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【休職中】22ヵ月目、これまでの経過を辿る

2022年6月末からパニック発作で会社に行けなくなり、
休職も1年9ヵ月が経ちました。
先日、パニック障害の発症経緯をまとめたので、
今回はパニック障害発症後、傷病休職中の経過をまとめたいと思います。
死ぬほど長くてすみませんが、お付き合いください。


[0ヵ月] 2022年6月24日 パニック障害発症

ほぼ記憶がありませんが、当時のメモにはこのように書いてありました。

生理2日目で出勤日。貧血が残っていたが、月末で経費処理のため5:50発のJR線グリーン車で通勤。
6:34、東京駅で満席のグリーン車内の蒸し暑さから、気分が悪くなり下車(熱中症?)。下りの特急列車にて帰宅。
データでない紙の処理などは、出勤している同僚にお願いしようと思い、在宅勤務に切り替え、9:00から業務開始。
手首痛の整形外科通院のため、15:00に業務終了。
電車へ乗車直後に緊急停車が2回あり、次の駅まで3分の距離が20分かかった。
その間、車内は空調が効いていたが、日差しで、今朝のの車内の蒸し暑さを思い出し、強烈な恐怖を感じ、頭がおかしくなりそうだった。
「暑さで死ぬ」と思った。
電車内でパニック発作を起こす事は初めてではなかった。
でも、整形外科まであと1駅が乗れなかった。
脳が大混乱で、泣きながら病院にキャンセルの電話、夫にも電話し駅まで車で迎えに来てもらった。
家までの車の中でもずっと目眩や熱感、強い不安で歩き回る、下痢、息ができない、死んでしまうのではないかといったパニック発作が収まらず、
夕飯も味噌汁をやっとの思いで飲んだ。
夜もあまり眠れなかった。
ずっと「夏が怖い、暑いの怖い、死んでしまう」と言い続けていた。

この日から、電車など外では静かなパニック発作(身体が硬直し、発語もできない)、
家の中だと「ギャーーーーーーーーー死ぬーーーーーーーーーーー!!!」と、ドラえもんがネズミに遭遇した時のような顔で叫び歩き回っていました。

ありとあらゆるパニック発作の症状が、近所のメンタルクリニックの受診予約日まで1週間続きました。
特に、夫の出社や、来てもらった両親が帰ってしまうときなど、一人でいる時に強い不安を感じ、苦しかったです。
お風呂も母に洗面所に居てもらい、ドアを開けて入っていました。
ダメなんですけど、母から、ペットロスで処方された抗不安薬「デパス」を分けてもらって、初診日までは乗り切りました。
(初診日、心療内科の先生に報告しましたが、状況が状況だったので咎められませんでした。)

[1ヵ月] 2022年7月 家でもパニック発作、家から出られない

初診日のメモを掲載します。

車で5分弱のメンタルクリニックへ行くのも怖くて、デパスを飲む。
かなりきわどかったが、朝に一度メンタルクリニックを通りすぎる予行練習をする。
達成できたので、予約時間に合わせて再度メンタルクリニックに向かう。
受付を済ませ、待合室で強い不安が押し寄せてきて、息ができない。
夫に「もうだめ、帰りたい」とつぶやきながら、なだめられながら、何とか30分後に診察室に呼ばれた。
40分間、私の性格からヒアリングしてくれて、真面目なことや、不安症なこと、怖がりなこと、完璧主義なこと、感受性が高く、ずっと過集中で張り詰めている状態が続いていて、たまたま電車がきっかけでパニックを発症してしまったと言われた。
自律神経のバランスが悪くなってしまい、治すには時間がかかるため、3ヶ月の休職で診断書を出してもらった。
加味逍遙散という漢方薬と、アルプラゾラムという抗不安薬を出してもらった。
優しく聞いてくれて、頑張ってきたことを励ましてもらって泣きそうだった。
帰りはとても落ち着いて穏やかな気持ちだった。
夕方、加味逍遙散を飲んだ。

