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【怪奇小説】『サナトリウムに』-最終回-

 町外れの山道や食堂などを転々と車で移動しながら、宇野は夜が訪れるのを待ち続けていた。ようやく陽が暮れだし、辺りが暗くなり始めると、宇野は人気の少ない場所にあるコインパーキングに車を停め、座席をリクライニングさせ、持参していた帽子を顔に被せ、顔を隠しながら寝たフリをして時間を潰した。これからやることを考えたら、なるべく雨里の住人に顔を見られたくはなかった。

 田舎町の夜は静まり返るのが早い。午後十一時を過ぎる頃には、雨里の町中を往来する人はほぼ皆無となっていた。宇野は周囲に人がいないことを確認すると、手早く清算を済ませて車を発進させた。

 まるで無人の街のような雨里の都市部を通り抜け、宇野の車は山道の奥へと進んで行く。湖と森の境目あたりの、道路側からは見えづらい場所に車を停めると、宇野は念のため、ここでも周囲を見渡した。

 静まり返った夜の湖。
 湖畔には誰もいない。
 道路を行き交う車は一台もない。

 宇野は森の中に分け入り、その奥深くにあるサナトリウムを目指した。

 夜のサナトリウムは不気味な雰囲気を漂わせていた。そのサナトリウムの前に、万里奈がいた。

「来ると思ってた」

 微笑みながら、声を落として言った。宇野も同じように声を落とし、ただしこちらは微笑まずに応えた。

「このサナトリウムに隠されている物は、もしかしたら財宝じゃないかもしれないですよ」
「何か分かったの?」
「いや・・・・・・。まだ何も正確なことは」

 宇野はそこで万里奈から目をそらし、言葉を閉じた。なんとなく、磯寺で聞いた話を口に出してはいけないような気がしたからだった。万里奈はそんな宇野に不審の目を向けながらも、追及はしなかった。

「それじゃ、さっそく探検しましょ」

 万里奈は宇野の返事も待たず、一人でサナトリウムの入口に向かって歩き出した。宇野がその後ろを追う。

「鍵は――」
「さっき開けといたの」

 振り返らずにあっさり答えた万里奈は、歩みを止めずにそのままサナトリウムの入口までやって来ると、そこで立ち止まって宇野の方に振り返った。

「本当に良い?」

 挑発的な顔。

 宇野は無表情のまま答える。

「はい」
「そう」

 万里奈はドアノブに手を掛け、回した。

「じゃあ行きましょ」

 無造作にドアを開けて中に入る。宇野がそれに続いた。

 暗闇が支配するサナトリウムの内部は、一段と不気味さを増していた。窓から差し込むほのかな月明り以外、室内を照らすものは何もない。

「懐中電灯持ってる?」
「いや」
「じゃあ、これ――」

 万里奈はウエストポーチから小型の細長い懐中電灯を二本取り出し、一本を宇野に差し出した。

「ありがとうございます。準備万端ですね」
「百均の安いやつだけどね。無いよりマシでしょ」

 そう言って万里奈が懐中電灯を灯した。つられるように、宇野もスイッチを入れる。

 二本の細長い光を交差させながら、二人はサナトリウムの中を進んで行った。一階にある全ての部屋に立ち寄り、隅々まで光を照らして調べた。戸棚や机の引き出しも、全て開けて調べた。しかし目的のものは見つからなかった。何も無いのだ。

「このサナトリウムに地下室は?」
「無いわね。その線は私も考えたけど、このサナトリウムに地下室は設計されてないの。水野谷家の財宝を隠すために後から作ったと考えようにも、雨里の有力者たちが財宝の存在を知ってから双子の片割れが湖に浮かぶまでの期間はほんの数日。たった数日でサナトリウムの患者たちに知られずに地下室を作るなんて、どう考えても不可能。だから――」
「このサナトリウムに秘密の地下室なんてない」
「そういうこと」
「なら、上を調べますか」

 二人は二階に上がると、一階と同じように一部屋ずつ調べ始めた。だが結果は一階と同じだった。落胆する間もなく、そのまま三階に進んだ。そこはこのサナトリウムの頂点。探索できる最後の場所。

「磯寺で何を聞いたの?」

 手始めに取り掛かった一室を調べながら、不意に万里奈が聞いた。

「私も色々教えたんだから、宇野さんも教えてくれても良いんじゃない?」

 しばしの沈黙が、二人の間に流れた。
 部屋の隅にライトを小刻みに当て、何かないか調べる素振りをしながら、宇野は万里奈の問いに答えるべきか考えていた。その間、万里奈は何も追及して来なかった。
 暗闇と静けさが宇野の焦りを掻きたて、観念するように、少しためらいがちに、宇野が口を開いた。

「水野谷家のご令嬢は甦って、双子の片割れを殺して、そのままどこかに消えた――ていう話が、磯寺の檀家に伝わっているらしいです」
「なんで死体が甦るの?」
「悪霊が憑りついて。・・・・・・甦ったご令嬢は磯寺に現れて、それを磯寺の和尚が退治したんだそうで」

