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「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」感想

「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」読了。いやあ面白かった。

昨年末にM-1敗者復活戦の予想を取材させていただいた編集者の阪上さんの担当編集作であり、昨年各所で評価の高かったノンフィクション作品。

あまりに突出しすぎて輪郭すら我々凡人には掴みにくい井上尚弥という怪物の実力を、彼と戦って敗れた対戦相手という外からの視線で枠を作り浮き彫りにする。

本人はあてず(厳密には本書は井上には取材しているが)周辺取材によって取材対象を浮き彫りにするといえばゲイ・タリーズの傑作記事「シナトラ風邪をひく」があるが、読後に思い浮かんだのは吉田大八監督の映画「桐島、部活やめるってよ」だった。

「桐島」がむしろ桐島を語る周りの生徒の心情を丁寧に描いたように、本書もそれぞれの対戦相手のそれぞれの物語を描く。井上という巨星とぶつかったことで彼らの人生には変化が生まれ、あるものは世界王者となり、あるものは引退し息子に夢を託す。

ただ本書と「桐島」との違いは巨大な存在の有無である。

「桐島」は話の中心である桐島は決して姿を見せず、神の不在後の学校という世界を描いた物語だ。逆に「怪物に出会った日」は100年に一度会えるかどうかという怪物ボクサーが存在する貴重な時間の中での物語だ。

対戦相手は井上と対戦にネガティブな感情は抱かない。むしろ誇りを抱く。ボクシングという競技を突き詰めたプロだからこそ、すでに生ける伝説である井上の突出した才能に感嘆する。また強い者と戦いたいというボクシングを始めた憧憬を満たす対戦相手として井上以上の人物もいないだろう。怪物は彼らと対戦することでより大きくなっていく。

では井上尚弥とは一体なんなのか。対戦相手が各々その長所を語るのだが、本書を読了してもなお井上という存在を掴めた気がしない。そこには井上尚弥という全容すら把握できない巨大な何かが存在する。怪物はわからないからこそ怪物であり、解けないクイズのように心惹かれてしまうのだろう。

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