初診では、ただ話を聞いてもらうだけでしたが、とても安心しました。
そして、「休職3ヵ月」の判決に、「いや2ヵ月くらいで大丈夫じゃないですかね?」と笑ったら、「そしたら復職の診断書を前倒しで発行するし、休暇が取れたと思って旅行行ったり遊んだりしたらいいよ」と言われ、なるほど、と思いました。
(そして3ヵ月どころか7倍の21ヵ月が経って、いまだ復職の目処が立ってないのですが…。)

以降1ヵ月、外出訓練としては、
散歩、
家の前の道路を横断して向かいにあるドラッグストアへ行く、
そこでレジに並んで買い物をする、
夫の運転で信号を越える、
その先にあるスーパーの駐車場を入出庫する…
といった練習を重ねて、一進一退(「退」は強調)を繰り返しながら徐々に前進していきました。

メンタルクリニックは週1回受診しました。
食事は、食後の体温上昇で不安が強くなるも、かなり普通に食べてました。
睡眠は、9:00まで寝ても眠かったです。
パニック障害発症前は休日でも7:00までには起きていたのですが、常に不安で緊張状態のため、眠れていなかったと思います。

過ごし方は、自己啓発系の本やPodcastといった意欲的なものを受け付けられなくなり、ずっとアニメ「赤毛のアン」を観て、原作小説を読んでいました。
テレビも、「安倍首相銃殺事件」や「熱中症警報アラート」がよく流れていて、不安で息ができなくなるので、つけなくなりました。

[2ヵ月] 2022年8月 SSRI服用開始、息ができる喜び

私の場合は、抗うつ薬として知られるSSRI(私はエスシタロプラム5mgから)が処方されたのは、初診から38日後の8月7日でした。

服用から3日間は副作用(心拍上昇、目眩、口渇感、頭痛、ふわふわする、不安など)がありましたが、
4日目以降はなんともなくなり、代わりに日中の不安が激減し、「私、生きてる…息できる…」と喜びを噛み締めていました。
意欲も上がってきて、なんだか私らしくなってきたな、と実感しました。
元々不動産投資の勉強をしていたので、そういう本を再開し、シミュレーションで収益計算なんかもしていました。

外出訓練としては、朝や夕方に散歩したり、庭の雑草を抜いて芝に水やりをするなどをコツコツ続けました。
夫がいるときは、車で行ける距離を延ばす方針で挫折をしながら取り組みました。

あと、家で週5日くらい運動(リングフィット&フィットボクシング)をするようになりました。

[3ヵ月] 2022年9月 電車に乗って1駅移動できたwith夫

意欲が高まってきたところで、前々から目指していた簿記2級取得に向けて、毎日1時間くらい勉強するようになりました。(翌年の3月に取得)

外出は、散歩や買い物などが安定してできるようになってきました。
そして忘れもしない9月23日!
徒歩15分の最寄り駅まで歩けるようになってきたので、夫と「駅のホームまで行ってみようか」となり、結果的に1駅乗車達成!
12:50頃、駅の改札を通って(夫はこのとき涙が出たそうです)、
ホームに立ち、
冷や汗と動悸がありつつ「乗ってみようかな」と言い、
でも来る電車に乗ろうとすると頭が真っ白になって「見送る!」と言って、結局2本の電車を見送り。
3本目の電車に乗ってみて、心臓が破裂するかと思うほどバクバクする中ドアが閉まりました。
心の中で「意外と平気、意外と平気」と3分間繰り返し続けて、隣の駅で降りました。
夫は「よく頑張ったね」と言っていました。
私は、夫は毎日こんなものに乗ってるんだな、とか、かつて自分も毎日乗っていたんだな、と思いました。

あと、半年ぶりぐらいに美容院に行きました。
パニック障害や広場恐怖症になると、美容院に行けなくなることもあるそうですが、私は案外平気でした。
どちらかといえば、暑い時期に「美容院まで行く」方が困難です。

[4ヵ月] 2022年10月 ソロ電車デビュー(1駅)

10月になってもまだ暑くて、夫と一緒に電車に乗れたり乗れなかったり、車で距離を延ばせたり、延ばせずパニックになって帰ってきたりでした。
そして、10月も終わる頃、ふと「一人で電車乗れたらすごくない…?」と思い立ち、駅のホームへ。
2本見送って、トイレ行って、抗不安薬(アルプラゾラム)を飲んで、なんと3本目で乗れました!
しかも、車内ではなかなか落ち着いて乗れたのがとても良かったです。

