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地方、歴史によって変化する、お好み焼きの違い

結論

関西式と関東式は生地と具材を混ぜ込んでから焼く
広島式は生地→キャベツ→トッピング→卵の乗せ焼き
関西式はキャベツのかさ増しで主食に進化
広島式は一銭洋食を時代に合わせて進化

家庭でも作りやすいお好み焼き。
野菜もたっぷり取れ、腹持ちもよく、キャベツの代わりにもやしを使えばリーズナブルに。
家庭によっても地域によっても異なるのがお好み焼き。
今回は4地域のお好み焼きと歴史について紹介します。

各地のお好み焼きの特徴

関西式

 みじん切りにしたキャベツ、卵、天かす、干しエビ、山芋を生地に混ぜてから焼きます。
 さらに家庭やお店によって以下の2種類のスタイルに分かれます。
 1. 豚肉、海鮮などメインの具材を生地の上にのせて焼くスタイル
 2. メインの具材を別に焼くスタイル
 ソース、マヨネーズ、青のり、鰹節をかけて食べます。お好み焼きの切り方は格子型に切り分け、一人一枚食べます。
大阪では、お好み焼きをおかずとして食べることが多いです。
また、お店側が焼くことが主流です。
ソースとキャベツの味がマッチします。

関東式

関西式との共通点
 みじん切りキャベツ、卵、天かす、干しエビ、山芋を生地に混ぜてから焼く。
 ソース、マヨネーズ、青のり、鰹節をかける。
関西式との違い
 メインの具材を生地に混ぜ込む派が多数派。
 生地の量が関西式より多い。
 お店では、お客さんが焼くことが多く、ピザのように切り分けてシェアして食べます。

実際に食べてみた
 生地の量が多いためか、端のサクサク感、具材との一体感が関西式より強いです。

広島式

生地をクレープのように円形に薄く伸ばして生地を焼きます。
その上に、千切りキャベツ、豚肉や海鮮などのトッピング、天かすをのせてひっくり返し、蒸し焼きにします。
蒸し焼きしている間に中華麺またはうどんを焼きます。
このとき、円形にまとめて表面をパリッと焼きます。
さらに、別に卵を割って薄く円形に伸ばして焼きます。
生地の上に、炒めた麺を乗せてから、本体を卵焼きの下に乗せます。
ひっくり返してソースを塗り、青のりをかけて完成です。
小ヘラで一口大に切り分けて食べます。

実際に食べてみた
蒸し焼きされたキャベツの甘さ、香ばしい麺が印象深いです。

三津浜式(愛媛県松山市)

松山市西部にある街。かつては松山の海の玄関口として栄えました。
伊予鉄三津駅、JR三津浜駅が最寄りです。
三津浜式は広島式の変化バージョンです。
広島の漁師が持ち込んで独自のお好み焼きができたと言われてます。

広島式との違い
麺をソースで味付けしてから生地に乗せます。これを台付きと呼びます。
生地→麺→具材
肉は主に牛肉を使用。
具材はちくわ(紅白のものが多い)、魚粉を使用。
二つ折りの半月型で提供。
コテで食べます。

実際に食べてみた
ちくわが食感のアクセントにソースとの一体感も広島式より強いです。
焼きそばのような麺で見た目のわりにはさっぱり食べられます。

今回の写真のお好み焼き屋さん

関西式

京ちゃばな
京都大阪を中心に8店舗あり。
オーソドックスからトマト入り、アボカド入りなど新感覚なお好み焼きもあり。

広島式

お好み焼き&鉄板焼 日々来
JR,広電横川駅から徒歩5分のところにあるお店。

三津浜式

お好み焼き鉄板すみれ
松山市の繁華街、大街道にあるお店。

お好み焼きの歴史

奈良時代

小麦粉を水で溶いてクレープ状に焼いただけのシンプルなもの「煎餅」が原型。

室町時代

千利休が「ふの焼」を茶菓子として発展させました。
小麦粉をクレープ状に焼いただけのものから、うどん粉を水と酒で練った生地を薄く伸ばして焼き、砂糖や山椒味噌を塗って丸めたものへ発展。

明治時代

東京の駄菓子屋で誕生したもんじゃ焼きが人気になりました。
揚げ玉、紅ショウガなどが具材に使用。
量を増やしたいという子供たちの願いをかなえるため、小麦粉に多めの水で溶いて焼いていました。
ドロドロの生地に緩い生地で文字を書きながら焼いた「文字焼き」がもんじゃ焼き
現在では、キャベツ、中華麺だけではなく、海鮮、肉、チーズ、餅など具材が増え、大人の食事に変貌しました。
東京月島では観光資源として街の活性化に一役買っています。

大正時代

 それに対して、テイクアウトのために生地を硬めにしたのが、どんどん焼き
 割りばしで巻かれていて食べ歩きに便利です。
それは、まるでハドック
 東京の屋台で誕生し、客寄せのための太鼓をドンドン叩きながら売り歩いたため、どんどん焼きの名前がつきました。
 関東大震災をきっかけに、関東の粉もん文化が各地に広まりました。
 現在でも、どんどん焼きは山形市や富山県などで見かけます。

おやつ屋さん(山形市)
 霞城公園の目の前にあるお店。
 小麦粉を水で溶いた生地を長方形、楕円形のクレープのように焼き、海苔、魚肉ソーセージなど乗せ、割りばしにロール状でまき、ソースや醤油を塗って完成。


 ソース味、醤油味があり、250円とリーズナブル!
 もちもちの生地と時々出てくる具のドキドキ感
 アレンジとして、チーズ、カレー、ピザ、食べるラー油どんどんもあります。

 関西では、どんどん焼き+ウスターソース-→一銭洋食に発展しました。
 名前の由来は一銭で買えること。ウスターソースを使用しているのは当時の洋食ブームの名残です。
 水で溶いた小麦粉をクレープのように焼き、鰹節、ネギ、卵、天かす、紅ショウガ、味付けこんにゃく、ちくわを乗せていき、ひっくり返します。
 具材側にもウスターソースをかけて二つ折りにして完成。
 当時は子供のおやつという認識でした。
 見た目で近いのは三津浜式。
 現代でも三津浜など一部地域では一銭洋食のことを「洋食」と呼ばれてます。また、京都祇園で今でも食べられるお店があります。
 一銭洋食から二通りのお好み焼きに分かれました。

関西式と広島式が大きく異なる理由

関西式

 満腹感を得るため、キャベツでかさ増しして小麦粉と混ぜて焼いて主食へ進化させました。
 戦後、食糧難により、注目されます。主食の米が高騰しており、食器や調理器具も不足してました。鉄板一枚で調理でき、海産物、肉など色々入れることができるという手軽さが見直され、食事として広まりました。
 子供のおやつから家庭料理に変化していきました。

広島焼

 戦前に子どもたちのおやつとして食べられていた一銭洋食は戦後の食糧難により、日常食へ進化しました。米軍から少量で支給された小麦粉を水で溶いて生地にし、豚肉をのせて食事にしました。さらに、戦後の食糧難で高騰していたネギの代わりに安くボリュームのあるキャベツを入れて鉄板で重ね焼きをして腹持ちをよくするために焼きそばを加えたものが原型です。1950年に屋台が誕生し、治安維持のため、屋台から住宅を改築したお店やビルの中に出店するようになり、広島にお好み焼きが定着。1975年の広島東洋カープの初優勝により、メディアにお好み焼き店が映り、知名度が全国区になりました。


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