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「寄り添う」から考える言葉に出来ない思いはあるのか問題

お久しぶりです。

急にごめんなさい。

人に寄り添ったことはありますか。

顧客に寄り添って。友達に寄り添って。恋人に寄り添って。

何だかんだ聞きなじみのある「寄り添う」。でも僕はどこか引っかかっています。

寄り添うって一体どういうことなのでしょう。

今から、ここに連ねますね。

親身になる。
そばにいる。
黙って話を聞く。
思いやる。
相手の立場に立って考える。
助言する。
何も言わない。
指摘する。
抱きしめる。
突き放す。

ぱっと浮かんだものを書きました。

矛盾しています。

何か特定のことをすれば、=「寄り添う」という具合にはならないのです。(僕の解釈では。)

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少し前に、
いしわたり淳治さんの「言葉にできない思いは本当にあるのか?」
という本を読みました。

そこには、

自分の感情を伝えるために、人類が発明した非常に便利な道具が「言葉」である。言葉という道具はあまりにも便利すぎて、ともすれば忘れてしまいそうになるけれど、私たちが言葉を使って表現しているのはいつだって「感情の近似値」にすぎない。その意味で、言葉は常に大なり小なり誤差を孕んでいるものではないかと思うのである。
      「言葉にできない思いは本当にあるのか?」ーいしわたり淳治

と書いていました。


「寄り添う」
これに1つだけの正解はありません。
僕の連ねたものに矛盾が生じるように、この言葉にもまた、大なり小なり誤差が孕んでいることを思い知らされました。
ここでいうと、「誤差」ではなく、状況に応じて変わる「手段の違い」になるのかもしれません。

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人間、様々感情を抱きます。
そして言動にも名前がついているように、「言葉」がついています。
僕は、言葉にできない思いはないのかもしれない。というかもしれません。

ただ、ただ、言葉に収まりきらない思いはあると思います。

あ、またこれも矛盾ですね。

今日はこの辺で。

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