「目的は必要だ」ただし、「絶対」とは限らない
「日記ではない何かを書くこと」
これがこのnoteでのルールの1つである。
ただ、このnoteは日常から収集してきたものを題材にしたものである。
noteを始めた時を思い出す。
フォロワー○○人獲得するために!
○○な力をつけるために!
当時の自分に明確な目的はなかった。
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最近、自分史上、一番本を読んでいる。
目的…明確なものはない。小説も、ビジネス本も、読む。
目的。明確なものはない。
目的。明確なものはない。
本屋に立ち寄り、面白そうな本を見つけて買い、SNSで見つけた興味深い本があれば、それを探しに本屋に行く。
「面白そう、気になる」これが先に来ていて、決して「目的→購入」の順ではない。
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「目的は必要だ」ただし、「絶対」とは限らない
自分がサッカーをしている時も、キャリア選択をする時も、何かと「目的」を問われた。そして、問うてきた。
だが、人間が生まれてきたとき、「お前は何のために生まれてきた?」と問われないように、そして問いかけたところで答えれないように、進みながら見えてくるものだって少なからずある。
人生においてはなくてもいい。
スポーツにおいては必ず要る。
こういうことでもない気がする。(今、自分のいるチームでは、物凄く重要視しているが。笑)
実際、スポーツひとつとっても、「勝利が何よりも重要」とする組織もあれば、「勝敗より大切なものがある」と信念をもつ組織も存在する。
日々、並々ならぬ挑戦をしていて、自分の進む道がわからなくなった時、「何のためにやっているのか」を振り返る時には、目的というものは、自分自身の方向修正をしてくれる味方になる。
しかし、目的が明確であるがすべてではない。そして目的があることが全てでもない。
現時点で、目的が鮮明に見えない人は、自分の感覚を大事にするのも1つだと思う。
「目的は必要だ」ただし、「絶対」とは限らない
以上、最近、ぼんやり考えていたことでした。
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