[5ヵ月] 2022年11月 近距離ならソロ電車で用事をこなせる/断捨離にハマる(以降、半年くらい)

個人的に、精神疾患にありがちだと思っているのですが、「あ、生活を整えよう…」といったミニマリズムの波が、例に漏れず私にもやってきました。
Podcastでミニマリスト系の放送を聴きながら、

  • 明らかなゴミの処分(大物家具、コード類、文房具、服、衣類ケース)

  • 書類整理

  • 幼少期の図画工作とか写真とか(スキャンや撮影でデータ化)

  • CD/本の処分・売却

  • デジタル整理(パソコンのデータや、使ってないサービスの会員解除、パスワードの整理、録画整理など)

などをしていきました。
特にカラーボックスやステンレス棚、テレビスタンド、炊飯器などの大物は、粗大ゴミ引き取り依頼の電話をして、
シール貼って、ゴミの日に出して回収してもらうといった複数の工程があり、
大変でしたがその大変さに比例して家も心もスッキリしましたね。

また、たまたま母から「この古いCHANELのバッグ、売ってきてもいいよ」と言われたので、電車を使って中古ブランドショップをハシゴ(7件!)して、よい外出訓練になりました。

[6ヵ月] 2022年12月 (11月から継続)

引き続き断捨離。

  • 録画DVDの整理

  • 写真・卒業アルバムデータ化

  • 日常の「これいる?」からの処分(カーペット、風呂の椅子と桶、キッチンツール、デロンギのエスプレッソマシンも!)

  • 家具やキッチンの配置変え

  • 中学〜大学までの30冊くらいのお絵かき帳をデータ化(1冊に45分かかる…)

  • アニメのDVD/BD-BOX売却

  • 微妙な電子マネーを使い切る(QUOカード、auPAY、楽天Edy、タリーズカード、昔使ってたSuicaなど)

売れないゴミは11月中におおむね処分し、12月はメルカリに出品することが多かったので、メルカリがかなり上達しました。
デロンギのエスプレッソマシンを売却したときは、「もうなんでも出品できるな」と思いました。

[7ヵ月] 2023年1月 30分くらい電車で移動できたwith夫

昨年までで電車で行けた駅は、私の実家もあり、駅周辺も繁華街!という感じでなんでも揃っているので、なにかと安心感がありました。
そこから先の駅は、東京との間の駅が続くのですが、実家の駅よりも閑散としているので心理ハードルが高かったです。
逃げ込める場所が少なく感じるのでしょうか?
でも夫と頑張って、3〜4駅、10〜15分ほど距離を延ばすことができました。

このあたりから、頑張ったご褒美に、チャレンジ駅近くのカフェでモーニング&朝活が定番になってきました。

[8ヵ月] 2023年2月 半日のセミナーに出席する/電車で20分の保護犬カフェに通う

休職から半年以上経ち、不安障害・パニック障害と向き合ってきましたが、「本当に復職できるのか?」と不安が続きました。
そんな頃、自治体の広報誌に「女性のための起業セミナー」というのが隣駅で開催されるとのことで、興味。
3時間のセミナーを耐えられるのか不安でしたが、申し込んでみました。

会場はエレベーターで8階、講義室という環境も久々で、パニック発作が起きたらすぐに逃げられるのか…?と不安ながら、一人で電車に乗り、無事に参加できました。
いろいろ感想はありますが、なにより「最初から最後まで会場に居れたこと」が良かったです。

そしてもう一つ。
私は犬が大好きで、実家の犬が亡くなってからは犬とふれあう事が少なくなっていました。
オキシトシンが足りない…と思い、Googleマップで犬がいそうな場所を調べていたら、電車で20分(ただし2回乗り換え)のところに保護犬カフェが!
母に付き添ってもらい、無事到着。
1時間1,500円でふれあい放題!存分に楽しめました。
手軽にオキシトシンを摂取できるのと、「ああ、私は本当に犬が好きなんだな」と思えたことが良かったです。
また、電車に乗るモチベーションをとても高めてくれてました。

