家族のこと(父・兄・祖父)

今回は、自分の家族についてです。

書きたい内容が色々とあるので、初回はまず家族構成と現在の状態について書いていこうと思います。

自分が生まれたとき、家族は父・母・兄と自分の4人暮らしでした。

幼稚園までは郊外の賃貸住宅に住んでいましたが、自分が小学校に進学するタイミングで、祖父が住む母親の実家(祖母は既に他界)に引っ越し、小学校低学年のときに両親が離婚、以降中学2年まで祖父と母と兄との4人暮らしでした。

4歳年上の兄が大学進学で上京後、祖父と母との3人暮らしで、自分も高校卒業後は家を出たため、以降家族とは離れて暮らしています。


続いて、家族との関係について整理していきます。

父親については、7歳までしか一緒に住んでおらず、まともに話したことも殆どないので、父親の記憶はあまりありません。

ギャンブルに明け暮れ、家庭内暴力がひどかったことは覚えています。

母親の顔が腫れあがる位まで殴られていた光景は、今でも鮮明に覚えています。


最近兄に聞いた話では、母親が殴られている間、兄は怖くて何もできず布団を被って寝たふりをしていたそうですが、弟の自分は父親に向かって「ママをぶたないで!」と言っていたそうです。

そういえばその後父親が部屋を出ていき、母親が腫れあがった顔で何か言ってくれたことはなんとなく覚えています。


母親の実家に引っ越した理由は、あとで母から聞いたのですが、父がまともな職に就いておらず、実家の祖父に「田舎に仕事がある」と言われたからだったようです。

ただ、いざ引っ越したら仕事など無く、それが原因で父はさらに母に暴力を振るうようになっていたようです。


結果的に母が父に離婚を懇願して、父は家を出ることになり、専業主婦だった母がパートに出て母子家庭になりました。


このことで、母は祖父に対して「仕事があると嘘を言った」とひどく恨むようになり、4人暮らしとはいっても実質は「祖父1人、母子家庭3人」での生活でした。

母は幾度となく祖父と言い争い、夫婦喧嘩ならぬ親子喧嘩は日常茶飯事でした。

トイレ・風呂・食事・生活はすべて別々で、祖父の部屋に入ることは禁止されました。

祖父は高齢者雇用で仕事をしており、毎日母が作った弁当を持って行っていましたが、母が毎朝祖父の弁当に唾を吐いてご飯を詰めていたことは忘れることができません。

幾度となく「餌」と称していました。

もちろん、祖父と母は血が繋がった親子です。


小学校の頃からこのような家庭環境であったため、当然まだ子供の自分は「祖父は悪い人なんだ」と思うようになり、コミュニケーションも取らなくなります。

そんな孫を、当時祖父はどのように見ていたのでしょうか。


兄はもともと父と仲が良く、離婚前は父と兄は気さくに話をしていました。

両親が離婚すると決まったとき、まだ小学生低学年だった自分は特に父親と話すこともなく、いつの間にか「いなくなった」だけでしたが、兄はかなりショックだったようです。


最近兄に聞いた話では、離婚後も父と兄は母親の目を盗んで度々会っており、父の車の中で一緒に泣いたこともあるそうです。

自分にとっては、父は小さい頃から怖くて関わりたくない存在でしたし、優しかったはずの母も実家に引っ越してから祖父との諍いが絶えず、優しい家族とは無縁の生活でした。

兄も弟とは殆ど口をきいてくれなかったことを覚えています。


父と母が離婚後、一度だけ兄と2人でおもちゃ屋に行ったことがありました。

母が「お兄ちゃんに連れて行って貰ってね」と言っていたのですが、兄は「離れて歩け」と一緒に歩いてくれず、とぼとぼと兄を追いかけた記憶があります。


自分が中学3年の時に兄が上京して家を出たため、そこから高校卒業までの4年間は割と自由に過ごしていました。

母も、息子の一人が無事に家を出て、下の子はもう高校生になる歳であまり手がかからなくなったこともあり、自由気ままに生活していました。


兄とまともに話すようになったのは、自分が家を出て、たまに実家に帰って3人で話す機会ができたからだと思います。

4歳差の兄弟は、お互いが小さいうちはかなりの差を感じてるものです。

8歳と12歳、13歳と17歳とではまるで違います。

今となってはお互いいい歳になったので大した差は感じませんが、当時の年齢差はなかなか埋められなかったと思います。


その後、兄は一度は家を出たものの、仕事を辞めていったん実家に戻り、その後実家と同じ都道府県に再就職し、現在に至ります。

母と兄はそれ程近いわけではありませんが、週末にちょっと立ち寄れるような距離ではあるので、度々会っているようです。


自分の場合は、高校卒業後ずっと実家を離れており、社会人になってからは実家からかなり離れたところに住んでいた時期もあり、あまり家族とは交流がありません。


父と兄は、その後も何度か連絡を取っていたようで、10数年前に一度父と母と兄と4人で都内で食事をしたことがあります。

たまたま兄と母が都内のコンサートに来ており、兄と連絡を取っていた父もたまたま都内にいたそうで、全員が大人になってから初めて4人揃って顔を合わせました。

当たり障りのない会話をして食事をしたのみですが、4人が揃うのはこれが最後でした。


数年前、突然兄から連絡があり、父が糖尿病で余命あと僅かで、一度兄弟で見舞いに行かないか、という誘いでした。

自分はもう父とは何年も会っておらず、あまり気乗りはしませんでしたが、まずは兄弟で実家の母に「父に会ってくる」旨を報告し、翌週兄と一緒に父の病院を訪ねました。


ちなみにこの時、母に父のことを報告した歳、母は「あのバカ親父まだ死んでなかったの?」と言葉にしました。

いくら離婚しているとはいえ、息子にとっては父親であることは変わらないのですが。。。

母については、書きはじめると長くなりそうなので、また別の機会に書きます。


父は糖尿病で既に目が見えなくなっており、顔は分からない様子でしたが、息子2人が揃って訪ねてきたことを非常に喜んでおり、「目が見えない分、人の表情がわかるようになった。お前たちの表情が手に取るように分かる。。。」と涙を浮かべていました。

破天荒な父でしたが、弱った体で初めて親らしい姿を見た気がします。


半年後、「父が亡くなった」と兄から連絡がありました。

既に親子の関係ではなくなっていたため、葬儀には出ませんでしたが、時間ができたら父の墓に行ってみようと思います。


実家の方は、数年前に祖父が亡くなり、母が一人暮らしになったため、兄も頻繁に実家に帰っているため、自分も年に一回程度は実家に帰っています。

それでも、幼少期から良い思い出がない実家は居心地が悪く、一泊で帰ることがほとんどです。


ということで、今回はまず大まかな家族構成と、父・兄との関係を中心に整理してみました。


こう書いてみると、自分は父と兄という男性的な立場の愛情を感じないまま育ってしまっているように思います。

今でこそ兄とは普通に話しますが、10代の頃は殆ど口をきいておらず、コミュニケーションを取っていませんでした。

そのまま成人して現在に至っているため、自分には大人の男性としての意識が欠如しているのかもしれません。


そういえば、これまでの社会人経験の中で、長く働いていた会社はどこも女性が多い職場でした。

幼少期の体験から、男性が多い職場が苦手で、自然と避けているのかもしれません。


今回はここまでにして、次回は母について書いていこうと思っています。

家族に関して何かヒントになることがあればと思っています。

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