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雨の日、すれ違ってしまった私たち

 
その日その時、私は近所のスーパーにいた。
時間は午後8時頃。実はその時間には深い意味がある───
 
その頃になると、お弁当やお総菜などが割引になるのだ。私は、週イチ程度しかそのスーパーには行かないが、だからこそ、行くならその「お得タイム」にスーパーを訪れるようにしていた。
 
その日は雨だったこともあり、おそらくいつもより人出が少ない。ということは、もし売れ残っている商品があるなら、いろんなものがお得にゲットできるかもしれない、ということだ。
 
真偽は定かではないが、雨のあとは魚がよく釣れる、というのを今は亡き「釣り師の親父」が言っていた。スーパーの「雨の日の夜」は、なんとなくそれに似ている、と私は勝手に思っている。
 
私は、絶好の釣り場であるそのスーパーへと、クーラーボックス(エコバック)を手に、釣り(お買い物)に出かけた。
 
スーパーに到着した私はまず、丁寧に傘を振って水気を飛ばす。それは、これから「釣るぞ(買うぞ)!」と身震いし、はやる気持ちを抑えるための儀式のようなもの。
 
昔から言うではないか。
「急いては事を仕損じる」と。
 
そっと優しく傘を閉じたのち、私は釣りカゴ(スーパーのカゴ)を下げて、いよいよ目的の釣り場(お弁当&お惣菜コーナー)へと向かった。
 
心で深呼吸をし、まずは釣り場全体を見回す。すると、水面を漂っているイカ(お寿司)が見えた。私の大好きなイカがなんと半額になっているではないか! 私は我を忘れ、手づかみでそのイカを取った。しかも、二つ。
 
幸先さいさきのいいスタートを切った私は、その後も次々と獲物(お弁当やお惣菜)を釣り上げ(手に取る)ていく。
 
釣りの基本であり鉄則は「自分が食べる分だけを釣る」なのだが、その日の私は、あろうことかお腹を空かせた状態でスーパーへと来ていたために、己の誘惑に勝てず、その禁忌きんきを破り、いつもよりかなり多めの獲物を釣り上げてしまった。ここで、それらの獲物を放流(元の棚に戻す)すればよかったのだが、煩悩ぼんのうかたまりである私は、そのままレジへと向かってしまう───
 
「ま、今日ぐらいはいいか」
「いや、返さなきゃダメだ」
 
心の中でそんな葛藤を繰り広げながらも、ついに私のお会計の番になってしまった。甘い誘惑に最後まであらがえなかった私は、釣った獲物すべてが入ったカゴをレジへと置いた。
 
すると、女性店員さんが私に優しく訊いた。
「お箸はご入用ですか?」
 
今日の私は煩悩の塊である。が、もうこれ以上、誰かに迷惑をかけたり、さらなる欲望をむき出してはならない。それは私の最後のプライドだった。
 
私は、言った。ちょっとだけ、カッコつけて。
 
「大丈夫です」と。
 
こんなにお得に自然の恵み(商品)を譲っていただけるばかりか、その上、はしまでもらうなど、とんでもない! 箸は家にあるので、その箸は別のお困りの方に差し上げて下さい。私はそんな思いを込めて、箸を断った。
 
「大丈夫です」と。
 
あとはお会計を済ませて、家へと帰るだけ・・・の、はずだったのだが、そこでとんでもないことが起きた。
 
「バサッ!」
豪快な音とともに、なんと私のカゴに大量の箸が投入されたのだ!
 
───ええええええええっ!?
 
私は、つぶらな瞳をひんむき、心の中で数え切れないほどの「え」を言っていた。
 
自分の身に何が起こったのかわからぬまま、私は会計を済ませ、自然の恵みと大量の箸をエコバックに入れて店を出た。あまりに混乱していた私は、そこからどうやって家に帰ってきたのか記憶にない・・・ま、きっと普通に帰ってきたのだろう。
 
しかし───
何がどうなって、大量の箸が私の元へとやってきたのか? 
「要りません」という意思表示をしたのに、その逆のことが起こったのだ!
 
 
家に着いた私はまず、その不可思議な事件についての検証をしなければならなかった。買ってきたものを、そのままゴキゲンで食べるには、あまりに心が乱れすぎていたから。
 
「お箸はご入用ですか?」そう訊かれた時、私は言った。
「大丈夫です」と。それは間違いない。
 
まさか、店員さんも「大丈夫です」を「要ります」と変換はしないだろう。
 
ではなぜ?
 