[9ヵ月] 2023年3月 試験会場まで行って簿記2級取得/電車で40分の上野駅に行けたwith夫

一人での外出では、簿記2級の試験を受けにいって、無事合格しました。
試験の合否よりも、「試験会場に一人で行って、受験して、帰る」ができるか心配でした。
これからどんどん暖かい(私に取っては暑い)時期になってきて、そうなるといよいよ試験会場に行けなくなるので、今逃すと秋になる!と思い、何度か試験会場に行くための電車訓練を重ね、当日でもプレッシャーの中、無事にたどり着くことができました。

また、月末に一人で映画を観て帰ってくることができました。パニック障害になってから、一人で楽しめることが本当に限られていたので、「映画館へ行く」ということが一人でできて、自信になりました。

週末恒例の電車チャレンジwith夫は、上野駅(電車で40分)まで行けるように。
途中下車を挟みつつ、強い不安で目眩でふらふらしながら、上野駅のカフェで過ごして帰りました。
電車に乗れるようになってから、半年でここまで来れたというか、まだここまでかというか…いろいろ思うこともあります。

[10ヵ月] 2023年4月 銀座・舞浜・品川まで行けたwith夫

週末恒例の電車チャレンジwith夫は、上野からさらに足を伸ばして銀座、舞浜、品川などに行けるようになりました。
会社の最寄り駅(神奈川県)まであともう一歩!

しかし、電車チャレンジの過程で大きなパニック発作を2回起こしました。
気温も上がってきたところなので、せっかく乗れるようになってきた電車がまた怖くなり出しました。

[11ヵ月] 2023年5月 5/18に最高気温34℃で心折れる/暑さで電車乗れなくなってくる

5月からは、本格的に暑さが厳しく感じられるようになってきて、4月までのように都内まで電車で行くことはできなくなってしまいました。
(計画はするけど、不安が強くなって引き返したり、当日朝の時点であきらめたり)

忘れもしない5月18日。
最高気温が34℃までに達し(前日も30℃)、「5月で34℃なら、7月、8月とどうなってしまうんだ…!?」と、家でも恐怖でした。
電車に乗れない代わりに、朝に散歩などをしますが、駅まで辿り着けないこともあり、病状が悪化したようでとても落ち込みました。

[12ヵ月] 2023年6月 暑さで朝の散歩も命懸け

なるべく毎日散歩しようとしますが、日に日に暑さで歩ける距離が減り、凹む日々。
水筒に冷たいお茶を入れて、たまに飲むと不安が和らぐという発見もありましたが、その場しのぎというか…気休め程度でした。
曇っていて、歩いてる人々が薄手の上着を羽織っているような涼しい日でも、暑さ恐怖からの異常発汗で床に汗が滴り落ちるほど。
主治医に相談したところSSRI(エスシタロプラム)が10mg→20mgに増量しました。

また、梅雨の時期だからか、一日10時間前後寝てしまうようになりました。
朝、なかなか起きられない…。

[13ヵ月] 2023年7月 暑さで徒歩7分の距離もパニックになり、散歩も厳しくなる/ペーパードライバーを卒業

日中の気温が35℃とか平気で超え出してきました。
こうなってくると、晴れて日が差していると、家の前の道路を渡ることすら怖い。
暑すぎるけど、欧州は48℃とか言われて、ひっくり返る。
人類が全滅するのでは…?

昨年からの断捨離をきっかけに、細々とメルカリに出品しているので、週1くらいのペースで郵便局へ発送に行ってました。
最寄りの郵便局までは徒歩7分で、そんなに遠くもないと思います。
が、月末のある日、昼前に郵便局へ歩いて向かったら、途中からものすごい気持ち悪さを感じました。
「戻るより、郵便局へ向かう方が早い…」と思って進みましたが、発送手続きを終え、長椅子に座っていても、良くならない。
動悸が収まらない、目眩が激しい。
結局、夫に電話して、車で迎えに来てもらいました。
この日、夫が在宅勤務で本当に良かったのと、「もし夫が出勤していて誰も迎えに来れない状況だったら…」と思って恐怖でした。

