見出し画像

「会いたい」と言われると泣きそうになる話

皆さんは、言われて嬉しい言葉ってありますか?

ありがとう、愛してる、面白いね、美味しいね、好きだよ、めっちゃ可愛い、気持ちいい、綺麗な顔だね・・・誰かから感謝されたり愛でてもらったり褒めてもらったり、そんな場面でかけてもらう言葉は、一様に嬉しい気持ちになるものですよね。

わたしは誰かに「会いたいな~」と言われると、心底嬉しくて泣きそうになります。自分にとって誰かに「会いたい」と言葉にして伝える時は、その誰かのことが自分の中でとてもとても大切で、いとおしくて、なるだけ近い距離で存在を確かめたい、おしゃべりをしたい、なんならぎゅうぎゅうと抱きしめちゃいたい、そんな気持ちの高まりの頂点。そんな瞬間に、思い余ってあふれるように口をつく言葉が「会いたい」だからです。

百パーセント同じでなくとも、きっと、相手が自分に会いたいな、と思ってくれる時は、少なからず素敵な心の動きがあったからなんだろうと思えるから、嬉しくてたまらなくなる。

そして、口に出して、あるいは、文字に起こして「会いたい」と発した時から、無意識に"その人に会うための行動"を起こし始めるんだと、自分は思います。有言実行のひと、という表現がありますが、誰しもがその素質は持っているんじゃないかと思うわけです。

言葉は大事にしなさい。言葉には魂が宿るからね。

なんて、言われたり聞いたりしたことがある方も多いでしょう。
いわゆる、言霊(ことだま)というものです。人生の大半をジャニーズのおたくとして生きてきた自分にとっては、呼吸するように当たり前につぶやく単語です。

「チケット当たる!言霊!
「きっと開催される!言霊言霊!

口に出したら不思議と結果がついてくる、という、半ば強引でゴーイングマイウェイなご都合主義

でも、先ほど書いたみたいに、行動目標を口にすることで、その方向に意識が向いて、足を踏み出しやすくなるというのは、あながち有り得る。ような気がする。し、引き寄せの法則というのも、オカルトのようで、我が身に起きていたりしませんか?

前向きな気持ちを言葉にすると、自ずと行動に作用するって単純なからくりだったりするんじゃないカシラーン。

なにより、「もしかしたらダメかも」とか「どうせ期待通りにはならない」とかって、結果が出てもいないことに最初から後ろを向いてしまうより、ずっと健全で精神衛生上マシな行為に思えます。

期待し過ぎて駄目だった時、落ち込みませんか?そんな風に思う方もいらっしゃるでしょう。実は自分も、少し前まではそういう考え方をする人間でした。期待し過ぎたらその分きっと大きな傷を負う、それなら最初から最小限の期待しかしないでおこう。口に出して行動できなかったら恥ずかしいから、有言実行よりは無言実行派。出来たらその時に言おう。みたいな。

まあ、今でもわかります。大丈夫さ~!って思ってて駄目だった時は、人並みに落ち込みます。でもね、もともと強い気持ちで居たからか、実際はそこまで深手を負わないんですよね。だめだったかー!残念!よし!じゃあ次!みたいに、けっこうパキっと切り替えができちゃう。

前までだったら、落ち込みを最小限にしたかったはずなのに、「やっぱり駄目だった、めそめそ」ってそのあとも結局ずーっとうじうじして落ち込み続けてた気がします。

これは性格もあるかもしれないですが、無言実行って結局やらないんですよ。結果的にできたら格好良いですけど、そもそもチャレンジしていることすら誰にも知られていないから、できなくてもいいや~って投げ出したり、そもそも始めることすらしなかったり、というのが往々にしてある。これは個人的にですけど、見栄っ張りな部分が功を奏しているのかも。言っちゃったからにはちょってでもやらないとそれこそ格好悪いな!って、とりあえず動いてみる、みたいな。で、やり始めたからには何かしらの結果出したくなっちゃうじゃん!って気づいたら割と進んでる、みたいな。

言われて嬉しい言葉、からとんでもなく脱線してしまいました。何が言いたいか。とどのつまり、「言葉の力っですごいな」ってことです。

直接顔を突き合わせて伝えてもらえる声に乗った言葉の尊さは言わずもがな、であります。口からぽーんと出た言葉は、その瞬間に既に霧散してしまって残りません。もちろん、受け取り手の心にはしっかり届いて根付いて、反芻するたびにゆっくり育ち、花を咲かせることでしょう。
それでも、人の記憶なんて実に曖昧で、一言一句永遠に覚えていられる保証は無かったりもする。

一方で、目に見える形でもらった言葉は、声色こそ乗らないけれども、永遠に一言一句残ります。何度も何度も読み返して、お守りのように、糧にすることができる。古の時代から和歌で想いを伝えたりするロマンチストなDNAを繋いできた我ら日本人は、LINEなどのSNSが広く普及している現代でも、目に見える形の言葉で、相手に想いを伝えたがりな気がします。価値を見出している。それって素敵なDNAだなと思います。

万人に好かれることは難しい。そんなことはわかってます。だから、この人の言葉ってなんか好きだわぁ、って、数人に思ってもらえたらそれでいい。そうなれば、嬉しい。幼い頃の自分が、たくさんの言葉に出会って、心に栄養をたくさんもらったように。学生時代の自分が、こんな想いを抱えているのは自分だけじゃないんだと安堵できたように。わたしの書いた言葉が誰かの心に届いたら、とても嬉しいです。

自分は常々、言葉は使い方によってナイフにも花束にも御馳走にも呪いにもなると思っています。使い方ひとつで、相手を切りつけることも、喜ばせることも、満たすことも、内側からじわじわと蝕んでいくこともできてしまう。

だから自分は、美しいお花や美味しいご飯を振舞えるような言葉屋さんになりたい。

と、思っているのです、というお話でした。
ちゃんちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?