 万里奈は、思わず鼻で笑った。

「オカルトね」
「そのままご令嬢はどこかに消え、その後しばらくして湖に例の男の死体が浮かんだ。つまり男を殺した犯人は、悪霊に憑りつかれて甦ったご令嬢。――この話が本当がどうかは別として、ご令嬢の遺体は、実際は水野谷家に還されていないらしいですよ。警察の遺体安置所から紛失したんだそうです」
「なるほど。だからさっき、宇野さんは、ここにあるのは財宝じゃないかも? って言ったのね。・・・・・・その遺体がここにあると思ってるの? あるとしても、もうミイラになってると思うけど」

 万里奈が軽く笑う。
 宇野は笑わず、万里奈の方も見ずに答える。

「なんのために隠されたのかは分かりませんがね」

 ひと通り部屋を調べ終わると、二人は残りの部屋に移動した。しかしやはり、何も見つからなかった。ましてや人間大の大きさの物など、影も形もなかった。

「おしまいね」

 三階の突き当りにあった最後の部屋の中で、特に落ち込んだ様子もなく、万里奈が宇野に向かって言った。宇野は万里奈の方を見ず、なおも懐中電灯で床や壁を照らしていた。そこはかつて、倉庫として使われていた部屋だった。

「ちょっと宇野さん! 上!」

 万里奈が天井の一角を照らした。その光の輪の中に、一ヵ所だけ色の違う板があった。板の周囲には、何かの金具を取り付けていたと思しきあとがあった。

「あれ屋根裏部屋じゃない? だってここ倉庫でしょ? あそこにも物を置ける場所があるんじゃない?」
「あの跡は、ハシゴか、折り畳みの階段が取り付けられてた跡・・・・・・」
「そうね。屋根裏部屋に行けないように取り外した。だから、行かれちゃ困る物があそこにあるのよ!」

 問題の天井は窓枠に面していた。
 宇野は窓枠に足をかけてよじ登ると、その色違いの板に手を掛けた。板は釘で打ち付けられていた。宇野は板と天井の隙間に指を入れ、強引に引き剥がしにかかった。隙間が大きくなると、今度はそこに懐中電灯を差し込んで力を込めた。板が音を立てて剥がれ、床に落下した。板の下には、引き戸があった。

「やっぱり」

 下からライトを照らしていた万里奈がつぶやく。

 宇野は恐る恐る引き戸を引いた。
 開かれたその空間――屋根裏部屋に続く出入口には、縦横に紙テープのような物が無数に貼られていた。部屋に入るには、その紙テープを破いて進入するしかない。よく見ると、それはお経や梵字のようなものが書かれている和紙だった。

「これ、たぶん結界ですよ。何かを封印して、ここに閉じ込めてる――」

 またも万里奈が鼻で笑った。

「じゃあ止めます?」

 下から聞こえてくる万里奈の小馬鹿にしたような声に、思わず宇野が反発する。

「いや、行きます」

 宇野は無造作に封印の和紙を手で引きちぎって屋根裏部屋の中に投げ入れ、自分も窓際の壁を蹴りながら部屋の中へとよじ登った。

 屋根裏部屋の中には、部屋の片隅にいくつかの木箱がある以外、何もなかった。天井は立って歩ける程度の高さはある。宇野はとりあえず、木箱に向かった。

 木箱は二段に積まれ、それが四組あった。木箱の蓋は釘で打たれていたが、宇野はさっきと同じ要領で力づくで剥がし、中を覗いた。

 木箱の中にも封印の紙が貼られているだけだった。残りも調べると、四組中三組の木箱が同じだった。

 それらに囲まれるように置かれていた、最後の一組に取り掛かる。

 上の段にあった木箱は、他の物と同じ。
 下の段にあった木箱には、封印の紙が張られ、その下に長さ五十センチほどの小さな白木の箱が入っていた。白木の箱にも封印の紙が巻いてある。

 宇野は気にせずその白木の箱を取り上げ、巻き付けてある紙も取り除いた。

「宇野さーん。何かあったー?」

 控え目に張った万里奈の声が、下から聞こえて来た。その声に応える前に、宇野は白木の箱を開けた。中には、白い布にくるまれた、干からびた赤ん坊が入っていた。

「うわっ!」
「どうしたの!」

 思わず上げた宇野の悲鳴に、万里奈の声にも緊張が走る。

「いや・・・・・・ミイラが・・・・・・」
「ミイラ!? ほんとにあったの!?」

 困惑している万里奈の声をよそに、宇野は赤子のミイラを観察した。

 半開きの口の中に、ノコギリのような歯が見えた。
 指には、水掻きが付いていた。

 宇野は震える手で、くるんでいる布をめくった。
 
 赤子の下半身は魚だった。

 宇野は登って来た時と同じように、窓際の壁に足をかけながら屋根裏部屋から降り始めると、最後に、出入口付近に置いておいた白木の箱を取って床に着地した。

「それが――」万里奈が白木の箱を指差しながら、「ミイラ?」
「人魚のミイラです」

 宇野が箱を開けた。万里奈の眼が、その中身を凝視している。

「あの屋根裏の入口と同じように、封印の紙みたいなのが貼りまくられてましたよ。よっぽど重要なもんなんでしょう。・・・・・・もしかしたら作り物かもしれないけど」
「やっとだわ」
「これが財宝なんですかね?」
「それ全部嘘」