この日をきっかけに、散歩もすごく怖くなりました。特に、夫が出勤日の外出は控えるようになりました。

こんな感じで一人で外出できる範囲がほとんどなくなってきたので、いよいよ日常生活に支障を感じ(日用品の買い出しにも行けないので)、
ペーパードライバーを卒業する決意をしました。
といっても、2、3回、夫を助手席に座らせて練習し、思ったよりもすぐに公道に慣れて、1ヵ月くらいで一人でスーパーへ買い物に行けるようになりました。

[14ヵ月] 2023年8月 メンタルの日記をつけ始める

普段からほぼ日手帳に、一日の行動と、数行の日記を書いていましたが、
不安が強い日などは日記が1ページに収まらなくなってきたので、
別のキャンパスノートを用意してメンタル日記をつけ出しました。

最初のほうは2〜3行が多かったですが、
半年ぐらい経つと1日1ページ、多い日は2〜3ページくらい書くようになっていました。
パニック発作が起きたときなどの精神状態は、
時間が経つと「苦しかった」事は覚えているのですが、
「どう苦しかったのか」は(心を守るためなのか)すぐに忘れてしまうので、
書くことで後から振り返って分析できるようになりますし、
不安の渦中でもノートに書くために自分の心の動きを俯瞰しようとするので、
自分のためにも、診察などで人に伝えるためにも、言語化に役立ちました。

[15ヵ月] 2023年9月 起業スクールに通う(2/4回)

2月に参加した起業セミナーをきっかけに、
全4日間(隔週開催)の自治体主催の起業スクールに申し込み・参加しました。
復職を完全に諦めたわけでは無いけど、休職から1年以上経っても復職の目処が立てられず、転職にも自信がなく、「起業しかない…」と思いました。

久々に9:00〜17:00で会議室の椅子に座り続けるというのが、体力的にしんどく、また1日目なんかは暑さも残っていたので不安でしたが、何とか参加できました。
講義内容は当たり障りのない内容でしたが、個人ワーク・グループワークでたくさん考えることができてよかったです。
また、参加者全員の意欲が高くて、「世の中を良くしたいって思う良い人がこんなにたくさんいるんだな」と、あたたかい気持ちになりました。

[16ヵ月] 2023年10月 起業スクールに通う(4/4回)/TDSでギリギリ遊ぶ/睡眠薬開始

起業セミナーの3・4日目に参加し、創業コンセプトに16時間かけたり、発表資料に10時間かけるなど、休職の身でなぜか「山場を迎える」という体験をしました。
でも、創業コンセプトを考えるにあたって、「自分が人生で何を成し遂げたいのか(人生のミッション)」が明確になって思わぬ収穫でした。

また、涼しくなってきたので電車チャレンジwith夫を再開し出しました。
来月、東京ディズニーシー(TDS)のホテルミラコスタで友人の結婚式があるので、それを目標に舞浜へ行く練習を重ねました。
2回目でTDSのパーク内に入場することができ、3時間、休みながら滞在することができました。
起業スクールによる意欲の向上や、外出訓練の調子が出てきたことから、SSRI(エスシタロプラム)を20mg→10mgに減量しました。

一方、朝なかなか起きれないのは、睡眠の浅さがあるように感じ、睡眠薬を試すことにしました。
最初は「デエビゴ」というお薬を2週間ほど服用しました。
しかし、入眠にはとても効きましたが、相変わらず中途覚醒から寝付くのが難しかったです。
その後、頓服で飲んでいる抗不安薬「アルプラゾラム」を睡眠薬代わりに服用してみたところ、一定の効果を感じたので、こちらを毎日睡眠薬代わりに服用しています。
現在も毎日服用していますが、依存性のある薬ではあるので、いずれ自力で眠れるようになりたいです。
でも、眠れないより、薬で眠れることの方がずっとメリットを感じるので、しばらくは継続します。

