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患者・家族と在宅医療チームの信頼を築く③

 F さんは、80 代後半の女性です。60 代半ばで糖尿病を発症。以来、血糖値を下げる薬を飲みながら、食事療法や運動などの生活指導と併せて治療を続けてきています。
 5 年前に夫が亡くなり、1 人暮らしになったため、2年前からは有料老人ホームに入居しています。現在は、杖や手すりなどの補助があれば自分の足で歩くことができ、息子さんや孫たちが時々面会に来て、話をしたり、一緒に車で外出し食事をしたりするのが、Fさんの生活の楽しみになっています。

 有料老人ホームに入居したあと、以前は通院していたところを在宅医療に変更し、当院が定期訪問診療で入ることになりました。
 F さんは糖尿病歴が長く、心臓も弱っていますが、在宅医療の薬物療法や食事療法によって、糖尿病診断の指標の1つであるヘモグロビンA1c は少しずつ改善しています。在宅開始当初8くらいあった数値が、6.6くらいまで低下してきたところです。

 そんなある日、F さんの息子さんから、当クリニックに連絡がありました。F さんが在宅医療の担当医を替えてほしいと希望している、とのこと。F さんの健康状態が安定していたこともあり、最近、担当医の担当を交代したばかりでした。
 F さんの住まいに伺ってあらためて話を聞いてみると、新しい担当医の食事・生活指導が細かく、あまり外食などをしないようにと注意され、きゅうくつに感じているということです。
 そこで、F さんの担当医と、あらためて治療方針について話し合いをしました。
 新しい担当医は、もともと病院勤務をしていた糖尿病の医師です。病院での治療方針は、糖尿病の指標のヘモグロビンA1c を6.0 未満にすることが、治療目標となります。そのため、数値が下がっているとはいえ、まだ6.5~6.6くらいのF さんは、しっかりした食事制限が必要だと考えたようです。
 また、F さんが時々息子さんと外食へ行き、うなぎやステーキといった高カロリーの食事をするのを快く思わなかったようで、「そういうのは良くないですね」と注意をしたとのことです。

 しかし、在宅医療は病院のように病気を「治す」ことだけが目的ではありません。F さんが自宅(施設)で安定して生活ができることが最も大切です。
 F さんの生活のなかでは、息子さんと月1 回程度、外食に行くことが大きな楽しみであり、生活の張り合いになっています。それを厳しく制限されてしまうと、たとえ血糖値の指標の数値が下がったとしても、F さんの心の健康という点では、マイナスになる可能性も考えられます。そのことをF さんの担当医にも伝えて話し合い、息子さんとの外食を認める方針に変更しました。
 月に1 回くらいの外食では、好きなものを食べて贅沢をしてもいい。その代わりに、薬を忘れずにきちんと飲み、自宅で食べるときはカロリーや糖質を抑えた食事を選んでもらう。そのようにF さんにとって実行しやすい生活指導を行うようにしたところ、F さんや息子さんも納得してくださり、現在も担当医を替えることなく、療養生活を続けています。


【解説!】
病院での医学的な正しさより、患者さんの思いを優先

 F さんのようなケースは、病院医療と在宅医療との違いがよくわかる事例だと思います。
 病院は「病気を治す場所」ですから、何より治療が優先されます。数値が悪いときは、それを良くするために医師が「こうしてください」と治療法を指示し、患者さんが従うかたちになります。
 しかし、在宅医療はそうではありません。
 在宅医療チームが入っていくのは「患者さんの生活の場」です。そこで医師が頭ごなしに、「医者の言うことを聞け」という態度で患者さんに接するのは違うと思います。

 また患者さんが療養生活のなかで何を大切にしたいかは、人によってそれぞれ違います。F さんのようにグルメで、子どもや孫たちとの外食が大切という人もいれば、食事は質素でもいいけれどタバコはやめたくないという人もいます。
 日常生活の介護でも、ヘルパーや看護師にきめ細かく支援をしてほしい人もいれば、家事支援などは最小限でいいので、1 人の時間を大切にしたい人もいます。
 それぞれの人の価値観を尊重しながら、その人が自宅で長く生活を続けるために、必要な治療・支援は何なのかという視点で医療・介護の方針を検討していくことが重要です。


生活を楽しみながら、家で長く過ごせるように

 特に高齢期になると、糖尿病や高血圧、肥満といった生活習慣病を抱える人が多くなります。
 こうした慢性疾患は、長期間にわたって根気よく食事制限や運動療法などの生活改善を続けていかなければなりません。あまり厳しくし過ぎると息が詰まり、結局は続かなくなります。
 患者さんの状況に応じて、時々息抜きもしながら、続けられる生活指導を考え提案をしていくのが、在宅医療ならではの支援です。
 実際、塩分や糖質・カロリーを控える食事指導でも、その具体的方法はいろいろと考えられます。

 例えば、食事のときに何にでも醤油をかけてしまう年配の方がいたとします。高血圧があって減塩をしてほしい、というときに「醤油をかけるのをやめて」と言うと、本人は抵抗を感じるはずです。
 本人が面倒と感じることや、ただ我慢をするだけの制限は長く続かないものです。それより「使っている醤油を普通の醤油ではなく、減塩タイプにしてみては」と提案すると、本人も「それならできそう」と思ってくれますし、治療の意欲も高まります。
 F さんのような血糖コントロールでいえば、最新の研究では、高齢者ではあまり厳格にヘモグロビンA1c を下げなくても、好きなものをもりもり食べている人のほうが長命、というデータもあります。ヘモグロビンA1c は高齢者は年齢の10 分の1、つまり70 代なら7、80 代なら8を目安にするといいとされています。
 たまの外食や記念日などにご馳走を食べたのであれば、その後、しばらくは質素な食事を心掛ける、というのでもOKです。
 ほかにも、調味料や麺類などの主食を糖質オフのタイプに替える方法もありますし、糖尿病の人のための糖質・カロリーを控えた配食サービスも出てきています。自分では調理が難しい人は、そうした市販品を活用するのもいいと思います。
 在宅医療チームは、患者さんがその人らしい楽しみをもちながら、長く治療・療養を続けていけるように支援します。治療方針で疑問や困難を感じたときは、医師とよく相談をしてください。

【事例6 で知ってほしいポイント】

● 病院で行われるような厳格な治療・指導は、在宅医療にはそぐわないことも多い。

● 患者さんの「生活の場」である在宅では、その人が大切にしているもの・習慣などを尊重しながら、治療方針を検討する。

● 糖尿病や高血圧といった慢性疾患を抱える人は、治療が長期に続くため、時々は息抜きも必要。

● 食事などの制限が必要なときは「やめる」「我慢する」指導より患者さんが「これならできそう」と思う方法を検討する。

● 生活習慣病の食事療法では、減塩・糖質オフの製品や、食事制限がある人向けの配食サービスなどを活用するのもよい。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