 万里奈が豹変した。
 まるで上の空の様子で、万里奈が話し始めた。
 その声は囁き声のようにかすかでありながら、宇野の耳にはっきりと聞こえて来る。

「あの男はね、惚れた女が人魚だと分かっても愛し続けたの。でもあいつの方は、人じゃないと分かった途端、別れさせようと邪魔ばかりしてきた。あの男はその子・・・を見て気が狂って、殺そうとした。だからその子・・・を抱えて飛び出したの。嵐の夜よ。今夜とは全然違う」

 あの男? あいつ?

 暗闇の中で独り言のように囁いている万里奈を真正面に見据えながら、なぜか宇野の体を冷や汗がつたい出した。

「あの男との子供を見て、あいつも、私たち・・・を殺そうと追いかけて来た。あいつらは二人して私たち・・・を殺そうとしたのよ」

 私たち?

 次第に熱を帯びて来る万里奈の囁きが、宇野の鼓動を早めて行く。

「追いかけて来たあの男を殺してたら、あいつに追いつかれた」

 そこで万里奈が軽く笑い声をあげた。

「あいつは私の首を絞めて殺して、その子・・・と私をあの坊主のところに持って行ったの。あの坊主はね、はじめはその子・・・を殺そうとしたようだけど、赤ちゃんを手にかけるのが怖くなって封じるだけにしたのよ。おまけに、私が本当に死んだと思ってたみたいだし」

 万里奈がまた笑った。

「死ぬわけないじゃない」

 宇野は逃げたくても、この部屋の出入口は万里奈の後ろにあった。

「あの坊主のトコにその子・・・を取り返しに行ったけど、もうどこかに持って行かれたあとだった。ひたすら捜し歩いて、あいつがこの場所に隠したのが分かったの。それなのに、あの坊主、ここに結界なんて張って・・・・・・。でも宇野さんが全部壊してくれたからね」

 万里奈の顔には影が差し、その表情が見えなくなっていた。

「・・・・・・万里奈さん、あんたが、水野谷家のご令嬢なのか?」

 暗闇の中に女の高笑いが響いた。

「あの男と恋に落ちた水野谷家のお嬢様はもういないわよ。雨里に来てすぐに私が食べちゃったから。人間の女を食べるとね、私たちはその女の姿になれるの」
「人魚を食った人間は人魚になる、みたいにか?」

 宇野は声が震えそうになるのを必死にこらえ、叩きつけるような口調で言った。

「よく知ってるね。昔、人魚を食べて、この雨里で、私は人魚になった。そのあと、色んな女になったけど、このお嬢様は美人だから人気あるわね。ただあいつは――」
「双子の兄貴の方か」
「そう。あいつは私の正体を見破って、弟から引き離そうと邪魔ばかりして・・・・・・。宇野さんも好きでしょ? この顔」

 万里奈が暗がりの中にたたずんでいる。

「好きでしょ?」

 こちらに向かって動き出した。

「この顔」

 宇野が、持っている白木の箱を握りしめる。万里奈が近づくにつれ、覆いかぶさっていた影が次第に遠のいて行く。顔はまだ見えない。

「好きでしょ?」

 暗闇から顔が現れた。

「この顔」

 巨大な丸い虚ろな眼。
 両耳まで開いた厚い唇。
 そして首筋にはえら――。

 宇野は力いっぱい、持っていた白木の箱を叩きつけた。
 万里奈だったモノがよろめいた。
 宇野がその脇を駆け抜ける。
 その次の一瞬、宇野の両肩が物凄い力で掴まれた。

「逃げれると思ってるの?」

 その声は微笑んでいた。

「人魚と人間の混血児あいのこは貴重だからね。宇野さん、ありがとう。あいつもこうやって殺したの」

 人魚が宇野の首筋に咬みついた。
 鮮血が辺りに飛び散る。
 
 宇野は、唸り声のような低い悲鳴を上げながら振りほどこうと暴れるが、それを人間離れした力が抑え込んだ。宇野の足元には、白木の箱から転げ落ちた赤子のミイラが転がっていた。

 研ぎ澄ました刃物のような人魚の歯が、宇野の首筋に深く突き刺さっていく。痛みに苦しみながら、宇野はそれでも抵抗を続ける。

 宇野の首筋から滴り落ちる血が、赤子のミイラの顔に数滴落ちた。
 干からびた肌に、その血はたちまち吸収された。
 宇野があがいて身動きをするたび、鮮血はなおも数滴ずつ降り続けた。
 そのたび、赤子の肌は血を吸い続けた。

 やがて、宇野の身体は抵抗をやめた。

 足元にゆっくりと血だまりが出来ていく。

 ――赤子がまばたきをした。



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