[17ヵ月] 2023年11月 車で大パニックを起こし全体的に二歩下がる/命懸けで結婚式に参列in夢の国with夫

10月から夫と外出訓練を重ねて、ついに会社の最寄り駅まで行けるようになりました。

ところが翌日の11/4、夫と、車で30分もかからない千葉ニュータウンまで行こうとしたのですが、延々と続く田んぼや林の風景が私の広場恐怖にストライク。
人混みといった身動きの取れない状況も苦手ですが、田舎風景みたいな人の気配がしない空間も苦手で、隣には夫がいるというのに身体はどんどん恐怖で血の気が引いていきました。
ギリギリの精神状態で千葉ニュータウンに着くも、広がる大型店舗と広々とした駐車場の風景が最後の一押しとなり、大パニック発作を引き起こしました。
(どの店舗も10:00開店なのに対して、9:45頃に着いたので15分は誰にも助けを求められないというのが一つ要因としてあります)
「死ぬ!」
「息できない!」
「怖い!」
「帰る!」
「(でも復路の30分をとても耐えられるような状態ではなく)帰れない!」
「どうしよう!?」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!!!」
と叫び続け、頓服のアルプラゾラムを飲むも効果が出るまで15分以上はかかるので、続く錯乱状態。
結果的には近くのガソリンスタンドのトイレで落ち着き、用事を済ませて帰ることができましたが、このことが病状を悪化させ、また外出できない日々が続きました。

この後も、11月18日にある友人の結婚式に向けて外出訓練を重ねますが、
毎回パニック発作を起こし、結婚式当日は何度も途中下車を繰り返し、遅刻しそうになりながら友人の結婚式には参列できましたが、
その日も含めて11月いっぱいは地獄のような1ヵ月だったなと思います。

SSRI(エスシタロプラム)は、また10mg→20mgに増量してもらいました。
現在までこの量が続いています。

[18ヵ月] 2023年12月 オンラインカウンセリング開始

傷病休職に入って1年半、
不安障害・パニック障害の症状や、自分と向き合い続けてきましたが、
ついに一人の限界を感じてきました。
「そろそろカウンセリングなどで他者の力を借りたいな…」と感じ、ちょうど主治医からも勧められたので、
オンラインで受けられるカウンセリングを探しました。

私は、「うららか相談室」と言うプラットホームにたどり着き、
運よく2人目のカウンセラーさんが非常に相性が良く、
12月だけで5回利用しました。
12月後半には自分でも認知が変わったなと感じることができ、
パニック障害発症からの1年半で、精神面(心理面)に対して一番効果的だったと感じます。
現在まで、不定期で利用させていただいています。

また、精神障害者手帳の申請をしていたのですが、
3級で申請が通り、手元に手帳が届きました。

[19ヵ月] 2024年1月 結婚式に参列in横浜with夫/楽器にハマる

カウンセリングという補助輪を続けながら、夫と電車チャレンジを続け、
横浜での友人の結婚式に参列することができました。
何度か練習(川崎まで行く、横浜まで行く、式場までいくなど)を重ね、
小さなパニック発作を起こすこともありましたが、
結婚式当日は終日不安になることがなく心身ともにとても安定していました。
私の症状を知っている新郎や参列者から「来れたんだね!」と声をかけてもらった時は、とても嬉しかったです。

あと、子どもの頃から10年続けていたバイオリンを、15年ぶりに再開しました。
休職中の自己分析や外出訓練の振り返り、読書などで脳がオーバーヒートしていたところ、
とあるPodcastで「楽器演奏って強制的にマインドフルネスになるよね」という話を聞いて「たしかに」と思ったからです。
動機が雑ですが、たしかに、下手くそながらも超楽しく、また脳がオーバーヒートしなくなっていきました。

[20ヵ月] 2024年2月 復職意思が出てくる

傷病休職から20ヵ月、
いまだに昨日のことのように、職場で起きた嫌なこと、言われたことを思い出せますし、
そうでなくとも復職条件の「9:00出社を週5日、3週間連続で達成する」の壁が高すぎて、実質不可能だと感じていました。

