生方同士の和を繋げる働き”にもなっていたと思う。
例えば、元々特別支援学校といった環境で勤務経験のない先生が赴任してきた当初、関わり方に戸惑いや不愛想な様子もあれど、半年も経てばいつも笑顔で人当たりのいい先生になっていた。それは今でも忘れられない出来事

だからこそ犯人の言う”表面的な存在価値”ではなく、もっと深いところにその人の役割があるから、犯人の主張は一部の側面でしか語っていない”幼稚的なモノ”だと思う。」

多少綺麗に表現は直していますが、大まかには上記のように伝えました。
担任の先生も「なるほど」といった様子だったと思います。


事件から7年、私も色々な物事を見つめ直したり経験する中、さらに本作品を通じ改めて犯人の主張に向き合いました

どんな人間であっても犯人が示した”優生思想”的な考えは心の奥深くでチラついていますし、私含め”完全否定が容易ではない”ものである点も考えの一つとして己の中に浮かび上がってきました。

実際、生まれてくる子が何かしら症状を抱えているかどうか事前に調べられる時代です。
その夫婦の家庭環境(金銭的、環境的要因など)によっては、泣く泣く生まない選択を取る可能性もあるわけで、その選択に対して我々が無責任に非難を浴びせるのはできないハズです。

だからといって私が高3の頃に抱いていた考えが”決して変わるワケではない”ですし、あくまで誰しもに”負の側面”はあるという事を広く理解しただけに過ぎない。

むしろ、この世に生を受け、たとえ意思疎通がはかれない状態だったとしても、”こちらが一方的に決めつけ、その人の「生」を否定し終わらせる権利はないはず”です。
これだけはハッキリ言えますし、それこそ”想像力”が大切になると思います。



◇最後に


主に自分の意見を主張するような投稿となってしまいましたが、本作品を観ると”今一度己を見つめ直す機会”を必然的に与えられてしまうようなパワーがあると思います。

実際に重度障害を抱える方々の支援に当たるご家族や施設職員等の方々の気苦労は相当なものであると、一言ではまとめられない現実が今この瞬間にも起こっています

彼らの”生きる”を全うするために日々傍で支援を続ける姿には敬意しかないですし、さらに環境が良くなっていくよう私自身も常に思考を止めず、声を挙げ続けなければなりません

また、これは繰り返しになりますが、誰しもが心の奥深くで”負の側面”を持っています。
”負の側面”を無くしていくことは恐らくかなり難しい行為であると考えます。
ですが、その側面を理解し、時には自問自答を重ねつつ、さらには人の「生」を一方的に否定するような行為へ踏み出さぬようお互いで”抑止力”となっていくしかないのかもしれません。

そして同時に存在する”正の側面”を増幅していくには、想像力を磨き、他者視点に立って思いやりを持つことを心掛ける必要があると感じます。

鑑賞する際にはとても覚悟のいる本作ですが、ぜひ様々な方々に観ていただき、”偽りない自分自身”と向き合っていただけたなら、きっと今以上に良き方角へ向かっていけるのではと思います。




ーFinー

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