事件を解くカギはおそらく現場にある。ふと、刑事ドラマでよく聞くセリフ「現場百回」を思い出したが、すぐにそれは打ち消した。
 
今からスーパーに行って「現場百回」したら、私はきっと破産する。あるいは、ヤバい客だと思われ通報されるか、あわよくば出禁。そんなの耐えられない。
 
空腹に耐えながら必死に考えた私は、とりあえず現場を脳内で再生してみることにした。それが一番現実的である。
 
早速、私は脳内でさっきのやり取りをリピートした。
 
「お箸はご入用ですか?」
「大丈夫です」
 
やり取りは間違いなく、これだけである。このどこに大量の箸が紛れ込む余地があるというのだろう?
 
私は何度も何度も、そのシーンを脳内リピートした。
 
「お箸はご入用ですか?」
「大丈夫です」
 
わからない、何度やっても全くわからない。もしかして・・・私がちょっとカッコつけたから?・・・ないないない、そんなわけない。全力で首を振り、その考えを吹き飛ばす。
 
そして、思った。
「もしかしたら、動きも再現したら何かわかるかも」
 
私は動きを入れ、再びそのシーンを再現した。
 
「お箸はご入用ですか?」
「大丈夫です」
 
何度も何度も再現し、そして何度目かの時───
 
「あ!!!」
 
思い当たることがあった。というより、まず間違いない。
私はついに「箸、大量投入事件」の真相に辿り着いた。
 
 
真相はこうである。
女性店員さんが私に訊く。
「お箸はご入用ですか?」と。
 
それに対して私は言った。
「大丈夫です」と、開いた右手を店員さんに向けて
 
犯人はなんと「私の右手」だったのだ!
 
開いた右手、つまりてのひらを開いたら、それはジャンケンでいうパーである。
 
そう、店員さんは私が右手でパーを出したのを「5本下さい」と勘違いしてしまったのである。
 
でも───
「大丈夫です」と言ったのでは?
 
そう、私は確かに店員さんに「大丈夫です」と言った。がしかし、おそらくその声が聞こえなかったのだろう。なぜなら、私はマスクをしていたし、何より、レジの向こうとこちらを隔てるように透明のカーテンがあるから、である。
 
そして、もう一つ───
私は基本的に声が小さいのだ。私は外ではつい「はにかみ屋」になってしまうのである。
 
恥ずかしながら、私はアラフィフはにかみ屋オジサンなのである。自分で書いていてちょっと照れるが、しかし、アラフィフのオッサンが「何はにかんでんだよ!」という話でもある。
 
ただ、こればっかりは性格なのだからしょうがない。いまだにスタバでは緊張するし、行ったことのないお店に一人で入ることが大の苦手。
 
その後、改めて現場検証をし、大量の箸を数えたところ、やはり5本あった。
 
間違いない。
完全に私のせいである。

 
私がモゴモゴと曖昧な態度で、小鳥のさえずりのような返事をしてしまったがために、彼女にはとんだ迷惑をかけてしまった。しかも、箸をカゴに入れる時、彼女からちょっとイラッとした雰囲気を感じた。
 
「5本も欲しいの??」ったく・・・みたいな。
 
しかし、彼女は悪くない。
悪いのは私である。
 
ちなみに、「箸、大量投入事件」真相究明の途中で、実は「もしかしたら、店員さんは私にちょっと好意を抱き、思わず箸を出血大サービスしてしまったのかも」などと、厨二病な妄想を一瞬でも抱いてしまったことについては、なかったことにして欲しい。恥ずかしいにも程がある。
 

5本の箸を目の前に、私は誓う。
 
これからは大人として、もう少し大きな声できちんと意志を伝えようと思う。はにかむのは私の勝手だが、人や環境に迷惑をかけてはいけない。
 
今回の出来事は、一人では食べきれないほどの「恵み」を欲張って買ってしまった私への、神様からの戒めだったのかもしれない。
 
食べものはもちろん、資源を無駄にしないためにも、次にスーパーへ行った時はちゃんとはっきり言わなければ。言葉も態度も曖昧にせず、互いの思いがすれ違ってしまわないよう、堂々と、
 
「箸は大丈夫です」と。
 
雨上がりの夜空、天の川にはいつもよりたくさんの星が見えた。私と女性店員さんはすれ違ってしまったけれど、織姫と彦星はすれ違いませんように。私はちょっとはにかみながら、そんなことを思った。

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