それがとある日、湯船の中で、いつものように脳内で同僚とバトルを繰り広げていたら、
「いま、この人の顔も見たくないし同じ空間で息をするのも無理なほど嫌いだけど、休職前は、嫌いでも顔は見れるくらいではなかったか?」と思いました。
もしや、職場から離れたこの20ヵ月で、嫌だった出来事にブーストがかかり、実態以上にネガティブに捉えていないか?
これは認知が歪んでいるのではないか?
これまでの9回のカウンセリングを経て、自分を改めて問う、俯瞰力がついたのではないか?
と思い、「認知が歪んでいるのであれば、それをどう修正すべきか?」と考え、
結論としては上司から職場の状況を聞こうと思いました。

上司とは毎月、私の状況報告の電話をするのですが、上司から会社のことを語られることはありませんでした。
私もなんか聞いてはいけないのかなと思って聞きませんでした。
でも、職場の近況を知ることで、想像と現実の乖離を少しでも縮めることができるかもしれない。
そうしたら、「職場に戻りたい」という気持ちになれるかもしれない。
結果、電車や暑さといった恐怖を乗り越えやすくなるかもしれない。
復職条件を完璧に達成することはできなくても、近づくことはできるかもしれない!

さっそく、この気付きをカウンセラーに報告し、とてもいい気付きですね、と褒めてもらいました。そして、

「復職しないとしても、『復職する/しないが選べる状態』であるほうが向いていると思いますよ。そうでないと、復職しないことを選んだとしても、復職できなかったという『未解決のことがら』を引きずっちゃって気持ち悪く感じるタイプだと思います」

と言われ、まっっったくその通り!と思いました。

これまで、
「復職できてもしたくない」
「復職して、やり残したことをやりたい」
「起業して、人生のミッションに向かった生き方をしたい」
など、いろんな気持ちを抱えていて混乱していましたが、
どういう生き方を選ぶにしても「まずは復職を目指していいんだ」と思ったら、腹が決まったというか、とてもスッキリしました。
復職したいと思えないのに、毎月上司と意味があるのかわからない電話が苦痛でしたし、
思ってないのに「復職したい風」を装えなかったし、
傷病手当金は欲しいけど代わりに何かしらで金銭報酬を受け取ることができないのが悩ましいし…
「自分のポジションが定まらない」というのはなかなか気持ちの悪い状態だったようです。

それから、月末の上司との電話で「いまの職場の状況って教えてもらうことできますか?復職のために効果的だと思うんです」と言ったら、「ええ!復職の話、初めて出てきたなあ。全然いいよ!」と言われ、いつも10分の電話が、40分になりました。
直接的に認知の歪みが修正されたかはわかりませんが、気持ちが明るくなったと思います。

[21ヵ月] 2024年3月 リワークプログラムを検討/ピアノ購入

カウンセリングで、あらためて「復職に向けて行動したい」と話したら、具体的なプロセスなど、現実的な話をしてくれました。
主治医にも相談し、カウンセリングとおおむね同じ、
①生活リズムを整える
②気力・集中力をつける
③ストレス耐性をつける
が大事とのことで、「リワークプログラムをおすすめします」と言われました。
とは言っても、私の通院する心療内科ではそういったプログラムはないので、外部で探すことになります。
色々調べて、電車で通える範囲で3つくらいに絞りました。

また、子どもの頃から13年間ピアノも習っていて、バイオリン同様また弾きたくなったので、ジモティーで中古のアップライトピアノを30万円で購入しました。
購入前の試し弾きや支払いのやりとり、運搬の段取りなど、我ながら行動力あるなあ…と感心しました。
苦労の甲斐あって、毎日楽しいです。

[22ヵ月] 2024年4月 リワーク施設を検討 ★今ココ

まだ4月の途中ですが、引き続き、リワーク施設の検討をしています。
3ヵ所の候補のうち、1ヵ所は見学に行き、のこり2ヵ所も見学・体験をしようとしているところです。
でも、そろそろ気温が高くなってきて、電車に乗るのも一苦労…。
見学に行くだけでも電車で小さいパニック発作を起こしたりと先行き不安です。
今後の進展は、またあらためてnoteでも投稿していければと思います。

おわりに

1万文字超えの長文で、わかりにくい点もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
私も、22ヵ月の整理ができてよかったです。
今後、復職するのか、起業するのか、なにもしないのかわかりませんが、いい未来が待っていますように。

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