見出し画像

「マウンティング」からの解放

column vol.1128

誰もが「マウンティングされたなぁ…」と思う経験はあるのではないでしょうか…?

時に仕事や家事が手に付かないほどのイライラした気分を味わうこともあるかもしれません…😅

しかし、次の記事を読めば、そんな相手に対して冷静になれるどころか、「救ってあげたいなぁ…」と正義感すら湧くかもしれません。

その記事とは、東洋経済オンライン【マウンティングには敗北しかない確率論的理由】です。

〈東洋経済オンライン / 2024年1月30日〉

『世界は経営でできている』の著者であり、慶應義塾大学准教授の岩尾俊兵さんにとっては

マウンティング=敗北

という方程式が成り立っています。

一体なぜか?

本日は、その理由についてお話ししたいと思います。

マウンティングは「敗北」に向かう

…最近、物価が上がっているから、節約のために自宅のベランダで夜景を見ながらビアガーデンごっこしているのよ〜

岩尾さんよると、節約自虐ネタを装って、タワーマンションの高層階に住んでいることを匂わせるような人がいるそうです(笑)

ただ、こうした「相手よりも上であることを自慢したい」という気持ち(価値観)こそ敗北感に向かうと岩尾さんは指摘しています。

…結局のところ…、上には上がいるわけです…

マウンティングしている方は、タワマン高層階に住んでいない方には優越感を感じられますが、自分よりも高層階に住んでいる方や、もっと高値のマンション庭付きの大豪邸に住む方に対しては、強烈な敗北感を味わうわけです…

じゃあ、「より上に登ってやる〜」と息巻いてこれまで以上の高年収を獲得しようと努力しても、…やはり、またもや敗北感を味わう可能性が…

その理由を岩尾さんはこのように語っていらっしゃいます。

商社、外資系コンサル、外資系金融と、仮に理想のキャリアを爆走できても、その過程で桁違いの資産家と縁が出来てしまう。そうした資産家たちに負けまいとベンチャーを創業するか、創業したての会社の役員に就任して株式市場に上場して莫大な創業者利益のおこぼれを狙いだす。
そうすると先に上場を果たした先輩経営者に劣等感を抱いたり、無事に株式公開(IPO)できたとしても今度は時価総額が気になり始めたりする

まさに、地獄の敗北感ループ…(汗)

何だか…燃え尽きそうな予感がしてしまいます…

「完全なる勝者」はいない

…考えてみると…、世の中に「完全なる勝者」というのは存在しないのかもしれません。

例えば、スポーツの世界で考えてみましょう。

今年もオリンピックにて100m走の世界一が決まりますが、4年に一度、勝者になれるのは金メダルを取った “ただ1人” だけです。

完全なる勝者=世界でたった1人

しかも、その人も次のオリンピック金メダルを逃せば敗者に転落してしまいます…

運良く無敗でチャンピオンのまま引退したとしても、次の世代の選手自分の記録を破られたら敗北感を味わうかもしれません…

それを免れても、レジェンド中のレジェンドとなることで、「現役の時はキラキラしていたのに…」と、周りから過去の自分と比較されてコンプレックスを抱くかもしれない…

比較による優越感には必ず劣等感の影が忍び寄るわけです…

勝ち負けを決めるスポーツは、一旦傍に置いておいても

一般的な世界では、より多様なモノサシが存在するので、優劣というのは曖昧になるでしょう。

ビジネスの現場AさんBさん比較したとしても、人によって評価が分かれることは多いですし、社内の評価基準を明確にして優劣をつけても、その会社では評価されなかった人も別の会社の基準なら、高評価を得ることだってあるわけです。

比較による優劣というのは、あってないようなものなのかもしれません。

「上昇志向」の落とし穴

一方で、「比較による優劣があるからこそ、上昇志向も生まれる」という考えもあるでしょう。

確かにライバルがいた方が燃えるというのは、否定できません。

ただし、それが「勝てない相手」だと悟った時、対抗心だけだと心が折れてしまう可能性は高い…

それに、向上心は対抗心だけではなく、仕事でいえば、クライアント満足理想の実現叶えたいという気持ちからも生まれます。

そして叶えたい理想が高いほど、なるべく多くの人たちを味方にしなければなりません。

マウンティングなんかして、相手が「コイツ嫌なヤツだな…」と思えば、協力をしてくれなくなるのは、火を見るより明らかです。

周りの人すべてに対して自分よりも優れた能力や特性、(ある分野での)知識を見定め、リスペクトする。

そうした姿勢があってこそ、周りも気持ち良く協力してくれるはずです。

無意識でマウンティングしてしまう人の多くは、「尊敬されないと人は集まらない」と思っている節もあると感じます。

そうであれば、自分の力を誇示するよりも、相手へのリスペクトを見せた方が良いでしょう。

人は相手から評価されれば、こちらも評価したくなるものです。

モテるために必死で自分をアピールする人よりも、相手を的確に褒める人の方がモテるというのと似ているのかもしれませんね😊

知性はマウンティング欲求からの解放

最後はマウンティングを受けた時、イライラから自分を解放できる “おまじない” をご紹介して締め括らせていただきます。

岩尾さんは「知性を獲得した人間は、マウンティング欲求から解放される」と指摘しているのですが、その理由に納得できるのです。

動物学的にみれば虚勢行動「力関係が定まっていない間柄において、上下関係の形成を通じて摂食と生殖の優先順位を明確化する」機能を持つ。すなわち限られたエサをめぐって争い合う野生のサルの本能が、こうした機能を求めるのだ。
ここで一度立ち止まる必要がある。人間は今や原人の時代を脱した。技術の進歩のおかげで今や必要最低限を大幅に上回るエサを生産できる。
(中略)
だとすれば野生感覚での虚勢はいまではほとんど意味も持たないはずであり、これを追い求めるのは愚の骨頂だと気付ける。

さらに付け加えれば、サルの世界であっても、虚勢と力の強さではリーダーは務まりません。

自分勝手なボスザルは、いつかクーデターにあって群を追い出されてしまうことが多いのです…

それは、「寛容さ」で数百頭のサルを束ねる淡路島モンキーセンターの11代目ボスジョニーも教えてくれています。

つまり、リーダーになれるような存在は、人間でも動物でも「マウンティング欲求から解放された知性」を兼ね備えているというわけです。

もしも、誰かからマウンティングされた時は、すぐさま

ジョニー(サル)でも兼ね備えている知性

ということを頭に浮かべたいものです。

そして、すかさず

今、この人は知性を獲得している最中なんだ

と、心の中でそっと応援してあげましょう

怒りは仕事のパフォーマンスを下げますが、善意や応援心は自分の気持ちをも高め成果や目標達成に寄与してくれるはずだからです😊

少なくとも、余計なことでイライラして、貴重な時間を奪われない方が良いと思うのです〜

本日も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!

この記事が参加している募集

マーケティングの仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?